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きょうはもうひとつ「ブロマガ執筆の裏側」的な記事を書いてみようと思います。書評とか映画評がお好きな方はスルーしてください。
さて、「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」とは云うまでもなく、エキセントリックな演出が印象的であったアニメ『輪るピングドラム』の名ゼリフだが、ぼくはいま、わりとまじめに「何者か」になりたいと思っている。
この場合の「何者か」とは、ずばり「肩書き」のことである。いいかげん何か肩書きが欲しいなーとか考えるのである。
いや、以前からずっと欲しかったのだけれど、ここに来てほんとうに肩書きの必要性を感じている。いままではまさに「きっと何者にもならない」ただのひと、であったのだけれど、さすがにそろそろ自分を「何者か」として定義するべきなのであろうと。それが戦略的な正着なのではないか。
この場合、ぼくはべつに増長して「いいかげん自分も何者かを名のるにふさわしい人間になっただろう」と云っているわけではない。
そうではなく、じっさいには「何者でもない」からこそ、「自分は何者かである」と決めつける必要があると感じているのである。
そうやって「自分はこうだ!」と決定することによって初めて、ひとはほんとうの「何者か」へ一歩、足を踏み出すことができるのではないか。
つまりは、ぼくはさすがにその一歩を踏み出さなければならない時期に来ていると感じているわけだ。「何者でもない」ということは、「何者にでもなれるかもしれない」という淡い可能性を担保しているということでもある。
しかし、さすがにもういい歳である。さっさとその幻想をぶち殺さなければならない。「何者か」へ向けて歩み出す時なのだ。
何よりインターネットを通し自分自身をコンテンツ化してビジネスを展開しようとするとき、商品である自分を「何者か」として定義できることはものすごく有利に働くという気がする。
云い換えるなら、「自分は何者でもない」と感じたままビジネスすることは非常にむずかしいということ。なぜなら、それは商品のセールスポイントを確定させられないまま商売しようとしているに等しいことだからだ。
どうもこのブログの最大の弱点はそこらへんにあるのではないかという気がする。このブログは、「書きたいことをそのままに書いている」。いわば、趣味としか云いようがない内容でお金をもらっているブログである。
更新頻度も内容の密度も安定しないことは御存知の通り。いままでは「それでもいい」と思ってきたが、まあ、良くないわなあ。
もちろん、アマチュアリズム故の勢いというか、とんがった部分を全部否定したらつまらなくなってしまうとは思うのだが、ほんとうならそこを残したまま方法論を洗練させるべきなのだろう。
更新のタイミングにしても、毎日同じ時間に、同程度の分量を放出するというやり方が良いのだろうな、とは思っている。
また、ほんとうは常時ストックを数十本くらい用意しておいて、それとリアルタイム性が高い記事を組み合わせて発表するのがベターなのだろうということも、理屈ではわかっているのだ。ただ怠けているだけでね……。
ぼくはよく「怠惰の負債」という言葉を使う。ひとはほんとうは必要なことを怠けていれば必ずその負債を支払わされる――。
いやまあ、もちろん、「その限界の枠内」で満足しているのなら、それでもかまわないわけだ。しかし、「さらに次のステージ」へ進もうと思ったら、勇気を出して「自分はこうだ」と定義しなければならない。
たとえば、アルテイシアさんだったら「恋愛とセックスの専門家」みたいなイメージでビジネス展開している。一方、ぼくは「何者とも云えないはだかの個人」のまま勝負しているんだよね。この差は大きい。
そのわりにはそこそこ頑張っているとは云えるかもしれないが、そこにあきらかな限界があることは変わらない。その限界の向こう側へ行くためには、いい訳の余地をつぶしておく必要がある。
「あくまで趣味だから」といった「おれはまだ本気出していないだけ」的ないい訳ができる可能性をことごとく抹消しなくては、「次のステージ」へは行けないだろう。
だから、
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