牧村朝子『同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル』を読みました。
『百合のリアル』の著者によるタイトル通りの本です。
同性愛を「病気」、あるいは「犯罪」とみなし、さまざまな方法で「診断」、「分類」しようとした人々、そしてそれに対抗しようと試みた人たちの歴史を紹介しています。
あなたは「同性愛(Homosexual)」という言葉、あるいは概念がいつの頃からあったものか、だれが作り出したものかご存知でしょうか?
おそらくご存知ないでしょう。ぼくも知らなかった。なんとなく太古の昔からあるように思っていました。
しかし、歴史的に見ればごく最近まで「同性愛」という概念は存在しなかったのだそうです。
ひとはみな異性を愛するように生まれついているのだと素朴に信じられていて、同性との性行為は「病気」とか「犯罪」とされていた。
それが「同性愛」という言葉で捉えられるようになるのは、1869年にケルベトニという人物が論文で発表したところから始まるのだそうです。
つまり、「同性愛」という概念は、わずか150年ほどの歴史しかないわけです。
そこから同性愛が「人権」として認められるまで、さまざまな人々の、まさにさまざまな苦闘がありました。
そしてまた、その一方で「同性愛は病気である」とした人々の偏見や決めつけの歴史もまたあったのです。
この本には、そういったこっけいとしかいいようがないような「同性愛治療法」の数々が紹介されています。
しかし、ひとつひとつはこっけいであっても、現実にそれが通用してきた歴史があることを考えると、まったく笑えません。
たとえば、ナチスでは「人工睾丸」を同性愛者に移植するという手術が行われていたという話を聞くと、おぞまさしさに震える思いです。
「同性愛者」の歴史は、被差別と偏見にさらされてきた歴史でもあるということ。
しかし、著者は過大な被害者意識に溺れることなく、あくまで淡々と、ときにコミカルに「同性愛」病理化の歴史を追いかけていきます。
同性愛は生まれつきなのかそれとも後天的に身につけるものなのか? 幾人もの学者たちの多様な論説が紹介され、それらの問題点が現代の視点からつまびらかにされたのち、ついに「伝説の心理学者」エヴリン・フーカー登場に至ったときには大きなカタルシスがあります。
当時、女性ひとりで男性社会に切り込んでいったこの人物は、友人である同性愛者フロムの頼みによって、当時の「同性愛研究」の権威的な学者たちに対して、こんな形で「挑戦状」を送りつけたといいます。
・フロムの人脈を生かし、男性同性愛者を(刑務所からでも病院からでもなく)30人集める。
・続いて、男性異性愛者も30人集める。
・合計六十人の被験者に、ロールシャッハ・テストなど、当時主流であった心理検査を受けてもらう。
・その結果をまとめたうえで、被験者のプロフィールだけ隠して心理学会の権威に提出し、「あなたたちはこの心理検査結果だけで同性愛者を見分けることができますか?」と問う。
心理学会のお偉いさんたちは、自信満々でこの挑戦を受けて立ち――そして、だれひとりとして正解する者はいませんでした。
やがて、百数十年に及ぶ長い長い「同性愛」病理化を巡る戦いは終わりを告げることになります。
1973年、
コメント
コメントを書く「異性愛者」や「同性愛者」といった概念すら不要になる時代は来るはずもないし、来たとしてそれが望ましい時代だとはとても思えませんね。
藤本由香里師匠も「完全両性愛社会」を望ましいもののように語っていたことがあるけれども、そんなのぼくたちにとっても、ホモにとっても全然好ましい社会ではない。
「今の価値観を解体すれば何かいいことがある」という「ジェンダーフリー」同様の幼稚で非現実的な空想に過ぎないんです。