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インテリジェントスポーツ漫画はデータアナリストの夢をみるか?(1764文字)
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インテリジェントスポーツ漫画はデータアナリストの夢をみるか?(1764文字)

2013-04-15 10:53
    禅とハードル

     衛星放送でやっていた『為末大の勝利のセオリー』という番組を観ました。かつて陸上選手として世界のトップクラスにまでたどり着き、「侍ハードラー」の異名を取った男、為末大さんによるスポーツ番組です。

     今回はバレーボール女子日本代表の話だったのだけれど、これがおもしろかった。ぼくは全然知らなかったのだけれど、いま、バレーボールは極度に「データ」を重んじる時代になっているのだそうです。

     もちろん、ある程度のデータは昔から活用していただろうけれど、いまはもうそういう次元じゃなくて、コートにおけるありとあらゆる行為がデータ化される時代になっているのだとか。

     なんでもチームにはアナリストと呼ばれるひとがいて、一球一球、ワンタッチワンタッチ、どこにボールが飛んでだれが触れてどういう結果になったか、ということを記録し分析しているのだそうです。このデータの処理に関して日本の技術は世界の最高峰にあり、だからこそ世界最高峰を狙えるところまで来ているという話でした。

     まあ、こういう話を聞くとどうしても『ベイビーステップ』あたりを思い浮かべてしまうんですけれど、現実はある意味でフィクションを超えているな、と思いますね。ほんとうに細かいところまでデータ化されていて、「数字の戦い」が繰り広げられている。

     昔の少年漫画なんかだと、データを駆使する戦いをする奴はたいてい敵なんですよね(笑)。で、まあ、主人公たちの理屈を超えた力や情熱を前に敗れ去っていくということがひとつのパターンになっていたのだけれど、いうまでもなくこれは理不尽な話で、データを使いこなせるならそうしたほうが強くなれるに違いありません。

     もちろん、データというものが何だか非人間的な、冷たい印象を与え、スポーツというものの印象にそぐわないということはあると思う。でも、よくよく考えてみれば、記録しても記録しなくても事実は変わらないんですよね。データは事実を数字化して表したものであるに過ぎない。

     その意味では、データとは「究極の現実」であって、データを見ることを避けることはある種の現実逃避に他なりません。データより自分の感覚を信じるということは、事実より思い込みを重視するということなのです。

     人間の感覚は必ずしも現実を正確に把握していません。「きょうは調子がいい」と思っていてもじっさいにはそうでもないということもありえるし、その逆もまたある。しかし、数字は非情に正確に現実を映し出します。その意味で数字ほど確実で信頼できるものはないでしょう。

     
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