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先日、ペトロニウスさん(@Gaius_Petronius)とTwitterでかなり長いやり取りをした。その模様はTogetterに簡単にまとめてあるが(http://togetter.com/li/427214)、なかでも興味深かったのは「場」とバリュー(価値)の話。
ペトロニウスさんはいう。
重要なのは、若い人が、自己のバリューなしで、初めの一歩ができるか?ということ。そして、バリューがない自分を積み重ねる間に、我慢して「場」に貢献できるかどうか?ということ。でないと、成長と成熟はなかなか来ない。ステージが上がらないので。
この話はよくわかる。ある「場」に所属したいと思ったら、その「場」にどんな貢献ができるのか、自分のバリューを示さなければならない。しかし、若いひとはなかなかそれだけのバリューを持っていないので、「初めの一歩」が恐ろしい。どうやってその恐怖を克服し、「初めの一歩」を踏み出すか、また、そのあといかに関係性を維持しつつ自分のバリューを積み重ねるか、それが問題だということ。
ここでは「貢献」という硬い言葉を使っているけれど、それほど深刻な話ではなく、ただ話していて何もおもしろくないひととはだれも積極的に話したがらないよね、というレベルのことだ。
その反対におもしろく話せるひとにはバリューがある。そういうひとのまわりには自然と人間が集まってきて「場」ができるわけだ。そういう「場」で、何もおもしろいことを話せなかったり、新しい意見を生み出せなかったりする者はどうすればいいか?
結局、自分なりのバリューを見いだせるよう努力するしかないわけだが、バリューの積み重ねは幼い頃から始まっているわけで、なかなか厳しい。まあ、知識や経験では大人にはなかなかかなわないわけで、若いひとが「場」に持ち込めるバリューは新鮮な感性とか時代感覚になるだろう。どうやって「いま」を捕まえて、それを伝えるかが勝負。
「いま」をしっかり感じているひとたちがいないと、それはそれで「場」は閉鎖的になって、年老いていく一方だ。だから、若いひとは「場」に新鮮な風を吹き込ませる役割を任じればいいかと思う。
ぼくは自分より若いひとは「先生」と思ってリスペクトしたいと考えている。30歳をはるかに過ぎたいまでは、自分より若いひとはそれだけ「いま」に近いところにいる。そういうひとたちの若い感覚にふれることは、ぼくの硬直した感性を若返らせてくれる。
だから「場」にはやっぱり若者が必要なのだ。そして若いひとも成熟した「場」から得るものは大きい。大切なのは「初めの一歩」とその後の「努力の継続」である。
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>>自分なりのバリュー
人とは違う視点、新しい視点
>>常に価値のある情報が行き交っている
>>与えられたものに対して何か返礼できるか
塲への愛が止まらない状態
言いたいことはわかるし、その通りだと思う。でも、問題点が2つあると思う。一つは、若者がどうやって勇気を持って「初めの一歩」を踏み出せばいいのかという具体案がない。だから、抽象的な議論になって結局「勇気を出せ」で終わってしまう。もう一つは、「場」を提供する側が自分のバリューを認めてくれないといけないということだ。多くの若者は、自分のバリューを他人に認めてもらえないと感じている。