水木サンの幸福論 (角川文庫)

 幸せになるにはどうすればいいのか? むずかしい問題だ。わが日本の歴史上、いまほど平和で、安定していて、豊かな時代はない。しかし同時に、いまほど切実に幸福の意味が問いかけられている時代もないかもしれない。

 洗濯機もある。自家用車もある。薄型テレビもある。ハードディスクレコーダーもある。クーラーもある。携帯電話も、パソコンも、何もかもそろっている。足りないものはメイドロボくらい。それなのに、あまり幸せそうじゃないひとが多いのはなぜだろう。いったいどうすれば本当の意味で幸福になれるのだろうか? そもそも幸福って何だろう?

 思うに、何でも悩んだときは専門家の意見を聞いてみるにかぎる。幸福論の専門家、幸福観察学会会長の意見に耳を傾けてみることにしよう。ま、この学会、会員は一名しかいないんだけど。その一名とは、水木しげる。いわずと知れた『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者である。

 水木さんは著書『水木さんの幸福論』のなかで、「何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、幸せになるための知恵」を七か条にまとめている。順番に紹介していこう。

●第一条「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない。」

 水木さんはいう。世界中の神話宗教民話などを調べると、地獄のありさまはそれぞれに違っている。しかし、天国のほうは似たり寄ったり。清らかな河が流れ、薄物をまとった美女がいて、おいしそうな食事があふれている。おや、環境が悪くなったことに目を瞑れば、不況の現代日本こそまさに天国じゃないか!

 それなのに現代には悲壮な顔をして歩いているひとが多い。それは成功や栄誉という亡霊に憑り付かれているからではないか。成功なんて時の運、成功しなくても全然OK! 成功しなくても楽しめることに熱中しよう、と。

 それでは、「成功しなくても楽しめること」は具体的にはどんなものなのだろうか?

●第二条「しないでいられないことをし続けなさい。」

 それは、「しないではいられないこと」だと水木さんはいう。打ち込めるものを真剣に探すと案外見つからなかったりする。そうじゃなく、ただ好奇心を大切にし、何か好奇心がわき起こったら、そのことに熱中してみる。そうすれば、「しないではいられないこと」が見つかってくる。それでも見つからないなら、子供の頃に戻ってみるといい。子供の頃は、だれもが好きなことに没頭して生きていたはず。その頃の気持ちを取り戻そう、と。

●第三条「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。」

 それでは、その「しないではいられないこと」とは、社会的に立派な行為であるべきだろうか? ひとに認めてもらえるよう頑張るべきなのだろうか? そうではない、と水木さんは仰る。自分の好きなことに専念するためなら、世間の常識なんて捨ててしまおう。

 奇人変人になってもいい。いや、むしろ、奇人変人になるべきだ。その証拠に、世界の奇人変人には幸せそうなひとが多いではないか。だれが何といおうとわがままに自分の幸福を追求する。それでこそ本当に幸せになれるというものだ、と。

●第四条「好きの力を信じる。」

 孔子曰く「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」。水木さんの意見も、どうやら二千数百年前の聖賢と同じようだ。

 水木さんは若くして漫画道に入り、その道を歩むこと60年。ついに歩き通した。勲章なんてものをもらったことより、こっちのほうがよほど幸せなことだ、とかれはいう。さて、それでは水木さんは好きなことに専念すれば、かならず成功できるといっているのだろうか?

●第五条「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。」

 そうではないようである。

 戦時中は遥かな南方の戦場を、戦後は過酷な漫画業界を生き抜いてきた、かれの価値観はシビアだ。「努力は人を裏切る」。努力したって成功するなんて保証は何もない。むしろ失敗する可能性のほうがはるかに高い。

 それなら、努力は無意味なのか? そうではない。本当に自分が好きなこと、「しないではいられないこと」を見つけ出したのなら、夢中になってその道を歩むことじたいが楽しいはず。努力そのものが喜びに満ちている。努力は素晴らしい!

●第六条「怠け者になりなさい。」

 と、思ったら、そうでもないと水木さんはいいだした。

 いくら自分の好きなことを自分の好きなようにやっていても、努力しなければ食えないという厳しい現実がある。そして、努力してもなかなか報われるものじゃない。だから、たまには怠けないとやっていられない。

 もちろん、若い頃は必死に努力することが必要。しかし、中年を過ぎたら怠けることを覚えるべき。水木さんの「怠け道」の理想は、つげ義春と猫だそうな。しかし、猫もつげも天才だから、なかなか追いつけないのだとか。

●第七条「目に見えない世界を信じる。」

 水木さんは世界屈指の妖怪の専門家である。あの京極夏彦が手放しでリスペクトしていることを考えれば、その識見が知れるというものだろう。

 「目に見えない世界を信じなさい」と、この専門家はいう。こう書くと、怪しげな宗教の勧誘のようだが、そうではない、そうではなくて、この世には物質的な価値観ではとらえきれないものがあり、それこそがひとの心を豊かにしてくれるということだ。

「じゃあ、秘密を教えるよ。とても簡単なことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。本当に大切なことは、目には見えない。君のバラをかけがえのないものにしたのは、君がバラのために費やした時間だったんだ。」

 サン・テグジュペリ『星の王子さま』

 しかし、水木しげるの壮絶な人生を知れば、なかなかきれい事とばかりはいっていられなくなると思う。水木さんの前半生は、まさに挫折の連続である。就職してもすぐにクビ、芸大への登竜門のつもりで府立園芸高校を受けたときなどは、定員50名に対し受験者51名という好条件だったにもかかわらず、たったひとりの不合格者になってしまう。

 そして、戦争がやって来る。夢見がちな水木青年は当時の勇ましい世相にまったく共感できず、だから、徴兵されて軍隊に入っても、まったくその気風になじめなかった。

 そしてかれは、小さな雑嚢に愛読していた『ゲーテとの対話』上中下巻、そしてデッサン用の紙と鉛筆を忍ばせ、地獄の南方戦場へ向かうことになる。ようやく輸送艦に乗り込んだかと思ったら、そのなかは恐ろしく狭苦しく、手をのばして眠るなんて夢のまた夢。しかも、その船と来たら、日露戦争で活躍したという正真正銘の老朽船なのだった……。

 水木さんの語る戦争は、小林よしのりあたりが語るそれとは極端にかけ離れている。ひたすらに陰気で、陰惨で、残酷で、不条理で、ばかばかしい代物。しかし、ここらへんはまだ序の口なのである。その先のラバウルでの必死の逃避行のあと、水木さんはマラリアに発症する。何日も苦しみぬき、やっとのことで熱が下がったかと思うと、今度は敵機に急襲され、爆撃を受ける。

 吹き飛ばされる左腕!

 幸運にも近くに衛生兵が居合わせ、応急処置をほどこしてくれたものの、南方の熱気のなかで傷口は腐りはじめ、蝿がたかってくるのだった。このままでは命にかかわる。二の腕のあたりからナイフで切り落とすことが決まった。

 もちろん、麻酔なんて上等なものはない。「両目から血が噴き出したかと思った」激痛とともに、水木さんの左腕は永遠に失われた……。その後は職を転々としながら戦後を生き抜くことになる。紙芝居の仕事を引き受けてはみたものの、食えない。ついに漫画家になっても、鳴かず飛ばずの日々が続く。

 ま、ご存知の通り、最後には成功するわけですが、上記の幸福論はそういう経験をして来たひとが書いたものであるわけだ。そう考えてみると、「怠け者になれ」という言葉も、なかなか含蓄があるね。

 水木さんはこの本のなかで手塚治虫にも触れている。一生を創作に捧げ、たったひとりで数百冊もの漫画を描き、その一方でアニメを作り、たった60歳で死んでいった手塚。怠けることができなかった手塚。

 有名作家になってものんびりと生きている水木さんと、超長時間労働者だった手塚、はたしてどちらが幸せなのだろう。そこはもう答えが出るものでもないだろうけれど。

 何もかも対照的なふたりだが、不毛な戦争を生き抜いたあと、自分が好きなことに精一杯のめりこんだという点は共通している。わき目も振らず一心に没頭できるものを見つけたなら、たぶんひとはそれだけで幸せになれるのかもしれない。あとは適当に怠けながらやっていけば良い。

 ぼく自身、ろくに金にもならないのにこんな長文書いているわけだからなあ。