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イケダハヤトさんのブログで「産んでいいドットコム」というサイトがあることを知る。
いつできたのか知らないが、Twitterを見ると、話題になっているのは最近のようだ。
繊細な取り扱いを要する問題が絡んでいるのでじっさいのところはリンク先から飛んで読んでいただきたいのだが、あえてまとめるなら、出生前診断によって「産んでもいい障害」と「産まない方がいい障害」を分けることを提案しているサイトであるように思える。
「産んでいい障害」とは、家族を苦しめない(あるいは苦しめる度合いが少ない)障害であり、「産んではいけない障害」とは家族を苦しめる障害であると説明される。
つまり、「一部の障害は家族を苦しめるので、出生前診断によって判定し、中絶するべき」と主張しているように思える。これが「優生思想」だとして問題になっているわけだ。
そして、じっさいこのサイトを読んでみると、ほぼダウン症を狙い撃ちしている感がある。しかし、それならダウン症に対する悪意に満ちた差別的なサイトなのかといえば、判断がむずかしいところだ。
あるいは、書き手は心からダウン症の害を感じて、このサイトを作ったのかもしれない。書き手が何者で、どういう事情でこのサイトを作るに至ったのか、一切記述がないので、何とも判断できない。ここらへんはどうにも片手落ちではある。
出生前診断と胎児中絶に関しては、実に長く複雑な議論があるのだが、ここではそれらを紹介して語ってゆくことはしない。図書館に行けば専門の本がたくさん置いてあると思うので、調べてみてほしい。こういう云い方をすることが正しいなら、実に興味深い議論が見つかるだろう。
ぼくは一時期、興味を抱いて調べていたことがあるのだが、とても要約しきれない錯綜した議論の結論として、最終的には女性の中絶する権利を否定できないように思う。
何といっても、子供を産むのは女性自身なのである。ただ、それは出生前診断や障害児の中絶を肯定することではない。産む、産まないを決めるのは女性自身でしかありえないという凄愴な決意は、あるいは「権利」というきれいな言葉では表しきれないかもしれない。
さて、「産んでもいいドットコム」である。じっさい、このサイトの論理的な瑕疵を非難することはそうむずかしくないように思える。何といっても、論理の展開が乱暴である。
このサイトでは、ダウン症の子供を持った親の「本心」が縷々述べられているのだが、かってに他人の「本心」を代弁されても困る。「ダウン症の親はほんとうはこう考えているのです」などと、当事者が発言してもいないことを述べ立てることは、控えめに云っても問題含みだろう。
その理屈が通るなら、当事者がいくら「この子が産まれてくれて良かった」と云ったところで、「それは本心ではない。ほんとうはダウン症の子供など産まれないほうがよかったと思っているに違いない」と否定できることになる。
これでは、議論さえ始まらない。つまりは、当事者の現実を無視して、第三者が「こうに決まっている」と思い込みを投影しているにすぎないわけで、それはやはり無理筋な論法だろう。
もちろん、じっさいに障害児を産んで苦しんでいる親もいれば、「やはり産まないほうが良かった」と思っている親もいるには違いない。しかし、それは第三者がかってに決めつけていいことではない。あたりまえの理屈だ。
仮に当事者がみな苦しんでいるとしても、どんなことに、どのくらい、どういうふうに苦しんでいるかは、適当に決めていいことではないだろう。
そして、ふと思うのは、そもそも苦しんではいけないのだろうか?ということである。
このサイトは「家族が苦しむこと」を論外の悪として指摘しているように思える。しかし、どんなによくできた子供であっても、親にいくらかの苦労はかけるものではないか? 子供を産むということは、そのリスクをひき受けることではないだろうか?
そして、親自身がその苦労を通して成長していける一面もあるのではないか? 「子供による苦しみ」はほんとうに全面的に悪いものなのだろうか? あるいはこれ自体も単なるきれいごとの言葉遊びかもしれないが、そう考えてみると、違う視野が拓けてくるかもしれない。
「産んでいいドットコム」はたしかに問題を含んだサイトである。じっさい、一定以上の知性と知識を持ったひとならこれは差別だ、優生思想だ、と指摘するひとが多いように思う。
しかし――ただそれだけで終わらせていいのだろうか? いつも思うのだが、わたしは差別したりしませんよ、と口で云うことはたやすいのである。
おそらく、この社会に生きているまっとうな人間ならだれもがそう云うだろう。優生思想は良くない、障害を持った子供にも権利はある、それはまったくもって正論だ。
だが、
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コメント
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「差別」という観点で捉えるのはなんか違う気がします。
親が悩むのは個人の苦しみなのにそれを一般化したら差別になるというのはどうもおかしい。
差別ととらえることはできるかもしれませんが、差別問題に対する手法でこの問題を理解したり解決できるとは思えません。