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【無料記事】だれにも愛されなかった人間がひとを愛せるようになるにはどうすればいいか。(8976文字)
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とても長くなりますが(苦笑)。そもそも、恋愛って何?
ということを、高校生ぐらいに考えたことから始まります(笑)(←おまえなんやねん!)。そんで、このころからちゃんと分析の基本を僕はわきまえていたようで、物事を考える時には、縦軸と横軸が必要で、そのうちの縦軸(=時系列の変遷)について考えたのですね? 簡単に言えば、どっかの歴史の教科書とか社会学の本でも何でもいいから、恋愛の歴史ってないのかな?って。←明らかに頭のおかしい高校生男子です(笑)。普通、そんなこと考えねーよ。
そうするとね、あるんですよ、これが、恋愛=ロマンチックラブってのは、西欧社会で生まれた特殊な概念で、明治期の日本には「輸入」された概念なんだそーです。これは、近代産業社会において不可欠な「個の労働者」を「再生産」させるために作られた「核家族」というものを支えるイデオロギー装置だったことは、ほぼ解き明かされていることみたいです。機能的には、専業主婦による家内の再生産をベースに、外に労働者として働きに出る男性を確保+次の世代の子育てをすることによって社会のサスティヴィナリティするっていう核家族のことです。まーこれがほんとなの?とかそういうことは、学者ではない僕にはわかりませんが、まぁ、思考のベースとして、なるほど、非常に理解しやすい出発点です。アメリカや西欧社会の基本の対人関係性モデルでもあるし。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130405/p1
おしまい。
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家族からの愛情が欠如している主人公達がレギオンという擬似家族を作り上げる「アクセルワールド」は「ソードアートオンライン」よりも売れていないという。
未婚率は上昇しているから核家族そのものは減ってはいるだろうけど、ロマンティック・ラブ・イデオロギーにもとづく核家族が崩壊しているとはあまり思わなかった。星奈と夜空が光と闇という発想は良かったし納得できたんですが、愛されてきたはずの星奈も友達を求めているわけで…本当ならわざわざ夜空なんて必要としないはず。
今の若者はア・プリオリな家族が崩壊しているから再帰的な家族が必要で、「僕は友達が少ない」のヒットにはそれが関係しているという事らしいけど、実際のところどうなんですかね。オタクは親からの愛情は割と受けていそうですが。引きこもりやニートが許されるのって親からの愛情あってこその行為ですからね。
「恋愛は西洋の発明品である」(これは個人的には疑問符のつく考えだけど)を前提に「家庭の崩壊」、それ故に「オタク文化では仲間を謳うものが流行っている」との認識。
そこで問題になるのは「親というロール」の欠如である。
しかし、人から全く愛情や承認を与えられていなくても、ひたすら趣味などに没頭することで疑似家族の擬似的な親の役割を果たせる人間になり得る。
今回の内容をごく短くまとめれば、そのようなことだとぼくは捉えました。
最後はちょっとわかりにくいですが、まあ「物語」を読んで「俺と同じことを考えている人間がいる」と慰められることがそれだ、といったふうにぼくは受け止めました。
基本的に賛成するのですが、不思議なのはおっしゃるお考えがどこからどこまでも『電波男』と「完全に一致」しているように見える点です。
あそこまでお嫌いな著作とそこまで一致することがちょっと奇妙に思えました。
>これはすなわち「擬似家族」を作りたがっているのだ、というのがペトロニウスさんの分析です。
趣味の合う人間や自分と対等な人間が欲しいだけで、別に「擬似家族」は求めていないんじゃね?
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の桐乃も「僕は友達が少ない」の小鷹も家族愛には飢えていないから「擬似家族」は必要ない。読者もそれを求めているわけではないんじゃないかなあ。
それよりは「けいおん」みたいな上下関係もゆるい対等な関係を求めていると思う。星奈も母親のような何かではなく相手と対等な立場で話せる友達になりたいんだろうから。
疑似家族に本当にアンカーが必要でしょうか。むしろ特殊例なのでは?
創作において、多くは主人公という人物を中心にした関係が多いのをそうとらえているのではないでしょうか。
疑似家族であろうとも愛情を与える者、与えられる者が決まっている関係ばかりではないでしょう。
むしろそれは共依存を連想させます。
あと、単語に分かりづらいものがあります。
「再帰的」という言葉を「人工的な、条件付きの」として使うなら、再帰という言葉がふさわしいとは思えません。
サスティヴィナリティと言う言葉も日本語にするか、せめて英語を併記してほしいです。辞書で引くので。
海燕さんこんばんは。
ネットでしょっちゅう誰かの悪口ばかりを書いているような人は、やはり家族の愛情が不十分で、「好きなもの」も無い人なんでしょうかね。そういった人が光を浴びるにはどうすればいいのか?海燕さんたちの議論に期待しています。
自分を愛さなきゃ人も愛せない
クンフー云々で好きなことばっかりやってたら駄目人間になりそうだがな
奈須きのこの作品もモロに疑似家族ばかりだが、親に当たる存在がいまいちつかみづらい気がする。
日本を救えない人が外国を救えるわけがないのよね。
で、どうすればひとを愛せるようになるんでしょうか??「アンカー」になれれば、“「ひとからの承認」はどうでも良くなって”幸福になれるし、“生きる動機を自分自身から調達し、それを周囲に分け与えることができる”かもしれないけれど、そのことは表題への解答としてはふさわしくないような。
社畜になれってこと?
JOJOの根底に流れ続ける形容しがたい確かな思想と同じものを感じた。
人間を愛せなければ、人間があまり住んでいない所を選択して住んでみるとか、動物を愛するとかから始めることだろうね。動物が愛せるようになったら、人間にチャレンジを。ということかな。
なんでこんな面白くもなんともない上気持ち悪い記事書き続けられんのここ? コネ?
わかりやすく参考になりました。私も契約強者になりたいです!
ただ書かれている通り、契約強者への道は細い…。
契約強者について、LDさんやネテロ会長の話だけだったので、他にも例を挙げて貰えると、よりイメージしやすくなって助かります(一人一人違うし、細い道ですので、例を挙げても仕方ないのかもしれないですが)。
また、この契約強者になった状態は仏教や禅とか?の忘我、悟りの境地に似ていると感じました。
仏教や禅とかの精神的な?アプローチの仕方もあるのか、その辺りも議論して貰えると参考になりますし、お金払ってて良かったなぁと思います(笑)。
自分という真空との契約
社会というべきかな みんな愛を求めているだけで与えることができないわからないというのが多いんでしょうね
そのため愛というものが違うものと勘違いして与えてることが多そうです
それに時代によって愛の形は変化しますしあるように見えて無いこともあるので難しい問題ですね
そのため大半の人は勝手に育てればいいのよ 余所の子は余所の子 と丸投げ状態
興味深く読ませて頂きました。
「ひとからの承認」を必要としなくなると生きることがものすごくラクになることは
加藤諦三氏の著書や精神医学?でよく語られていることですが
クンフー(自己世界と解釈してよろしいでしょうか)によって非承認を構築することは
考えたことがありませんでした。
好きという特異点の見つけ方・気づき方について、私も気になります。
たいへん面白く読ませていただきました。
ただ、「騎士道(Chivalry)」はチルバリーでなくチバルリー。
さらに発音的には「シバルリー」の方が近いとされていますね。
?
一番最初にコメントした人が慧眼だと思う。SAOとか、あと進撃の巨人やワンピースもそうだと思うけれど、プライベート・ライアンとか、バンド・オブ・ブラザーズとかと同じ戦友ものであって、擬似家族を作っているのではない。傾向として、今多くの読者が求めているのは、性格はばらばらだけど、同じ、対等な立場で困難に立ち向かう者同士の一体感みたいなもので、そこに上官はいるかもしれないけれど、母親役や父親役は求めないっていうのだと思う。あと、光属性と母性みたいなのがごっちゃになっていないか。あと、「ロマンティック・ラブ・イデオロギーにもとづく核家族社会システム」って日本では戦後の中間層の誕生とともに出来たもので、ここ60年で誕生し、崩壊したってことだから、根本的に維持・継続できない欠陥システムなんじゃないかと思うし、そういうものに精神的な期待をよせることはできないと思う。
誰にも愛されなかったとか都市伝説だろ
マジだったらすげーよ
新しい概念は新しいデータセットを必要とする。
新しいデータセットは言葉に新しい意味を付与する。
辞書には載っていない。
なんかこう、部分的にはなるほどと思わなくもないけど、『はがない』についての解釈に共感できないというか、言ってしまえば全然違う気がする所為で全体的に穴だらけな気がしてしまう。極端に言えば不安定な前提の上に暴論(と言っては言い過ぎかもですが)を積み上げているような気がする。
わたしは、親から無条件の愛情と承認を得たが、闇属性の人間になってしまった。
小さい頃は光属性だったかもしれないけれど、大人になるにつれて(具体的には中学時代で)
親から与えられていた愛情が届かなくなっていった。
親の愛情って、自分達がいなくなっても子供が一人で生きていける力を鍛えてくれる事なのだと思う。
そういう意味では、親からもらった愛情は自分にはゼロだった。
愛されても愛されても、劣等感に苛まれて自己嫌悪に苦しんだ。
徹底的に甘やかされて育った人間には、ダイヤモンドは産まれないのです。
それから、とにかく自己肯定する為に絵を描き続けたが、描けば描く程己の力量の低さに絶望して
ますます心を病んでゆくようになってしまった。他人の評価・承認を心の底で貪欲に求めていたからだ。
クンフーを積む域にはまだ遠い。けれど、いつか辿り着けると信じてみたい。
記事見た感じ俺は光属性っぽいけど、闇属性って鬱病にしか聞こえないんだがw
契約強者ってようするに趣味やってりゃ幸せって人でしょ?病み属性て楽しいと思うことして幸せになれないの?
教えて闇属性の人
正にその考えに自力で辿り着いた者です
問題点も同じく「どうやって自分の好きな事」を見つけるか
ここで引っかかっています
自分の好きな事をするしか何かをするモチベーションが持たないのです
でもそれが無いのです
答えはどこかにある事も分かっているのに それを見つけることが出来ないもどかしさ
分からない人には全く分からないでしょう
分からない事が幸せなのかもしれない
でもこれを結論にはしたくない
探しているのです 自分がするべき事を
コラコラコラコラ~ッ!(`o´)
どんな属性だろうと親の愛はいつの時代も変わらないし
人は生きてる中でライバルを1人見つけることができれば一生生きていけるよ
既に上記のコメントでも書かれていることですが、
“サスティヴィナリティする”というのは、まず日本語としておかしいし、何より“持続可能性”という日本語として定着した感がある外来語を、注釈もなくそのまま表記するのはリーダビリティの欠如と言わざるをえません。
そして騎士道(chivalry)を英語で見ればチルバリーとは読みようがないと思うのですが。No.19の方が指摘するとおり、あえてカタカナで表記するのならばシバルリーや、シヴァリーと表記した方が良いでしょう。
というのは重箱の隅をつつく意見であって、では肝心の本文の内容に関してどう思うかと聞かれると……
結論ありきで実例も少なく、独自の用語を羅列して悦に入る、ありがちな“自称評論”であるな、という感想です。
“腕の悪い芸術家は互いの作品を褒めあう”というオスカー・ワイルドの言を思い出しました。あなた(および、あなたと親交がある方々)が芸術家と呼べるかは疑問ですが。
前からこのチャンネルには興味あって無料記事に釣られて読みに来たので以下長文だけど雑多な感想を
全体の9割くらいまでは面白かった、でも最後のオチは何やねん、楽屋オチじゃないか
闇属性の最後の希望は契約強者ですよーって煽っておいて具体例で身内を出されてもポカーンだわ
外野の読者からすれば本当のところその人が幸せかなんて分からないし、
ここに書いてあることから判断する限り単にその人は元々闇属性じゃなかっただけだろと思える
それにそういうクンフーの積み重ねをしていく人がたどりつくのって良くも悪くも仙人的な境地であって、
他人に愛を与えることができる「光属性」とはまた別物なんじゃないか
「他者の承認を必要としない境地」から「他者に承認を与える存在」にどうやってジャンプするのか、
そのプロセスのところで、ジェネレーターがどうとか用語を持ち出して、急に議論を抽象的にして煙にまいてないか?
自分の好きなことに没頭する人って(特に漫画とか内向的趣味だと)だいたい他人に無関心状態になっていく訳で、
他人に愛を与えるのとは正反対、この二つには大きな溝があると思うんだが…
あと光属性・闇属性の議論も正直怪しいところがあると思う
闇属性の方が圧倒的多数派って書いてるけど、じゃあ日本の家庭は壊れているのが圧倒的多数派なのか?
そんなことはないでしょう(昔と比べれば壊れている家庭は多いんだろうけどね)
それを踏まえると「ロマンティック・ラブ・イデオロギーにもとづく核家族」=光属性の子供の母胎ってのは
いくらなんでも暴論すぎるんじゃないか
ロマンティック・ラブ・イデオロギー導入以前の前近代の家庭からは光属性が生まれなかったのかって問題もあるし
(上の人も書いているように親の愛は時代を超えて不変なわけでして)
多分闇属性の人の大半の家庭環境は「普通」の範疇に収まるわけで
普通の家庭に育っているはずの人が何で「闇属性」になってしまうのかこそが検討が必要なのでは?
とまあこんな感じで面白い記事ではあったんだけど「講座」としては脇が甘すぎて、
内輪の議論のレベルを脱していない印象
自ら渾身の力作と言っちゃう記事でこれではお金までは出せんなーというのが正直な感想でした
すべての問題を特異点的な好きなことを見つけることに集約するのは無理がないかな-? まるで命を捨てても惜しくない理想の恋人が見つかれば何もかもうまく行くというような。確かに見つかればうまくいくとは思うけど・・どうだろう・・ 好きな事に没頭することを持って解決とするのも、もし可能なら悪くないとは思うが、そこをラッキーに頼るのでは解決とも言えないし。読み違いかしら? ラストに自分でも書いておられるけどまだ未消化の議論みたいなので、今後に期待。全体を流れる暖かさは感じるので。
まったく非の打ち所のない議論で、全面的に賛同致します。
ただ、難を言えば10年、20年かかってたどり着いた境地というのは、他人には理解しがたいです。
10年20年クンフーを積まないと理解できない。
普通の人から見れば奇人、変人の類です。ゴミ屋敷にゴミを集めているおじさんとかいますね。
悪く言えば変質者かも知れない。
他人の承認を得られないということは、たった一人の妄想の中で生きていくということです。
ほとんど狂人です。
カルト教団の狂人が教団のアンカーになった例がないわけではないですが、
そんな人間が人を幸せにできましょうかね。
自分自身は妄想の中で生きられるかもしれないでしょうが。
理論は素晴らしいのですが、現実にあてはめるとちょっとおとぎ話めいて聞こえるのは
ゆる「オタ」ならではの味と解釈しましょうかねw
幸福の条件は親によって決まらないと思いますよ。
例えば、作家の場合
①自分の本が売れると幸福を感じるタイプ
②例え本が売れなくても、ファンレターが来ると幸福に感じるタイプ。
③本の内容や売り上げよりも、共に本を作る人(編集の人とか)と互いに議論をして一つのものを作ってる時に幸福を感じるタイプ。
④本が売れずファンレターも来なくとも、とにかく自分の思ったとおりの本が作れれば幸福を感じるタイプ。
LDさんという方は単に、他人に認めてもらえなくても、自分の好きなことをしているだけで幸福を感じれる④のタイプだったというだけではないでしょうか?
まあ、この考え方は岡田斗司夫さんの本の受け売りなんですがw
もちろん自分にとって何が幸福を探ることが大変なことに変わりはないとは思っています。
うわあ・・・宇野常寛さん濱野智志さんと全く同じことを考える人がここにもいる。
やはり、エンタメを飲みすぎるとこういう結論になるんだなあ。
闇属性の人の幸せになる最後の希望が、1本しか無いなんてことはないと思う。
生きていくことが辛い。ならば死ねばいい。
自死を忌避する、非難する人が多いけど、そこに救いを見出したのなら、
その人にとってそれは幸せなこと。
幸せになるために、生きることと死ぬことを取捨選択しただけ。
それともこれも契約弱者と言われてしまうのでしょうか?
要は、読んでいて幸せを得るには生きなければならない的なものを感じ取れたので、苦言を呈したかったんです。
まぁ、ブログで死を肯定するような発言はしたくても出来ないのかもしれませんが。
闇の炎に抱かれてこの僕が…
^q^ ....? 難しくて判ったような判らなかったような。
面白かったですが、
自分一人で自分のことを決めるのは単なる「主義」や「方針」であって
二者間で合意するという本来の意味の「契約」とは根本的に異なります。
今回の結論に大きく関わりそうなので、あえて指摘させて頂きました。
「契約」という言葉が正しいなら、クンフーに合意したのは誰ですか?
「自分」だとしたら、それは「自分で自分を承認できる人」です。
「他人」だとしても、「誰にも愛されなかった人間」を満たしてない。
合意したのは「コンプレックス」や「ルサンチマン」ですか?
実態のないものに人格もしくはそれ以上の力を与えて自分を承認させる。
まさに宗教ですが、それなら納得です。信仰にはその力があります。
普段この話題では使われない「契約」という一般的な言葉を、合意者の存在が非常に曖昧な状態で目にしたことで、気付かない内にその曖昧な何かに、あたかも自分が認められているように見事に錯覚してしまいました。
が、あくまでこれって言葉の表現上のトリックじゃないですか?
ただ、結論には賛成です。要は「童心に戻って好きにやれ」ですよね。
幼児のように目的に疑問を持たずに何かをやりつづけ、その途中で親や周囲からそれを認めてもらうプロセスを踏みなおせ、なるほどと思います。
そしてそれがとても険しい(?)道なことにも賛同です。
どうせそんなこと誰も認めてくれません。イルカか犬ぐらいなもんです。
ちなみに、作者様はご自身を闇属性とおっしゃっていますが、コンプレックスをモチベーションに換えられる時点で光属性の素質十分だと思います。
私もいつかはそうなれるよう頑張りたいと思います。
今まででもトップクラスに面白い記事だと思う。
しかし最も心に残ったのが本題ではなく、海燕さんの「はがない」の解釈。つい最近までただのラブコメだと思っていた自分の読解力のなさが悔やまれる。
私も10年以上夢中になって続けてる趣味があり、さらに家庭も複雑だったので、結構納得して読むことが出来ました。ここ最近、惰性で生きてたのが何故なのか分った気がします。
難しかったですが、面白かったです。
10年くらい、クンフー積めた気がするので、今は誰かに与えたくて仕方がないです。
これからもがんばります。
面白い感性ですね、楽しく読ませて頂きました。
特に「はがない」の解釈には新しい一面が見出せ、感嘆させられました。
親や周囲を取り巻く環境によって人は様々に変わるもの。
修正は容易なものではないですが、好きな事に打ち込む事で得られるものがありそうなのは同意です。
というか、自身が体感できる程度に色々実証できてるからこそですが・・・。
ただ、10年や20年ものクンフーを積んだ境地に到達し得るその先にあるものが一概に良い物だけだとは言い難い気が・・・。
なるほど
多少意見は違うものの、方向性の違いというだけで実に面白い記事でした
sheepsatoさんの指摘、殊に「まるで命を捨てても惜しくない理想の恋人が見つかれば何もかもうまく行くというような。」という表現は鋭いと思う。
海燕さんは「オタクは趣味を持っているからリア充だ」と言ってしまうような、そういうところがある。
同時にカルトとかゴミ屋敷を持ち出してきたkino256さんも大変鋭い。
何となればオタクの「趣味」とは、実はゴミ屋敷と大差ないものを、ここまで先人が市民権を獲得してきて今があるものを、ぼくたちはそれを黒歴史のごとく忘れ去り、ヘラヘラとしているのだから。
ぼくが先に『電波男』との類似点を指摘して、しかもご本人も認めていたのだけれど、『電波男』はストレートに「恋愛の代替物、否、恋愛を更に純化したそれを超える概念としての萌え」を提示していたけれど、ひるがえって海燕さんは「仲間」という(言わば『ジャンプ』的DQN的)概念を「疑似家族」の範疇に含めてしまうなど、やや雑駁な感もある。
おもしろかったです。
今回は導入部なので、話を明確にするためにもあえて省いたのだと思いますが、光属性だけの、あるいは闇属性だけの人間って存在しないですよね?
コンプレックスが一つでもあったら闇属性ってわけでもないでしょうし、バランス調整からメスを入れるアプローチも、少し触れておいた方が親切かなと思いました。
コドモはいつオトナになるのだろうか
かなり面白かったです。というか凄い。こんなに様々なコンテンツの要素を集約し、それについて考え、答えに向かっていくということは。
自分もこういった理屈や物事を考えますが、上には上がいるものだなぁと。特に「はがない」の考察に関しては特に驚きました。
自分は物語を登場人物のキャラクター性であったり、話の方向性や言葉のやり取りなどで評価していました。
けど、それはすごく表面的なものだったのでしょう。だから自分は最近ラノベなんかを読んでもピンと来なかったのかもしれない。
ふと本棚に放ったらかした本を読み直そうと思いました。
それに、共感できることも沢山ありました。本文にて紹介されていたLD氏。彼の話から言えることは、
「何よりも自分の気持ちに素直であることが幸福で、正しい」
複雑で、束縛するものの多い人の社会において、自分の気持ちに正直で居る事は、
社会が生み出す向かい風を跳ね除ける「バリア」になるのかもしれません。
周りがなんと言おうが、常に自分を信じて進み続ければ、地位や名声、富すらをも超える、
「真の幸福」へとたどり着けるのではないのでしょうか。自分は、この一連の話から、そんなことを感じました。
非常に面白い内容でした。内容に反発する人もいると思いますが、私は概ね同じ考えです。
親によって人の幸せは決まらないという人もいると思います。ですが、これは人間の特性が人生の中でただ一つの条件で取り返しがつかなくなるほど決定づけられるわけではないということにすぎないのではないでしょうか。
たとえどんな状態から出発しても人間は努力さえすればある程度の状況や自己の変革ができるチャンスがあるはずですからね。
やはり親からの愛を十分に受ける「健全な」家庭環境は「光属性」になるためには重要であると思います。
無から有が生まれないように人も与えられたものしか与えることができないのですから、人を愛するためには愛された経験が必要なのだろうと思います。
実は私も学生の頃学校内の自分の所属しているコミュニティを外のコミュニティの人間に説明する際「影の人」という言葉を使って話していたことがあります。
「影の人」とは少人数の特定の友人とばかり付き合おうとする人たちのことで、総じて目立つことを嫌う性格を持つことからこのように呼んでいました。
「影の人」に対比される「日の当たる人」と比べて能力的に劣るわけでは決してありませんでしたが、自己肯定感、つまり「根拠のない自信」を持つことができていないことが大勢の中で明るく振る舞えない要因だったように思います。
この「影の人」がそのまま「闇属性」とイコールとは思いませんが、コミュニティの中で「太陽」になることができず自分の好きなことを黙々と続けることで幸せを得るという部分で共通するところがあるように思いました。(というよりこの「影の人」は「闇属性」の中のさらに一部の人たちのような気がします)
このような人たちは自分なりの閉じた幸せを見つけることで「天才」になることも「契約強者」になることもできるというのは確かにその通りだと同意します。
ですが、やはり人からの愛を人生の途中からでも受けるのは必要じゃないかなという気がします。
自己のうちで得られる快感と「愛」とは全く違うものだからです。まあ、これは必ずしもラブロマンス的な恋愛である必要はないと思っていますが。
まあ、そもそもそれが難しくなっている現代だからこそ「闇属性」の人たちが多数派になっているのでしょうが。
この「人の愛し方」をしている人は、趣味、特にアイドル辺りに貢いでいそう。
そしてそれは、生きる動機までで、幸福感は満たしきれない気がします。
>>33
身内を出されてポカーンと言っても、身近な実在人物ほど分かりやすいものの事例はないし、
人の生き方の話だからそりゃ人物ぐらい出てくるでしょうに。
抽象的云々も、そもそもこういった道徳や人間の心、
気持ちといった要素が入ってくる話を具体的な形にするのは難しいと思うんですよ。
この文自体、むしろよく言葉にできたなといった話ばかり。「言葉」なんてこういった話をするには貧しすぎる。
そこに何とか言葉を入れようと頑張っても、結局は抽象的になっちゃうんだと思いますよ。
あと、最後に一つ言っておきますが、
「徹底した考えほど、路を切り開いていく大きな力を持つが、同時に取り返しの付かない矛盾を産んでいく。
そして、「終点」は近づいても「答え」は遠ざかっていく。」
ごま塩程度に覚えておいて下さい.......
わたしは機能不全の家族に育ったため確実に闇属性なのですが、周辺にいるのは光属性の人ばかりです。夫は闇属性ばかりの業界にいますが、性根は光属性だと思います。辛さを救ってほしくて、闇を受け入れられる光を持った人と結婚し、子供を2人産みました。きっと恵まれています。それでも、闇から抜け出すことはできない。健全な自己愛などひっくり返っても持てない。日々身に染みて感じています。
好きなことへの邁進を何かと(神と?自分と?生命と?)契約するということ。闇から力を得て生き、その副作用はクンフーに捧げ、いつかの幸せを夢見るということ。それを肯定してかまわないということ。とっても救われます。
ネットクズに堕ちて批判中毒になったり常識を意識するあまり卑屈になって他人からの評価にがんじがらめにされて苦しむ
闇の住人(ハズイ言い回しだ)には薬になりそうっすね自己肯定の仕方
だれか3行でお願いします
根暗な奴が
考えすぎると
こうなります
この先に続く話はクンフーの方向性についてとかかな。
例えば「私は人を殺すのが大好きです」みたいなクンフーを完成させたら、出来上がるのは歪んだ愛を持つ無差別殺人鬼です。「だから殺す」
愛されたことのない人間は、光属性の人間に出会って正しい愛され方をコピれればそれで終わりでしょうけど、歪んだ愛に晒された人間にとっての難題、歪んでいない愛情になりうる契約を如何に判断してひねり出すか……的な?
やっぱり判断基準として必要なのは光属性の人間ですかね。
愛情の性質についてはハンターハンターのゴンとキルアが好対照ですよね。
両親の顔すら知らなかったにも関わらず光属性なゴンと、両親や兄弟や使用人達に愛されすぎたにも関わらず闇属性なキルア。
「いびつで利己的な歪んだ愛。それだけに強く重く、被対象者に絡み付く。その呪縛、並大抵の努力では解けない」
ところで光属性の人って光合成でエネルギー得ているソーラーカーなイメージ。心が曇る時もあるし、夜は誰にでも必ず来るから、常に走り続けている訳ではない。むしろ環境に左右されやすい。
闇属性の人が土掘って石油見つけてガソリンを作ってという努力や、それをエネルギーにして天候を気にせず昼夜を走る姿は、どう見えるのだろう?
一言で言えば、「侍」になれ、てことか
闇属性に染まった感覚器では、情報に重みを付けて受発信することしかできないのだろうか。
自信満々な『面白い話宣言』があったので、いつになったら面白い話になるのかなーとわくわくしながら読み進めてたら
……9000文字読み終わった疲れだけが残ったでござる(°ω°;)
仲間と擬似家族は違う、仲間内に親の役は必要ない、と言っている人にもの申したい。
親の役が必要なんじゃなくて、光属性の人が必要。
なぜなら、闇属性の人間には、光属性の人がどうやって生きているかがそもそも理解できない。どうやって日々を生きているのか、まずそれを知りたい。あるいは、知らなければ、将来とても苦労する。
身近に光属性一人、強契約者が一人、闇属性が数人の集まりがあるから、とても理解しやすかった。卑屈で陰鬱な人間には、遠まきに羨むのではなく、身近に「どうやって太陽光をエネルギーに変えているか」を実践してくれる人がいないと、なにも理解できない。理解する必要性すら感じない人も多いだろう。必要だと気付くことが大切なのだと思う。
きっと光属性の人も、闇属性の人がどう考えているかは、近くにいなければ分からないと思う。
光属性の人は、親としての行動をする必要はない。近くで見て、対等に接しているだけで、なぜか『親』の役割を果たしている。身近なら『親』は存在するだけでいい。できれば、闇属性の『子』から離れないでいてほしい。子は無条件の愛情に飢えている(条件付の愛情を受けた『子』は少なくないと思うが、それを上書きするには無条件の愛が必要)。
本当に『子』はわがままで、欲するばかりで、親に恩を返す力を持っていないかもしれないけれど、子はそれがないと全うに生きていけない。喧嘩をしても仲直りするような、ささやかな愛情すら闇族性は「知らない」ことがあるから(持っていないわけじゃない)、ケンカしたり笑ったりして、愛情の使い方を教えてほしいと願う。
機能不全家族じゃなければ、もしかしたら、親は親であるだけでいいのかもしれない。
嘆いても仕方ないけれど。
コメで光属性光属性とか言われると
前世ではあなたと恋人であなたは光の騎士で私だけの騎士様だったの!!!
という前世系メンヘラを思い出す
やっべw記事も光属性まみれてたw
おもしろい記事ですね。
多少考えが変わりました。
しかし、このクンフーはとても一般人にはマネのできないことですね。
一人、30後半になってもアニメでクンフーを続ける人物を知っています。
確かに太陽のような存在でもありますが、普通の人が見たらラフレシアですね。あれは。
前提も問題意識も根拠がなさすぎてなんとも
パソコンの前だけで書いたような内容
LDさんがアンカーになぜなり得るのかすら不明
太陽は明るいわけじゃなくただ自らを焼かれてるだけ
陰にいる人は暗いわけじゃなくただ守りたいだけ他者から
三行くらいで読むのやめたけどゴンとキルアの話?
とても面白かったです。日頃、漫然と感じていたことを言葉にしてくださった気がしました。「ロマンティック・ラブ・イデオロギーにもとづく核家族社会システム」の崩壊は、かなり以前から潜在的に社会の中にあって多くの文化やコミュニティを形成したと感じています。しかし「健全な家庭の愛情にもとづく自己承認を得られなかった人間」が幸せになりにくいという点のほうが問題だと思います。自分は、その問題や矛盾を抱えたままの社会がこのまま蔓延っていくのだろうとしか考えていなかったので、「契約強者になることでアンカーになり得る」という答えをくださったことに感謝しています。「「好き」という特異点」をどう見つけるか、筆者さんと仲間のみなさんで何かしらの結論が出たらぜひまた記事を書いてください。自分は筆者さんの考えを参考にしながら「好きはどこから来るのか」考えてみたいと思います。
お祈りみたいで好きです。
そのクンフーを横から笑いものにする人間のクズが周囲にいないことも条件に入るなあ
わからんでもない
結局、幼い頃に愛情を十分に与えられのびのびと育った人はその後も自己肯定感に満ち、
幼い頃に、何らかの理由で愛情に飢えた人は自己について言い知れない不安を抱えて生きる。
そしてそういった子どもは、どこかでトラウマ返しや、心の整理をしなければならない。
その後自分の好きなことに打ち込むことで、自己肯定感につながるというところまでは私もそう思います。
ですが、漫画やアニメを消化するということが、好きなことに打ち込んだ結果自己肯定感につながるという点には、
私は同意できません。
割と言われることも多い気がしますが、
宗教にのめり込むこととアニメなどに逃避することはすごくよく似ていると思います。
どちらも偶像崇拝だからです。宗教よりもアニメなどの二次元の方が健全(その人の人生を左右しないという点で)かと思っていましたが、最近はそうも言ってられませんね。
物語や、キャラクターや、関係性などにのめり込み、空想します。
もしかしたら自分でも意識していなかったようなコンプレックスから派生して、別のものとして、そのキャラクタや関係性などに心を動かされるのが「もえ」だと思います。(そうでない人もいるかもしれませんが)
そののめり込んでいる対象と自分の間に差がないのです。
だから、ゆりかごにいるかのような安心を生むのでしょう。
それを自己肯定感だというのならそれでいいのですが、それによって相手に与えられるようになるか、
というとそう簡単には言えないと思います。
一方で、そこで日々のストレスなどから解放され、満たされるということはあると思いますが、
自己の抱えたコンプレックスと大なり小なり向き合わなければ、先延ばしにしているにすぎません。
宗教にのめり込む一部の人も同じですが、辛いことを別な場所に投げておいても、それを乗り越えることはできません。
そうして、乗り越えられなかった分だけ子どもになります。
そんな子供の部分をたくさん抱えた場合、大人になっても子どもっぽい、別の言い方をすれば痛々しい人になる。
闇属性を理由に、自分を顧みず、だから俺は悪くねぇ!と思って変わらない人が多いと思います。
例えるなら、「僕は友達が少ない」の夜空がそれです。
また、世の中で事件を起こすような人もそういった人が多く思います。
ただ、契約というのが自分の整理であるというなら、納得のいく話だと思います。
結局人を愛せるようになってなくね?
内容はともかくタイトル詐欺でしょこれは…
初めにまで読んだ
ジェネレーターが回るほど没頭出来たら素晴らしいけれど、自分は飽きが速いのが難点だなぁ・・・
読んでていろいろ思う事のあった良い記事でした。この記事に出会えたことに感謝です。
〈ひとからまったく愛情や承認を与えられていなくても、10年、20年、何十年とクンフーを積み、ジェネレーターを回しつづければ
ってそれもう宗教の教祖や。
「親」は、教えるときには1人に対しては1つずつアカウントを作って、教えられるときには1つのアカウントで対さなければならないのか・・・?
どうすれば他者から信頼を得、自己肯定感に繋げられるかって話かと思って読んでみたらぜんぜん違った。私たちはどうしようもないので殻に篭って自己完結しましょうって話じゃないかこれ。
求めるだけでは手に入らないなんて至極当然のことで、であれば与える事に焦点をあてればいい。
なぜ、闇属性の人間が親というロールになれないのかという部分での論理が飛躍しているように感じる。『ひとに十分に愛されていないと感じる人間がだれかを愛することができるでしょうか?』できる。現実にそのような人は多くいる。
結局「誰も愛してくれないから悪いんだ!だから私は悪くない!」なんて言い訳を笠に着るための暴論かな。
ただ一人が崇めればいい神様を作るってことなんだよ、たぶん
闇属性と光属性という概念がとてもよかった。私は今ネトゲのギルド的コミュニティを成立させるためにはどうすればいいかってことをずっと考えてるから、ずっとその視点で読んだんだけど興味深かった。10年同じことを続けたとき、至れる境地。すごい。私はそれを目指し、到達すればアンカーになれて、ギルドを存続できるようになるということか。好きってとても単純なことなはずなんだけど、特異点になってしまうのはそれを長年続ける必要があるからか。
そんな方法なんてないんだって、わかれよ…
人を愛する前に自分が愛される価値があるのかどうか。自分には価値があると認めるためには根拠となる相応の何かを得ないといけない訳ですな。家庭環境はなかなか厄介な問題ですね。本来家族を構成するという事を理解出来ていなくても結婚したり子供を作ったり出来る訳ですから。
面白い話ですね。自分や自分の周りの人を連想しながら読ませていただきました。
僕の場合、親から光を得て、恋愛から闇を得た感じです。
茶の世界で天才になろうと考え、挫折して、26歳から絵画の世界で天才を目指そうとしましたが、
結局なれそうなのは天才ではなく、LDさんかもしれません。
絵を描くこと、茶を喫すること、音楽を聴くことがクンフーになるわけですか。
あなたもなにか見つかるといいですね。
見つけるポイントは、本心に従いつつ理性を忘れないことだと思います。
その意識を持って行動すれば、自然と自分に喜びをもたらすもの、愛すべき対象が見つかります。
あとはクンフーあるのみですね。
最初の方しか読んでないけど、もうちょっと人生ってものを解ってから書いた方がいいかなぁ
光属性の人と恋愛してみればいいよ
彼らの愛情ってなんかスカスカで物足りないと言うか・・・虫と恋愛してるみたいです
バランスが大事なのです!! ってかスターウォーズ観ました?
ラノベやマンガばっかじゃなくて、色々経験しなくちゃ厨二のままです
リアルな恋愛も沢山経験すればいい
上手く愛せなくたって良いんですよ
理屈捏ねるだけじゃなく、実践しなきゃね
光を求めて環世界横断するのではなく、ひとつの闇の世界の中でビッグバンのように光を作り出すイメージだろうか。
割といい観点だと思う。
何かを好きになるにはどうすればいいか?
とにかく自分にできる手段で様々なものに触れてみることが大切、かな。
敢えて危惧を述べるとすれば、
一つのものだけが好き、で、突き進んでしまうと、
それに挫折した時に、取り返しがつかなくなる。
とにかくいろんなものに触れていれば、
その内、いろんなものの魅力に気付ける機会が増えるから、
心を出来るだけ(無理矢理、ではなく、出来るだけ)広く持って
色んなものに触れて欲しい。
自分の内の闇を否定してはいけない。
でも、闇に飲み込まれて闇の奴隷になってしまってはいけない。
闇とうまく付き合えればいいけれど、口で言うほどやさしい事じゃない。
だから、人生は、本当に、難しい。
今の世の中じゃみんな本当に忘れかけてるけど、
驚かないで聞いて欲しい。
実は、命って、大切なものだったんだ。
貴方という命も、実は、大切なものだったんだ。
みんながその事を見失っているだけで。
色んなものを好きになれば、
貴方だけのあなたの光が、自然にあなたの中に生まれて、
貴方の中で育っていくんじゃないかと、思っているんだけど。
他者に肯定を求めることの限界
書かれてること一理ありますね。
好きなことを繰り返しているだけで人は幸福に思うようになり、
そんな自らを肯定できるようになっていけるのかもしれませんね。
それには他者依存的な幸福をまずあきらめるということが絶対条件なのでしょうね。
なんとなく思い当たる節があります。
凄い影響力じゃないですか。こんなにたくさんコメントが付いた記事、他にありました?
しかも肯定的な内容が多い。
こりゃ余計なこと書くんじゃなかったかな。
結局これってなんの話なの?
家族ではなく家族ごっこの話?
子は親の愛情を求めてるのになんで愛情も承認もない契約強者がアンカーと成り得るの?
共依存なんかである愛という報酬を得るために愛を与えるっていう構造はダメなの?
ここでいうひとを愛するっていうのは個人を愛するって意味ではなく全てのを人を愛するっていう博愛主義的な意味なの?
「手段の自己目的化」、あるいは「幸せの青い鳥」。
青い鳥を探す旅を、旅そのものとして肯定すること。
本来手段に過ぎないものを、目的にすり替えて内面化する方法は、
倫理学で繰り返し語られてきたテーマです。
神を信じる人の多くは、
神を信じた理由を忘れてしまうといわれます。
また、神や天使と契約した人ばかりではなく、
まったく、契約などしていない人間にも、
神や悪魔、善や悪、信者と不心得者、光と闇といった概念を
植え付けることが出来ます。
ゆえに、こうした『世界観』は案外強力です。
何せ、契約そのものを忘れるためには、
契約書にサインする必要があるわけですからwww
今の時代、こうした世界観や概念は、スターウォーズでもクンフーでも、
社会的に不都合が生じることは無いでしょう。
逆に、こうした契約を相対化できる視点を持ったことを、
近代人の悲劇と呼ぶ人もいるでしょう。
ただ、『これ』が問題となって、問題とされている限りは、
まだまだこの世界は平和なんだろうな・・と、今日は少し安心しました。
長い!1行10文字以内に纏めやがれ!!
無駄に長い。まとめれば半分以下で済むよ。これ。
結論が一行でまとまる内容をだらだらと…。
愛って 恋愛 だけじゃないんだよね~w
好き ってことならなんでもいいんだよね~ww
でも誰にも愛されなかったとなると・・・・
だれか手を差しのべさなければならんな・・・
愛せるようになることを放棄する方法もある
もともと持てないならその葛藤を放棄する
大抵は不幸の循環 幸福の循環は慣性で動き続ける
不幸になるなら徹底的に不幸に進む
芸術は爆発だ
今北産業
これを読んで書きたいことが、
沢山あるはずなのにまとめることができない。
書こうとする傍から大切なことが零れ落ちてしまう。
自分の中の漠然とした不安が軽くなりました。ありがとう。
「光属性/闇属性」の違いについては前に海燕さん自身も参加していた物語三昧ラジオで話題にしていたコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」をベースに考えてもいいのかな?
話の論点がずれまくってるぞ
結局何が言いたいんだ
自然人限定の契約なら案外うまくいくかもしれない
つまり好きなことを見つけた人は強いとな? …違うか
ま、私は人が生きるのに指標も何も持ってないから、のらりくらり好きなように生きるさ
面白い文だった
あと長いとか、だらだら書くな、って言う人は読まないほうが良いね
あなたに言い聞かせてるわけじゃないんだし
そもそも他人に興味のない人間は何に位置づけられるのだろう。
すごく興味がある。
良い視点だし大筋は納得できるけど、はがないで親の役割を果たしていたのは小鷹だと思う。星奈も愛に飢えた子供の方。
だけど核家族化、機能不全家族の増加で、親から十全な愛情や承認を得られなかった子供達がそのまま大人になって、『愛に飢えた子供のままの大人』が増えたのは事実。
俺自身も俺の母親も『愛に飢えた子供のままの大人』のまま成長してきてしまった人物で、『愛に飢えた子供』の親に育てらた子供は、例外なく不幸になっているのも事実ですね。
要するに、その契約弱者とやらは何か趣味を見つけて没頭、果てに趣味=人生にしちゃえば幸せって事でしょうか?
自己肯定はどうせ得られないのだから、そもそもその苦悩は忘れてしまえって話なのかな?
見ない振りをしても、痛いものは痛いままだと私は思いますけど…。
面白い
ある意味これは、「契約弱者」への目の前の物事に全力で取り組み続ければ幸せをつかめる(かもしれない)というエールなのだろう。
言ってることはよくわからないけど、人をカテゴライズするのが好きな先生なんだな
だからなんだと言うんだ。
ラノベを出すなwwwwwwwwwwwwwwまず、なぜ二つに綺麗に分けようとしてるんだwwwwwwwww小学生かwwwwwwwwこどものじかんでも読んでろあっちのほうがましなこと言ってるわwwwwwwwwwwwwwwww渾身の力作記事wwwwwwwwwwwwwwwwwww
渾身の力作。海燕さんの伝えられる最高レベルの形ですね。
俺も違う観点からほぼ同じ事を思っています。
ここから光/闇属性の意味を代替させてみます。
そして代替させた言葉から、
なぜはぐちゃんが天才なのか
LDさんの闇を抜け出ていくための方法論が正しいのかを説明します
自己啓発 他者報酬(カネ・名誉・地位・賞賛・他者評価・外的喜び
自己報酬(生き方・生き様・純粋欲求・自己評価・内的喜び
脳科学 外・内的報酬系
朱子学 覇道(勝ち負け 王道
聖書 カイン(闇 アベル(光
現在の人の世は他者報酬の覇道によって成立している。だが成功している
天才といわれる人たち(王道)は実は自己報酬の結果として
圧倒的な他者報酬を手にしているのである。
何故そんなことが言い切れるのか?
脳科学の仕組みでみればわかりやすい。
報酬系は、A10神経が脳幹、辺縁系、皮質をつなげている
この三つはポールマクリーンの脳の三層構造
脳幹(爬虫類脳)本能 辺縁系(動物脳)愛情優先 皮質(ヒト脳)理性優先
とあり同じ脳でありながらバラバラの働きをするのである。
例えばケーキたべたい理性ではダイエットだからダメでも本能は食べたい
と同じ脳同士でせめぎ合う。
脳幹>辺縁系>皮質 と脳の反応の強さが違う。
理性でああしようとしても単純欲求に支配されることはままある。
これが凡人
それを同時に三つの脳を動かせるのが報酬系
いわゆる出来る奴
更にその報酬系も他者から得られる場合と自己から得る場合がある
他者報酬でスイッチが入る場合と自己報酬でスイッチが入る場合を
考えれば、自己スイッチを持つものは
他者に振り回されず自己の純粋欲求に従って生きられる
つまり天才になりやすい
はぐちゃんの「これから自分は絵を描いて生きていく。
全人生をそのためにささげる」という神聖なる約束(コーリング)
そして闇を抱えた存在が、自らを光に転化させる方法は
ルサンチマンなどの負の感情を抱えないほうがいいのだ。
負の感情に捉われている人間は、他者報酬を人生の主眼としてしまい
それを得られない自己を卑下し哀れみ、それを手にする勝者を妬み嫉む
その為に脳内の報酬系が働かず三つ脳がバラバラで動いている。
自らを純粋欲求の喜びに埋める事が出来れば間違いなく幸せへの道は
約束される何故ならそこに他者報酬の介在する余地はないからだ。
LDさんの契約強者
ヒトの世は妬み嫉み恨み辛み自己顕示優越etcを持つカイン(闇属性)が
大多数を占める。それら一切の負の感情を持たず神を人を自然を最大限
愛し愛される生き方がアベル(光属性)なのである
アベルの考えを理解できないカインから妬みや猛反発を食らい嫌われる。
俺はヒトの世をアベルだらけの素敵な世の中にしたい。
海燕さん的な人が増えることを祈っています。
運命の恋人出来たら毎日幸せだよ たぶん
オレ童貞だけど、最近現実が辛すぎて異性にばっかり幸せを見出そうとしてる
一回も見出せたことないけどそう信じて生きてる すごいみじめな男になってしまった
結局、好きなものを見つけられるかどうか、って・・・。
なんかどこにでもありそうな結論に落ち着いただけじゃないか
2000年頃に書かれた文章ですか?
家族の崩壊はわりと前から言われており、2001年メフィスト賞を受賞してデビューした佐藤友哉などは
モロに家族に関する小説を書いてるし、園子温は昔から家族崩壊に関する映画をつくってる。
自殺サークルの小説なんて、作品内で赤の他人たちが家族ごっこを自覚的に演じている。
家族関係を絡めた批評なども群像などの文芸誌で何度も読んだことあるし、今更同じ事を言われても、心に響かない。
そもそも、90年代中頃には失楽園があり、不倫で幸せな家族幻想なんてものは壊れている。
また、宗教に関連付けて「ジェネレーターが回る」ことの危険性を言っている人がいるが俺もそう思う。
例えば、去年、ソードアート・オンラインというアニメがあった。
熱狂的なファン(信者)は少しでも作品に疑問を呈すと、原作を読め。理解できないのはバカ。
と様々なブログで罵詈雑言を並べ立て、意に沿わぬことがあれば攻撃的になっていた。
ジェネレーターが回り続けると、そのような不幸な人が大量生産されるのではないか?
好きな事だけをやり、他人の意見には耳を傾けない。
自分の都合の良いことしか信じない新興宗教の信者ができるのではないか?
他者の視点がない。間違った道を歩んでも修正できない。
そのような危険な人間ばかりになるのではないか?
ラノベやアニメの世界の日常のように、自分を肯定してくれ、
自分を否定する人間を排除して過ごせるなら、ジェネレーターの考え方もわからなくない。
しかし、現実は他人がいる。一人では生きられない。嫌なこと、避けられないこともある。
しかも、ラノベなどで人との絆に憧れても、現実はラノベのように都合の良い展開はないのだから、より大きな絶望を得るのではないのか?
というか、全体的に言ってることが古い。古すぎる。
エヴァの旧劇場版で、好きな事をやり続けていられない。という強いメッセージがあったのに、
好きな事だけやり続ければればいい。という結論はトンデモなく考えが逆戻りしているようにみえる。
記事を読みたいと思い、ブロマガに登録しようか迷ってたけど、この程度なら登録しなくて良かったと思ってしまうレベルの記事。
「契約弱者」という言葉で「Fate/stay night」の衛宮士郎を思い浮かべた。四郎は生きる理由を外部から埋め込まれて(天から授けられたわけでもないからコーリングとも異なる)それに盲目的に従っている。そのため呼び出したセイバーは最強クラスであるものの「契約(魔力)弱者」たる四郎がマスターなのであまり力を発揮できない。その四郎と似ているようで全く異なるのが遠坂凛。彼女も四郎と同様に生きる理由を外部に与えられた(凛の場合は家・血筋)がそれを与えられたものとは解釈せずに自ら選び取ったものだと考えている。彼女が契約したセイバーは四郎が契約したセイバーとは異なり、正に最強の名に相応しいステータスを誇っている。両親の溢れる愛と厳しい教育の元で育ち、自分の運命を決して呪うことなく自ら選んだものと確信し、長期間訓練を積み続けてきた遠坂凛は光属性でありながら契約強者という非の打ち所のないヒロインである(もし肝心な所でポカをやらかすという欠点がなかったらさぞ可愛げのないキャラクターになったことだろう)。
衛宮士郎で書き始めたはずなのに、別段遠坂凛が好きなわけでもないのに彼女を褒めまくっている文章になってしまった。
四郎に話を戻すと、最初は契約弱者だった四郎が強者になった契機はぼんやりとした「正義の味方」への憧れを「借り物ではあっても嘘じゃない」と過去の自分に宣言したこと。これも凛同様に与えられたものを再度主体的に選び直したと考えられる。
「Fate/stay night」から「他者を愛することができない人(闇属性・契約弱者)は幸せになれない」問題を考えると、自らの過去を主体的に捉えることで人生をポジティブなものにする、という解が出てきてしまった。びっくりするほど近代的! ただこのやり方って衛宮士郎という成功もあれば英霊エミヤという失敗もあるわけでうまくいく保証はどこにもない。悪く換言してしまえば「自己責任」。そんな新自由主義的解決策を取れない闇属性がどうすれば幸せになれるのかというのが問題なのに、これでは解になっていないね。
リア充しか生きられない社会で非リアがどう生きていくかという問題は実際問題とても重要なことだと思うので海燕さんが妙案を見つけ出すことを祈っております。
>>35
>すべての問題を特異点的な好きなことを見つけることに集約するのは無理がないかな-?
>まるで命を捨てても惜しくない理想の恋人が見つかれば何もかもうまく行くというような。
他の人の意見も見ていて、sheepsatoさんのコメントが面白かった。
なんで面白いかというと、「まるで命を捨てても惜しくない理想の恋人が見つかれば何もかもうまく行く」という考えは、
ひきこもり作家で、書いた時は童貞で、彼女もいなかった滝本竜彦が
NHKにようこそで自分を投影した主人公に言わせていたから(正確には相手は恋人じゃないけど)。
物凄く失礼な言い方になるけど、昔の滝本竜彦と同じくらい人生経験少ないのか?と思ってしまう。
この記事、書いてる人は20歳後半くらいじゃないかと予想してたけど、もしかして、高校生?
滝本竜彦の考え方の変遷やその後を知っていれば、この記事に書かれていることの説得力のなさに気がつく。
loving singularity
生きてるだけで丸儲けなどという言葉を聞いたことがあるが、一昔前は戦争で人が普通に死んでてそれを考えるとそういうのも別にアリなのかなと
何のこともない天気のいい日に外へ出て日の光を受けながら風を感じる、それだけでも人は意外と幸せなのかも
そこに他人は介在しない、つまり人は一人でも問題なく幸せでいられるということ
だけどその人生に果たして未来があるかどうかは別問題、そしてその未来をつかむために人は自ら不幸を背負い込む。
仕事も結婚も人間関係も実はすべてが苦しみでしかないという実際はそんなこともないんだろうけど
まあ分かりやすく言えばそんなことでしょう?
そしてその不幸の押し付け合いをして已まないのが人間という
人間やっぱ最悪の例しか見てないし話に出さないってコメントからわかるね
マナー0のバカ信者になれとかの話じゃねーでしょう
読んだが時間の無駄だったということを伝えるために捻った文章を書こうとしましたが無理でした
自分もはるか昔思春期の頃、言葉は違うが人間を闇属性と光属性にカテゴライズしていた
だから筆者の言いたいことは理解できるし、それがライトノベルの世界で広く受け入れられているのもわかる
幸福になる道が全く見えない圧倒的な闇属性の人間にとっては、その正否はさておきクンフーをつみ続ければよいという方法論はある種の救いとも言えるかもしれない
とてもベストな方法には思えないが、これを批判するには他の方法を提案しなけらばならずそれが出来ない自分はこれをある範囲において認めるしかない
ある範囲と言ったのは、この記事はカテゴリーの表現が簡潔過ぎるせいで属性の曖昧な大多数に対する提案になりえていないからだ
たしかに極端な光属性や闇属性を持つ人間(キャラ)は筆者の主張するような論理に当てはまるだろうが、そうではない大多数にとっては、共感を得るには「遠い」と言わざるを得ない
なぜなら最も多いであろう、それなりの愛情を受けそれなりに無条件の自信を持つ者たち、あるいはそれなりに愛情が不足してそれなりに自信がない者たちの生き方に対する提案がないからだ
こういう中途半端な人間にアンカーは荷が重いし、クンフーをつみ続ける程のルサンチマンもない
その結果待っているのは中途半端な幸福、あるいは不幸であり、それはそのまま現実の世界にマッチしてしまう
それでは多くの人間は望んだ幸福は得られず、この論理をが多くの人間に受け入れられることは難しい
面白い記事ではあるが、広く受け入れらようと思うのならその辺りに力を注ぐべきだと思う
いくら人間をカテゴライズしてもその人間が広く分布している以上、それを広くカバーしようとするのなら、点ではなく面でカバーできるような提案を期待したい。
まー要は他人から押し付けられるのはゴメンだが、目的もって自ら背負って立てば意外と耐えられるってことだよ
それがここでいう幸不幸の分かれ目じゃない?
何だこの痛い文章はwwwww
クンフーを積むのが確かにベストだよ
でも積み続けられる環境にある人は少ないんじゃないかな
そんなピンポイントな人間へ精神論の提示してもそうあればいいのにねとしか思わないよ
はじめに、投稿者と長文コメントを読んで下さる方向けの書き込みをさせて頂きます。
長文が苦手だ、または邪魔だなと思う方へはお詫び申し上げます。
記事とコメントを読み興味深いと思いました。
ただ、
・作品のテーマを書く際はそのテーマは「出典があるものなのか」それとも「個人的推察からの物であるか」を明記する
・冒頭での読んでもらえないことに対する余分な不安アピール
・記事に対する「段取り」不足
を感じてしまいその点が残念です。
無料記事にし、広く読んで貰いたいのであれば、
タイトルのように文章の意味がわかりやすい要約を冒頭に盛り込んでみたり、
他作品や身内を例として上げず、括弧や注釈の必要な単語は極力避ける。
といった点に着目してはいかがなものかと僭越ながらに申し上げます。
この記事を前提にこの先の記事を書かれるとあって、「身内向け文章」をあえて前面に押し出しているのであれば、
その点に気づけなく申し訳ございません。
長文失礼いたしました。
幸せって他人に与えてもらうものではなく自分が感じるものだよ。だから、プロポーズによくある「僕が君を幸せにしてあげるよ。」っていうのは塾の講師が「お子様のやる気を引き出します。」というのと同じくらい無理があると思う。
幸せになりたいのなら言葉に出して「自分は幸せだ。」といえばいい。そうすれば、脳がつじつまを合わせるためになんとか幸せであるための証拠を探そうとするからね。それは例えうその笑いでも笑っていれば本当に可笑しくなって笑ってしまうのと同じ現象じゃないかと思っている。
「クンフー」の定義がイマイチよくわかりませんが、得意不得意や役立つか役立たないかに関わらず、他人の目が気にならなくなるくらい、とにかく好きなものを続けるということでしょうか?
それだとやはり反発が出ても仕方ないかなと思いました。
他の人のコメントを読みましたが「中途半端な幸福、あるいは不幸」等については定義自体があいまいかなと思いましたが
記事中の「クンフー」を積んだ本人からすれば、外的な要因(本人以外の意見など)に作用されにくくなるので、幸福感や自信につながるかも?
ただ、別の人が言っているとおり、日本で生きていくには、その人の自信が他の人の意見を押しのける(聞く耳持たない、他者に押し付ける)ものにならないように抑止するような+αな思考が必要かもしれませんね
fate
fatal
fable
fabulous max
おもしろかったわ~w
長文過ぎて疲れるけど思考の方向性としては希望があっていいと思えますw
勝手に造語で話しをややこしくさせているだけなので、もっと簡潔にまとめられるだろう
支え合おうと
面白かったですw
はがないの例えが凄く解りやすいですね~
ただ、これも一つの考え程度に押える程度の文だと思いました
十分長文ですが説明不足になってる所が多々あるかも
はがないってこんな深いテーマで書かれてたのか、知らなかったはw
ブログだし? 論証がおろそかでも事実推論がめちゃくちゃでも面白ければいいけどさ…
しかし、問題提起に対して解決策を提示する内容ならそこらへんしっかりやってくれないと
この解決策が有用なのか読者は理解しかねる。
「こういう考え方もある」なんて読者から言われるのは最も恥だと思ったほうがいい。
前半の光属性・闇属性にまつわる中間共同体の話は「輪るピングドラム」がテーマとしていたものと解釈した。
後半のクンフーの話はアイロニカルな自己没入のその先へ、という感じで面白いと思う。
しかしクンフーを極めて他者なき自己肯定の境地に至った人間に、他者に何かを与える「親というロール」を担うことができるのかしらね。
おもしろかった。
はぐちゃんの光のシーンは
一人ぼっちだったときに支えてくれたのは「絵を描く」という行為
この「絵を描く」ことが出来なくなる日が来たら命はもういりません
っていう誓いを「自分の中の神様」に立てるシーン
好きなものに支えられて生きていけば充実してくるし心に余裕も生まれてくる
疲れた感じはしていないかもしれませんが、おつかれさまでした。
好きなものにのめり込む事が回復に繋がるかと言えば、全てがそうなるというわけではない気がする。
アニメ等の2次元にハマることは現実逃避をしてるだけで根本的な解決にはならないと思うよ・・・
一時的に気が紛れるのは分かるけど、その状態が継続するかと言ったら自己否定感の強い子供なんて尚更無理だし
私も「親から愛されない家庭で育った」子供だが、自分の親が毒親と気づいて目が覚めた時から段々世界が変わっていった気がする。
それまでは親に愛されたいって必死だったけど自分の親が普通の親ではないって分かってから諦めもついた。
それから自然と私は私で良いんだって思えるようになった
他の事に逃げるのも大事だけど、いつかは自分と向き合わなきゃ解決なんてできない気がする
要は親や他人に「認めてくれ」ってすがってないで、自分で自分を認めてあげられるよう精神的に自立しろってことね
恋=子孫を残す
その必要性についての議論は別として極論的解決策を言えばそれは「戦争」しかありません。
現に日本では第2次世界大戦後のベビーブームで人口が増えました。
以上。
要は上条当麻や柾木剣士のラノベハーレム家族(逆に一妻多夫でもOK)がこの世の家族形態の理想型なのですよ。
「核家族」は不倫よりも罪深い。
この記事無料にしないほうがいいな
前から少し興味あったけど購読する気はなくなった
好きになっちゃったんだから当たり前だろ!
まぁあれだよ、この人に何かしてあげたいって気持ちがあればそれが思いやりだから
愛情ってのは見返りを求めない物なんだ 与えて何ぼ
あまり政治には詳しくないけど日本は旧ソ連の末期に近づいているのではないだろうか
好きに逃げている人間は本当の実力向上を求めていないので「クンフーを積む」という表現には違和感があるな
むしろ今の実力でもやれる範囲内で人々に感謝される作業には進んで飛びつくイメージがある
ボランティア活動には積極的だったりドナーカードに快くサインしたりとね
闇属性の人?は下手に好きなことを続けるより介護施設や幼稚園で働いて老人や障害を持った方々等に奉仕した方が
その人達から感謝されて生きがいを感じることはできるであろうし、現実にそうしている人も多いのではないだろうか
んで結局、だれにも愛されなかった人間がひとを愛せるようになるにはどうすればいいんですかね。
自己愛に飢えた闇の人間が
他者を介さず救われる道は
クンフーしかないんだ!!
初めて読んでみたが、面白い
長文でダルいのかと思ったが、定義を解釈しやすく書いてあったのでスラスラ読めたよ
あれだね、現実逃避のタメに見てるようなやつは絶対にたどり着けない気がする
そこまで到達する人間は、自分の慰みものとしてサブカルチャーを扱うんじゃなく真の意味で向き合ったから成りえるんだね
原点、出発地点は同じでも結局はその人間の本質にあるというのが結論に近いかね
明日食うものに困るような人達は愛なんて嘘っぱちははなから信じてねぇよ。っていうかそういうのは小説の中で道具として誇張されて使われる記号だとすぐ感覚的にわかる。歯の浮くような感覚はすぐわかるもんだろう?
厳しい環境のなかではささやかな愛でも十分輝きを持って見える。現代は明るすぎて星が見えなくなった都会の夜空みたいなもんなんだよ。
古典芸能の世界かなんかで「芸に尽くして性を練磨せよ」(←うろ覚え)って言葉があるけど、それみたいなものですかね。
現代では成人以降、人の性格は変わらないと思われている節がありますが、道を極めようとするとその過程で性格の修練も自然と起こるんじゃないかと思います。でも、最初の目的や志を忘れてはいけないのでは・・・?とも思います。
※123
古さや拙さ、途中発表みたいな雰囲気というのはかねがね同意です
しかしあまり強く否定するのはどうかと
エヴァの時代から進んでいないというのは、まさにエヴァが進みすぎていたからという側面が強いと思います
それに新劇の破→Qの流れであえて「好きなことやって自己実現だけしてれば・・・・」というのに再度丁寧なNOを突きつけなおしているのは、監督自信が説明不足や描写不足を自認しているからではないかと(他の分野の創作も伝わってない可能性大)
つまり、「伝わりきらない」という現象がある以上こういう車輪の再発見的なことは避けられないのではないでしょうか?高校生扱いは失礼でしょう
それに「まるで命を捨てても惜しくない理想の恋人が見つかれば何もかもうまく行く」という考え、というのとは違うのではないかと感じました
海燕さんの言う文脈では、むしろ手を動かせばやる気が後から出てくるという最近流行の脳科学的なライフハックというのの文脈なのではないかと
人は錯覚で苦しむし、錯覚で喜べると生物学によって解明されてきました。ならば能動的に錯覚の充足感を得ようとしようと考えるのも良いのではないか?という段階の論がこの記事の意図だと読み取りました
全ては解決しませんが、やはり気の迷いで苦しんだら気休めをすべきでしょう。気休めが非消費的でエコならより良いですしね。良いのではないでしょうか
おもしろかったです。
「わたしは親にも誰にも愛されていない(愛されるべきではない)」と強く感じたまま
大人になってしまった人というのはおなじことを考えるものなのでしょうか。
俺ってわたしってそーなんじゃ、なんて不安がって犯罪スレスレの苦い毒親の記憶を思い出しながら
アダルトチルドレン脱却のハウツーを読んでるよりは
よっぽど楽観的で素敵なアイデアだと思います。
親になれないんじゃなくて、
親にならざるを得ない状況になったら、嫌でも親になる
逃げられない状況を作れば、嫌でもやる。人間ってそんなもん
だから、人を愛さなければいけない状況を作り出せば、愛せる。
でも結局必要ないって思ってるから愛せない。
だから無理に愛さなくていいんじゃないの。
ただ、闇属性は人に何も与えられないというが
闇属性の人は、過去に自分が愛を貰えず見捨てられたからこそ、
人に優しくでき、人を助ける人間になれる。
仮にそれが自分が優しくされたい為の行動でも、愛を与える事に変わらないよね。
なんかすごく難しく言ってますが、誰にも愛されていないと感じている本人が全てを受け入れるところから始めてたら良いんだと思います。
家族からも友人や周りの大人からも愛されてないと思ってる状況を受け入れれば、「こいつ何言ってんだ」って人がいて絶対に否定してくれると思うんですよね。
自分の否定的な部分を受け入れられないから、葛藤したり不安になったりするわけで。
自分で受け入れて、自分のことを理解する努力をしていれば愛せると思います。
理解する努力もせず拒絶しかしない人は、やっぱり周りからも理解されにくいと思います。
自分を理解する努力ができれば、周りの人間も理解できるようになるからです。
理解できたら、それにあわせて一生懸命真摯に遊んだり、相談に乗ったり、お酒を飲んだりすればいいと思います。
親から愛されていなくても、別にそこが理解できて自分の中で受け止められていれば問題なく、親以外の人間からも愛されます。
愛されればその人のことを愛したくなるはずです。
海燕さんは自分自身というか、認識の価値を低く見積もり過ぎている気がする
それは謙遜とかから来ることなのかもしれないけど、
なんていうか、甘えてばかりいる闇属性の人間だけが集まっても赤ん坊ばかりで誰も親になれない、
っていう事実は確かにそうなんだけど、その状態を認識して親というロールを自己犠牲的に演じることで満たされる人間もいると思う。
というか否定されそうだけど海燕さんとかまさにそんな感じに見える。
現在の事実を理解して必要な道具を持ってきて現状を解決するっていう人間特有の認識って能力をもうすこし高く評価してはどうか。
そんなに苦しいなら、愛なんていらない。否定すれば楽だろうに。
よくわからんがクンフーを極めれば哀は愛に変わると言うことか。
なんとなくシュヴァルの理想宮やヘンリー・ダーガーのようなアウトサイダーアートめいたものを連想した。
やや違うが、例えば職人や技術者としてひたすらに至高の技術習得に邁進するのにも似たものを感じる。
積みあがった膨大なデータ、取得した技術、作り上げた何か、そんな膨大な「土台」が万人に自己肯定を、自信を、安定その他何かをもたらしてくれるかどうかはわからないけども、確かにそこにある境地に至れた人の存在はもがく人にとってのロールモデルになるんじゃないだろうか。
若干修行僧な気がするが。
経験から言うと、取得した膨大な何かは自己肯定と安定をわずかでももたらしてくれる。確かに効果はあると思う。
まあでも修行僧しなくても、無駄に年を重ねるだけでも、その分降り積もる経験値だけでも自分を安定することはできるんじゃないかなあ。
年取ると、少しだけ若いころよりも息がつけるようになってこない?
アニメやら漫画やらに例えられている上に、よくわからん横文字もあったりしておっさんにはイマイチ要領えない。
光属性?という属性をお持ちの方々が「何をしても人生はっぴー」な方々で、闇属性という属性をお持ちの方々が「とにかく自信がない、なんか生きるのが怖い」、契約者とかいう人たちは「これおもしれーからずっとやってよー」な方々でいいんですかね?
んで、光属性の方々は愛情を育まれて生きてきたのは、無条件に「愛」することを知っている。
んで、闇属性の方々は愛情を注がれていないので、「愛」するということの根本が分かっていない。
んで、闇属性の方々は「何かに没頭」することで「愛」の仕組みを覚えなければならない。何かに「契約」して「契約者」という属性を手に入れないと、光属性の方々の領域には入れない。ただ、蓄積されている闇のエネルギーが膨大なので、本気だせば光属性の方々と同等・・・いやそれ以上のスペックを発揮する・・・と。
と、まあ、自分なりに勝手に解釈しました。かいつまんでみると「数少ない光属性は愛されているから、なにやってもうまくいき、いつのまにか幸せな家族ができるが、そうでない人は頑張って研鑽を積まないと誰からも見向きもされない。だから好きなもん見つけて、それに打ち込めばきっと幸せになれるよ」ってこと・・・・?
そりゃまあそうだろう、と。なにも小難しい文章で文章にするほどの事か、と。
「誰にも愛されなかった人間は、誰も愛せない」
つーのがおっさんの結論。なにをもって「愛」とするのかはわからない。男女の恋愛?親兄弟肉親の愛情?「愛されなかった」という過程なら、その人は「愛」を知らない。知らない事を「やれ」というのは難しいっしょ、うん。まあ「誰かを愛するのは難しい」ほうが正しいかな。その人は「誰かに愛される」かもしれないもんな。
おっさん自身は誰も愛せないんだな。そんな資格はおっさんにはないから。
「誰も愛せない人間が、誰かに愛してもらう資格はない」
今北産業するに
・現代では、自己承認の心理を得られるような家庭環境はかなり減った。
・自己承認がなくても好きなことに打ち込めば自分も周囲も幸せに出来る。
・で、どうすれば好きなことは見つかるの?
という内容であろうか、と解釈しました。
当方の解釈があっているのであれば、特異点発見用の質問集が必要なんじゃないでしょうか。
質問内容的には、恐らく自己啓発本に書いてあるショボイ質問を数倍くらい増強した上、「他の人から見た自分の強み」とか「他人に貢献できる能力」みたいな「自分が他人に売れる能力」は排除したような内容になるかと存じます。
・・・参考になるかどうかわかりませんが、
闇にとらわれた挙句エゴを振りかざして傷付け合う事しか出来なくなった人間がどうなるか考察する為に、
黒澤映画の「乱」の台詞の抜粋と自作の小説の台詞の抜粋を併記して、ネット上で知り合った方の掲示板に書き込まさせて頂いた内容を、こちらにも書き込んでみます。
まず、「乱」から、
「神や仏はいないのか、畜生! いるなら聞け! お前らは気まぐれないたずら小僧だ! 天上の退屈しのぎに人を殺して喜んでやがる。やい! 人間が泣き叫ぶのがそんなに面白いか!」
「言うな! 神や仏を罵るな! 神や仏は泣いているのだ。いつの世にも繰り返すこの人間の悪行、殺しあわねば生きていけぬ人間の愚かさは、神や仏も救う術はないのだ。
泣くな! これが人の世だ。人間は幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ。見ろ! 今あの一の城では、人間どもがその悲しみと苦しみを奪い合い、殺しあって喜んでおるわ!」
次に、自作の小説から、
「・・・お前には本当は解っているのだ。エゴを振りかざして幾ら傷付け合ってみても、
本当の幸福は決して得られない、寧ろ幸福が破壊されるだけだと。」
「・・・・お前は、心の何処かで、お前自身は決して幸福になれないのだと、思っている。エゴに衝き動かされて傷付け合う事しか出来ないのだから、当然の事だ。
そんなお前が共存を体現出来る、幸福を掴む事が出来る者を目の当たりにした時、必然的にお前を衝き動かしたのは、妬みだ。」
「・・・お前は共存共栄など甘い戯言だと叫ぶ。
それはお前がそう信じているからではない。
共存共栄を体現し、支え合い、愛し合う者達を目の当たりにすれば、
お前はみじめにしかなれない。
共存共栄は否定されるべき甘い戯言でなくてくれなくては、お前は耐えられないのだ。
皆が、お前と同じ様に、
エゴを振りかざし合い、傷付け合い、殺し合い、
みじめに、不幸になってくれなければ、お前は耐えられないのだ。
人間は争い合う生き物だとお前が言うのは、お前がそう信じているからではない。
それは既にお前の願望ですらない。
妄念だ。
人間は憎みあい争い合い殺し合うみじめな生き物であると、お前自身に言い聞かせ続けなければ、
お前は耐えられないのだ。」
「・・・・お前は哀れな奴だ。」
敢えて訊いてみてもいいですか?
貴方はどう思いますか?、と。
結局何が言いたいかというと、誰かを愛するためには誰かを愛せる心の余裕を持てれば良いってことかな?
心の余裕ってのは光属性の人間は最初から持っていて、闇属性の人は後天的にライフワークから作り出さないといけない。
でもって、幸せ核家族計画はこの先難しいから、光属性の人はこれから先生まれにくいんで中心人物がが足りなくなるから闇属性の人も頑張ってアンカーになろうねってことで。
生きるの少ししんどいしな、文章書くのをライフワークにしようかな・・・
前置きの時点で読むのやめた
意味ない文章。ロマンティック・ラブが近代社会??笑っちゃうよ。
人間が存在したときから恋愛も存在していたと思うよ。
皆さんのことを考えてあえて一本の記事にしたって、、、、wwwwww
意味のない横文字言葉と単語の乱用。それを使って英語でブログ書いてくださいな。
おかしいってことがわかると思います。wwwwww
へぇ、わかりやすく書いてますねぇ。
とても共感できます。
アンカーとなった人間がその後
どういう環境で、どう思うのか、どう行動するのか
というところも書いてくれると面白いですね。
そこに人間社会の善と悪、損と得、愛し与えることの概念が見えてくるはずですから。
こういう分野は聖書の内容が結構参考になりますよ。
現実社会と照らし合わせがやりやすくなります。
コメ欄を見るに、もしかしてこの世には愛と愛じゃないものの二つしかないという解釈が通俗的になっているのでしょうか?ちょっと世相を掴みかねていたのかも
その「自己承認には愛が必要だ」という説に対して「いやいや他者への承認ですら、他人からの愛や自分への愛が無くても承認可能だよ、趣味に没頭するとか」と論戦を仕掛けているのが今回の記事なのでしょうか?だとしたら確かに、旧来に対する新しい世界観として反論になっていますね
愛なんて定義の難しいものを、細分化せずに丸まま使って論を組み立てようとはびっくりです。というか慢心と言ってもいいでしょう
そんな中で間違ってはいないレベルで自己肯定について語り、そこからさらに他者肯定についての波及効果にも言及できているのは逆にすごいです(でも他者肯定がそれでしかできないという見方ができるなら、「すごい人からしか褒められても嬉しくない」という人の特性に気づいているのではないのだろうか?なぜそこで止まり論を深化拡大しないのだろうか・・・・?)
アンカーになる必要はない。
まず、「だれにも愛されなかった人間が」と表題にあるので執筆者さんは親もなく、着の身着のままで生きてきた壮絶な人生を送っていらっしゃるお方なのかとドキドキして記事を開きました。しかしながら、本文を見るとお仲間と一緒に楽しそうにお酒を飲んで居られるようなので拍子抜けすると同時に安心いたしました。
そうなると「だれにも愛されなかった人間」はどこに行ったのでしょうか。本文を読んでも一向に現れません。どうも刺激的な表題にまんまと引っかかってしまったようです。
では、「だれにも愛されなかった人間」は本文内のどれに当たるのでしょうか。
読み進めていくと「闇属性」という言葉が出てきます。本文内の言葉を借りると「闇属性とは自分の存在に強い懐疑を抱いていて、大きな不安なりルサンチマンを抱えた人種のこと」のようです。それでは今回の議題は「闇属性の人間がひとを愛せるようになるにはどうすればいいか」ということになるのでしょうか。
ひとつ気になる一文があります「割合にすると、光属性のひとはきわめて少なく、闇属性のひとのほうが圧倒的に多数派です。」という部分です。この世の中の圧倒的多数の人間がひとを愛せることができない人間なのかというと疑問が残ります。ということは「闇属性の中の一部の人間がひとを愛せるようになるにはどうすればいいか」が今回の議題になりそうです。
議題を定めるまでにかなりの欄を消費してしまいました、これでようやく読み進めることができます。
「したがって、ぼくたちは「闇属性になってしまった人間が、どうやって生きていけばいいのか」、その処方箋を考えなければなりません。それができなければぼくたちに一切の希望はないでしょう。
なぜなら、「健全な家庭の愛情にもとづく自己承認を得られなかった人間はどうやっても幸せになれない」という結論に至ってしまうからです。それでは困る。ぼくは闇属性でも幸せになれる道を模索したいのです。」
・・・どうも「闇属性である執筆者さんが幸せになる道を探したい」ということのようですね。
こうなると表題とかけ離れるだけでなく、目的も個人的なものになってしまいます。
申し訳ありませんがこのあたりで興がそがれてしまいました。この後の話で議題まで辿り着くのであれば見たい気もしますが難しいでしょう。
一応最後まで目を通しましたが石の上にも三年、好きこそものの上手なれ、継続は力なりといった言葉を贈りたいと思います。
光属性、闇属性、アンカー。とてもいいネーミングだと思いました。
ネーミングされることで誰しもがこのテーマについて気軽に論議を交わせるようになる。
たくさんの人が読むブログでこういうネーミングが出来た功績は大きいと思います。(えらそうにすいません)
今話題のニコニコ超会議、壇上の光属性の人々(ひろゆき等)の元に、すさまじい数の闇属性の人間が集結しているように見えて、心の寂しさを埋める「人工的な家族」的イベントなのかなと思えてきました。
・・・ニコ生も、生主と取り巻き(リスナー)の人工家族な感じもしますし、今起きている大きな流れをつかむヒントになり得るナイスな記事だと思います。
何日か前に管理人は高校生なのか?と、とても感情的なコメントを書きました。自分でもどうしてそんなに感情的になったのかわからなくてここ数日考えていたんですが、謝罪の意味も込めて、考えた理由を書こうと思います。
おそらく、このコメントは読んでいないでしょうから、ほとんど自己満足なんですが。
1.海燕さんの主張は私が嫌いな新興宗教を思い起こしたから。
個人的な経験なので割愛しますが、「幸福の科学」の信者から聞いた主張と似ており、不快感がありました。
2.ライトノベルやアニメなどの主張やテーマ性、心に残った話を現実で活かそうという話はよく聞きます。。
しかし、この記事だと親というロールを引き受けるラノベの関係性を現実に持ってきて、ラノベ的な人間関係を構築すべきと言っているように私は読んでしまいました。
ラノベではなく、宗教を例にします。キリスト教やイスラム教の博愛精神を持って、現実で生き、誰かに優しくするのはいい事だと思います。しかし、一部の右派のようにテロを起こしたり、最終戦争を起こそうという人を私は嫌います。この記事の文章を読むと、そういった現実を生きるのではなく、フィクションを現実に広げようという人々と同じような印象を受けたので、不快になったと思います。
3.今まで海燕さんが書いていたようなことは嘘だったと失望したため。
他の人も指摘してますが、文章を読むと、結局、「人を愛せない海燕さんが幸せになる道を探したい」という主張が読み取れます。私はこのブロマガを購読しようか悩み、何度か無料記事部分を読んでいました。
そこでの海燕さんの主張は、リア充に比べオタクが不幸ということはない。事実、オタク文化に囲まれている自分は幸せだ、ということを言っていたと記憶します(もしかしたら、有料記事部分に正反対のことが書かれていたのなら、完全に私の一人よがりの怒りです)。
ところがこの記事を見ると、自分は不幸だ。オタク的ラノベ的人間関係を築きたいという海燕さんの欲望が何度も顔を出してます。すなわち、リア充的な仲間に囲まれる日々を求めている、と私には見えるのです。これって、お金を出して読んでくれる人をバカにしていると思いませんか? 少なくとも、お金を出して記事を読もうと悩んでいた私は怒りました。
その他、主観と客観が入り交じって読みにくい。仲間内だけで使用する言葉を使用して、何かを説明すること(ファイナルファンタジーシリーズの某作品のように専門用語で状況を説明しても相手には伝わりにくい)。主張がぶれており、結局なにをいっているのかわからないなどあります。そういったことで、怒りを覚えたのかもしれません。
ところで、海燕さんは「ナツノクモ」というマンガをご存知でしょうか?
SF好きと書かれており、SAOを素晴らしい作品とおっしゃっているのですから、呼んでいると思います。
海燕さんがおっしゃることをやっていくと、このマンガの動物園のようなメンバーのようになりそうで、私が不快感を感じたのかもしれません。
こんな文章に金だす人間が居ることが信じられない
新聞とったほうがいいよ
この記事には一定の正しさがある。「闇属性」に当てはまる日本人は年々増えてきており、彼らは他者を蔑みながらも自分を価値のあるひとりの人間として認めることができないでいる。彼らがそこから脱出するための方法は限られているし、わざわざ脱出しないで済むならしない者が大半だ。「誰にも愛されなかった」者は多くのケースでは似た者とくっついて子を産むしかないし、そうなればまずその子を愛することはできないのだから、今後もいなくなることはないだろう。
だが、「闇属性」から脱出、もしくはできないまでも少しでも「闇」のレベルを下げたければ何をすればいいのか。そのために必要なものについて価値のある考察がなされていると思う。結局は趣味に一生懸命、というような意味では?
私が思うに、この方法で少なくとも「闇」の度合いはましになるだろう。少なくとも、生きるために動いていくことはできる。
ただ、趣味に没頭しただけでは彼らが「根拠のない自信」の欠如という問題を克服することは難しい。これをなんとかすれば、アンカーとか擬似家族とか、そういうことを考える必要もなくなって「闇属性」から脱出できるのではないかと思うけど。そのための方法について私は、結局自分の負の面と向き合ってすべてを人のせいにしないで受け入れられるようになることしかないと思うのだけど……それができる者はやはり多くないのか。
とても分かりやすく、興味深い記事でした。
感覚的にぼんやり思っていたことを、文章におこして頂けたという感覚で読めました。
光属性、闇属性をはじめ、ライトノベルを例に取り上げた部分に、
人間は様々なコミュニティでロール(役)を持つのだという説得力を強く感じます。
気づいてなくても、何か役割を与えられて生きている。そういうものですよね。
その役割を窮屈に感じたり、不満だったりすると、アイデンティティを見失う人もでてきます。
そんな人たちに、指針といいますか、応急措置としての出口(思考の変更)を指示しておられると感じました。
そこから先は自分次第で、どのくらい時間がかかるかは分かりませんが、この記事で言うところの「アンカー」に近付けることが、闇属性の人間の救いになるのかもしれませんね。
筆者さんの言われるキーワードや言われている事
どれも感覚的に何を指しているかわかりましたのでその意味で頷けはしました。
「属性」が指しているものを決める要素として、親からの愛情などの環境が大きいと思われる
というのはどうも腑に落ちません。
私は本人が自身で獲得した持ち前の性格(生年月日の影響だとか...詳しくないですが)が圧倒的だと感じています。
核家族システムが社会的に機能していた時代、その前の旧来のシステムの時代
いつの時代も、両方の属性の人間はシステムの影響もなく変わらずいたのではないでしょうか。
それはこれかも同じです。
もっと言うと、属性というのは自意識からくる主観であり、それを現実の人間に当てはめるのは難しいと感じています。
私の周囲の人間を思い起こしましたが、どちらかに分類する事はできませんでした。
元々が、抽象的な表現であるアニメやキャラクターを考察して楽しむ手段としては有用かと思います。
いい事いうなぁ
現に海燕さんがここで好きという活動をしてることで
いろんな人間に愛されるようになっていってる
どんどん海燕さん自身が愛される存在になっていってるのが良い証拠だなあ
現に川上会長に気に入られ愛されるようになったし
特定の人間に愛を向けなくても愛は得られるものだというのがよく分かりました
やべえ契約強者だわ自分 なんかすごい人間みたいでうける
素敵
どこぞのサイトで、より幅広い感じで「望みに向かう」ことの重要性を説いてたのを思い出した。
まあ確かに、長い年月好きなことに打ち込んでれば、それが的外れな努力だったり自分に嘘をついてなされたりしたものでもない限りは一芸に秀でることにもなるだろうし、過剰に結果ばかりに気を取られたり他者と比較したりする精神状態からも抜け出せれば、自己肯定感は高まるだろうな。
あとは、自分に嘘をつくことなく「好き」と言えるものに巡り合えるかどうかが問題だな。
場合によっては、それが一番難しかったりする。
自分に嘘をつくのは、だいたい意識せずにやっちゃうことだから。
はがないは読んだことないがそういう話だったのか
面白かった
要約すると、
「自分の意思で選択し、自分のやりたいことをやりなさい。そうして目指すものが決まったら、わき目を振らず、繰り返し鍛錬を積みなさい。そうすれば幸福に近づけますよ。」って解釈でいいのかな。
自我欠損と自立の問題だと思うんだけど。
好きが見つからないから契約という強制で続けさせるって事じゃないの?
他のことはどうでもいいくらい好きなんてなかなかないでしょ。
それがないからみんな困ってる。
何でも極めれば類は友を的に人は集まる。だから勘違いでもひたすら一つの事に励め!
それも一つの幸福ですって話がまっとうだと思う
おもしろい記事だった。
色々考えさせられるし、コメントにも色々な意見があってコメント含めて読み応えのある記事だと思う。
自分の得意とする長所をとことん極める。
アーティストでもスポーツ選手でも名工と呼ばれた職人さんでも、
それを極めて他者には無い拘りをプラスした時、個の魅力となって興味を持った理解者が集まって来る。
蛇足は多いけど、素晴らしい読み物でした。
ただ、話の流れの持って行き方が各漫画への誘導にも見えなくもなく
いわゆるステマ気味で白けそうにもなった。
面白いし自分の中にすとんっと入ってくるいい考察でした。
オレはこれに当てはめると元光属性のコーリングだったけど闇堕ち、
その後光属性の時の遺産を使って契約強者に昇格したってなるのか。なんかカッチョイイ。
まあ実際には没落した後周囲繋がってた道をすべて潰しただけなんだけども。
闇属性だけで家族を作ったらどうなるかは家族計画を見ればわかりやすいね。
どう頑張っても絶対に崩壊する。まああれは精神的な問題だけじゃなかったけど。
コメントは見ていません
私はこれを見ても、そもそも、これを判断できるだけの頭がないので、わからないの一言です
他の方々は結構いろんなことわかってるようですが、私はまったくわからないです
このことから私はこう言いましょう、無能者はどこまで行っても無能者で、存在価値などないよと
故に闇?属性からの脱却など不可能なんですよ
ある小説でこんなものがありました「天才は1聞いて千や万知れる者だ、凡人は1聞いて1や十知る者だ、無能は1知るために千や万やらなければいけない」ってね
成長率とも言いますがね
このことから、どんなに頑張っても、凡人にも満たない無能者にはどうしようもなく、死んでしまえってのがFAなんですよね(存在価値などないって意味で)
訳は非常に簡単、質と量(知る部分)はほぼ変えることはできないからなんですよ
量は時間と=です、故に全ての人に平等に流れます、変えれませんね?
質はそのまま本人の資質で上下してしまうものです(効率良くするのだって資質の高い人のやその人に合った方法でなければ崩れますので)
では、どこで差がつくか?本人の資質こと成長率ということになる
結局、無能は死ぬことが一番幸せになれますよって言ってるものなんですよね
無能に成長させてくれるほど、社会というのは手を伸ばしてくれないんですから(もしくは無能の成長に付き合うことができる人がいるかってことだし)
私は紹介された話は全部知りませんが、極論で言ってしまえば上記のようなのだと思いますよ?
でも、無能だから死ねというのは、無能と言う立場からすればたまったものでないのも事実
なにせ、なりたくてなってるんじゃないんですからね
私個人は生きたいわけでもないけど、積極的に死にたいわけでもない
某ゲームのメインキャラクターが言った言葉のようなのが私には当てはまってるでしょうね
「おまえたち、生きてない!死んでないだけ!」
生きるということをしたい人、それでも、そこまで行くことの出来ない人はどうすればいいのでしょうかね?
非常に同意する部分が多いですね。私も相当な闇属性です(笑)ただ今は「クンフー」を積み上げている練習をしているといったとこでしょうか。前半部の倫理学、社会学の話は面白いのですが、こちらが知識不足のため、まあなんとなく分かるといった感じでちょっと悔しいですw
僕もそうですが、闇属性の濃い人間っていうのは人間の思考なのか存在そのものに絶望してる節があるように思います。だからモノにはまる人が多い!私は風景とか一部の生物とかを見たり感じたりするのが好きで、見たり探したり、次はどこへ行こうかとか考えてるだけで1日終わる(笑)周りでも植物とか鳥とかに没頭する人間を結構見ています。私の場合知識を増やす必要性を感じておらず、ただその自分の美的感覚に浸るのが好きなだけなので、周りに知識自慢したりとかできないんですけどorzそれがちょっと悔しいw一般人よりは圧倒的に知識ありますけどね。
ちょっとシモの話ですが、私はAVもそこそこ好きなんですが、エロ漫画の方が好きなんですよねwこれはなんでかというと、AVっていうのは女優さんの悪い本音というのが見え隠れしてしまうのに対し、エロ漫画はその2次元の世界の中では少なくとも本当に楽しそうにHしてるんですよね(笑)無駄に妄想しない限り負の部分が見えない。だからエロ漫画の方が安心して読めるんですよね(笑)共感してくれる人いそう。アニメとか見ないけど、多分似たような思考が働いてるんではないかと思いました。
コメント長くてすいません!
核家族の崩壊により親からの愛情を受けられなくなった子供は、仲間との繋がりで擬似家族を手に入れようとする。これと『ワンピース』や『けいおん』や『俺妹』を結びつけるのはこじつけだと思う。どれも求めているのは対等な仲間であって親子なんて上下関係は求めていない。仲間や家族といった他者との繋がりに価値を見出している作品なら昔から『キン肉マン』に『妖怪人間ベム』とあるし特に現代的なテーマとも思えない。
そもそも核家族の崩壊が子供を闇属性にするという前提が正しいのか怪しい。ここでの核家族の崩壊は夫婦共働きになることなんかを意味してるのだろうけれど、そうしたところの子供が家族に愛されない理由が説明されていないので説得力に欠ける。両親が子供と接する時間が減れば愛さないかといえば違うだろうし、大家族は人数が多いので一人当たりにかける愛情は減るともいえる。
ちょっと見方を変えれば男らしく女らしくと価値観を押し付けられ父親が家庭内で威張り暴力を振るい世間体を気にする昔の日本的家庭の方が、両親からの愛情を独占する一人っ子が増えていたり個性が認められる現代家庭に比べて闇属性の人間が増える気がする。