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作家・山本弘と「協調優位の論理」。
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作家・山本弘と「協調優位の論理」。

2020-05-14 14:13
     今週のニコ生は作家の山本弘さんのことについて語ろうかなあと思っています。

     ぼくは長年、山本弘の批判的ウォッチャーをやっていまして、非常に興味深い人だなあと思っているのですが、その面白さをどう伝えたら良いのかは迷うところがあります。

     ぼくの目から見ると、ある種の反面教師というか、「なるほど、こう考えるとこういう結論になるのか」というひとつの見本みたいなところがある人なんですけれど、はたしてそこをうまく伝えられるものかどうか。まあ、とにかく、試してみることにしましょう。

     それにしても、作家・山本弘の本を追いかけて、何十年になるでしょうね。いちばん最初に読んだのは同名ゲームのノベライズでもある(じっさいには小説のほうが先なのかもしれないけれど)『サイバーナイト ドキュメント・戦士たちの肖像』だろうから、おそらく30年は過ぎているはずです。

     少年時代のぼくは山本さんの作品を心から楽しんでいました。たぶんぼくが初めて読んだ本格的なSF小説は、山本さんの作品だっただろうと思います。

     以来、『時の果てのフェブラリー』、『神は沈黙せず』、『詩羽のいる街』などのフィクションはもちろん、ノンフィクションまで欠かさず読んで来たのですが、しだいにかれの主張のあまりの「くさみ」にうんざりするようになってしまい、ここ最近の作品は読んでいません。

     「くさみ」とは何かというと、ぼくの言葉を使うなら、かれの思想の独善性です。「懐疑主義者」を自任する山本さんは、その実、自分の正しさを信じて疑わないように見えます。というか、そのようにしか見えないんですよね。

     かれの価値観はぼくにはかなり偏ったものであるように見えるのですが、かれはそれが唯一の自明の真理であるかのように思い込んでいる、ように見えます。

     もちろん、ぼくたち人間は、多かれ少なかれ、自分の正しさを信じているものです。一切、正しさを信じていなければ、そもそも何ひとつ意味があることをいえなくなるでしょう。だから、それそのものは問題ではない。

     しかし、それが盲目的な信仰といえる次元ならべつです。山本さんは、非常に口汚く他人を罵る。嘲る。攻撃する。しかし、それにもかかわらず、かれのなかに自分が悪いことをしているという後ろめたさはかけらほどもないらしいのです。

     もちろん、インターネット時代のいま、そういう人は大勢います。むしろ、対立者と話をするときもいちいち丁寧な言葉遣いを心がける人のほうが少ないかもしれません。

     また、口調が丁寧だからといって、話の内容が正しいことにもならないし、その逆もいえるでしょう。それはたしか。ですが、それでもなお、ぼくには山本さんの話の「くさみ」はやはり特別いやらしく感じられてならないのです。

     それはたぶん、ぼくがかつて山本の作品の全面的なファンであり、いまでもその一部を高く評価しているからでしょう。自分の好きな作品の作者にはみな高潔な人物であってほしい。そんな子供じみた不可能な願いを、ぼくはいまでもわずかに残しているわけです。

     で、まあ、この文章は、ぼくのその思いが決定的に打ち砕かれ、ぼくが山本さんに決定的に絶望するまでの記録だといえます。ぼくはもう、山本さんに何ひとつ期待しません。

     かれは自分で作った独善の檻のなかに座り込んで、あい変わらず他者の愚かしさ(かれの目には他者はつねに愚かしく見えるようです)に腹を立てながら生きて、そして死んでいくのでしょう。

     かれが「自分とは違う考え方もあるのかもしれない」と考えることは、永遠にないでしょう。ぼくはそれを残念には思いますが、同時にしかたないことだとも感じます。結局、そういう人はそういう人なのです。

     いくら30年間愛読してきた読者とはいえ、他人の人格を変えることはできません。もし、ぼくが人を変えることができると思うのなら、それこそ傲慢そのものでしょう。

     また、ぼくが山本さんに対して抱く不満は、かってに抱いているものです。「可愛さ余って憎さ百倍」とはよくいったもので、だれかの「ファン」を自任する人物が、その人物の「アンチ」に姿を変えるのは、よくあることです。

     これは、かってにその人に幻想を抱き、そしてそれが破れて失望するところから来ているのでしょう。このパターンは幻想を抱いたほうにも問題があるのに、その責任を一方的に相手に取らせようとするわけで、あまりよろしくないと思います。

     だから、なるべく「すべてはしかたないことだ」という諦念を持って、かれを「告発」しましょう。

     そもそも、他者の人格なんて、ほんとうはよくわからないものです。その人がアウトプットしたものから、推測に推測を重ねて、「きっとこう考えているのだろう」と考えているに過ぎない。

     そんな不たしかなものを根拠に人を批判したり告発しようなど、本来は不遜かつ不可能な行為であるはずですが、ぼくは今回、あえてそれをやります。

     この文章は、ぼくが過去20年間にわたって折に触れて書いて来た山本弘という人物の「印象論」の総括ということになります。あくまで印象論であり、かれの人格について推測している箇所も多いので、すべてがロジカルだとはいえません。

     あるいはすべてぼくの勘繰りに過ぎないかもしれない。以下はそのことを承知の上で読んでいただきたいものです。

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