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 中村尚儁『1/11 じゅういちぶんのいち』の最終巻が出ました。初期から注目していた異色のサッカー漫画ですが、全9巻で綺麗に幕を閉じることになったわけです。

 決して派手な作品ではありませんし、歴史にのこるような名作かといえばそうではないかもしれませんが、ぼくは非常に好きな漫画です。未読の方には全力でオススメしたいですね。

 この作品の面白さは、いわゆる華やかな「成功」にだけではなく、その影の「不成功」にも目を向けている点です。勝利だけが、プロとして頂点を究めることだけがサッカーではない、そんなメッセージがあるように思われてなりません。

 さて、現実に目を向けると、まさに世界サッカーの頂点を決めるワールドカップが間もなく決勝戦を迎えようとしています。

 わが日本は早々と敗退してしまったわけですが、それを見て、「やはり日本サッカーはまったくダメだったのだ」と思ったひとも少なくないでしょう。

 「こんなに無残な敗北を遂げた選手たちは苛烈な批判に晒されて当然だ」として、選手や監督に罵声を浴びせるひともいます。しかし、ほんとうにそうでしょうか?

 いえ、ぼくにはサッカーの試合内容について精密に分析する能力はないので、じっさいに日本サッカーがどのレベルにあるのか語ることはできないのですが、しかし結果だけを見て「それがすべてだ」と断じることは一面的であるように思われてならないのです。

 たしかに「プロは結果で評価されるのだ」、「結果が出せなかった人間は批判されて当然だ」という人はいます。そしてそれは一面で非常な正論ではあるでしょう。

 ですが、まさにそうであるだけに奇妙な違和を感じずにはいられません。「結果だけで評価されるのが当然なのだ」、「どんなに努力していても結果を出さなければ意味がないのだ」という考え方は当事者(プレイヤー)の思考としては妥当であっても、評価する側が結果だけでもの事を見るのはちょっと能がないよね、と。

 ぼくはたまに思うのですが、漫画『SLAM DUNK』の山王工業。湘北高校に立ちはだかる最大最強の敵として表れるかれらですら、その年の結果は「全国大会2回戦敗退」です。湘北に負けているわけですからね。

 となると、「その年の山王は弱かった」ということも、結果だけを見るなら云えなくはないわけですよ。つまりはしょせん無名校の湘北に負けてしまう程度の実力でしかなかった、と。

 しかし、その見方はやっぱり一面的ですよね。じっさいにその年の山王工業は恐ろしく強いチームでした。高校バスケットボール界最強のチームだったでしょう。

 それでも、負けてしまうことはある。そういうものだとしかいいようがありません。結果を見てものをいうことは、とても安全です。

 なぜなら、結果がはっきり示されている以上、ある意味で間違う危険がないからです。勝ったなら絶賛し、負けたなら非難する。そういうことをくり返していれば、どこまでも安全なポジションからもの事を語ることができるでしょう。

 ですが、そういう評価は、当然ですが結果によって乱高下することになります。選手がスランプに陥ったら批判し、そこから回復したら賞賛する。そういうことのくり返しになるのです。

 たとえばイチローや石川遼にしても、そういう世間のいいかげんな評価に晒されているように思えます。みんな、ワールド・ベースボール・クラシックのことを忘れてしまったのでしょうか?

 まったく打てないイチローを世間がどう非難し、そして決勝戦で覚醒したかれに向けてどうてのひらを返したか、それがどんなに極端だったか、憶えていないのかな。

 ああいうてのひら返しは、しろうとの宿命といえばそうですが、どんなものなのだろう。あえて云うなら、ワールドカップにしても、本田圭佑や香川真司、そしてサッカー日本代表の物語がここで終わったわけではないんですよね。

 ひょっとしたら、ぼくたちはいま、長い長い物語の「谷」の部分を見ているにすぎないかもしれず、次回のワールドカップでは日本代表は大躍進を遂げるかもしれない。

 今回、絶望の底に突き落とされたかに見える本田にしろ香川にしろ、次回も出場して大活躍することもありえる。そうしたらいま本田を批判しているひとたちは、またてのひらを返して「やっぱり本田はすごい」というのでしょうか?

 それは、