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まだ何かきれい事の感がありますねえ。うーん。むずかしい。
確かに戦争って言うのはある意味で魅力的ですよね。戦車、戦艦、戦闘機。よく知りもしない私でもワクワクしますもの。富士の総合火力演習でニコニコしながら10式戦車操縦する自衛官の顔を思い出します。岡田斗司夫の言葉を借りると、男の子の一生直らない病気みたいなもんです。スピルバーグ、宮崎駿なんかも克明に戦争を描いておきながら、ことごとく戦争に否定的なように、「戦争の華やかさに心惹かれつつ、絶対に避けたいと思っている」矛盾した感情を私たちも抱えているんじゃないでしょうか?
私もまた「戦争になるくらいなら、真綿で首を絞められるような地獄の日常を選ぶほうが良い」と思っているので、それをベースに書きますね。
平和を実感するのは難しい。海燕さんが書かれたとおり、敵味方共に血みどろになって死んでゆく戦争は分かりやすいけど、「戦争が無い状態」と言う意味の平和は相対的なもので感覚として分かりにくい。その意味の平和を約70年享受してきた私たち日本人は尚更そうでしょう。
だからもう「戦争は悪いから絶対にダメだ」という一方的な抑止では、みんな納得できなくなってるんだと思います。その上で、なお「戦争は絶対にダメ」というのなら、現実の戦争を断片でもいいから知る必要がある。
しかし、戦争を実際に経験した方々が戦争を語っても、実感の無い我々にとっては想像上の産物でしかない。結局はリアルな戦争を見るしかない。私たちが戦争をわが身の事として考えられるまで現実の情報を吸収する。それは無害な映像を映す置物になってしまったTVでは難しい(概念の話で止まらざるを得ない)。
最終的には「おのおのが戦争について自分で調べるように仕向けること」これしかないのかな。情報を得ようと思ったらいくらでも手に入る(精度はともかく)時代なのだから、いろんな情報に自ら当たって自分の意見を形成することを促したほうが、結果的に戦争の抑止につながるんじゃなかろうかと愚考します。学校や社会に、なんらかの方向性のある情報しか与えられないのが最大の問題。自分で調べるのが結局現実を見る一番の方法。戦争に限ったことではありませんが。
だから、入り口は何でも良い。ガンダムでも艦コレでもガルパンでも銀英伝でも。
あ、劇場公開中の『フューリー』良かったです。主人公の成長物語であり血みどろの地獄であり戦車がカッコいい。そして戦争の異常性をありありと描く。
入り口はフィクションのほうが敷居が低くていいかもしれませんね。
こんなとこです。
長々と本当にすいません。
初めまして、今回気になったのでコメントさせていただきます。
右傾化ってほど右傾化しているのかいまいちわかりません。いや、右傾化なんてしていないから!!なんて
声高に叫ぶほど見識も広くないってのが自分の実態なのですがね。
貴方も仰るように抑圧されたていた言論というのがあり、それが右向きな言論だったのではないかというのが自分の
推察であります。
その右向きな言論を抑圧してきたマスコミ(マスコミが全ての原因とは言えないけど原因の大部分というのが私見)が
ネットという既存メディア以外の言論を表現する場ができたことにより
マスコミ一強体制が崩れたことで右向きな言論が目立つようになり、拉致問題以降左派に本格的に逆風が吹き始めた
というのが自分の主観的な思考です。
以上のことからマスコミ、及び左派の弱体化が同時進行したことで右派言論が大きく目立つようになったと自分は
結論付けています。
大人の責任なので選挙にはもちろん行きますが、自分の印象的には
「自民党80点野党40点みたいな自民が野党より優秀」というより
「自民党20点野党テスト自体してない」というように見えています。右傾化してるから、自民が優秀だから選ぶではなく、野党の政治能力に信用をおけないというやつです。自民を選ぶ時点で右傾化といわれるのでしょうがね。
現実の戦争について知りたいのならイスラエルやアフリカの一部の国の方々の体験談とかをもっと広めるべきだと
自分は思います。戦後生まれで実際の紛争も戦争も体験せず、知らないで生きてきたような人間の語る平和だの戦争だのという本の中の言葉なんかよりずっと重いのではないでしょうか。
ネタですが、センゴクって漫画で現ロシア大統領みたいな顔した上杉謙信が言ってました。
世の静謐とは終わりなき闘争である。だったかな
生きているだけで、決められた数の椅子しかない中で他者からそれを奪いとり、他者を踏みにじりながらですから
人間の業はとても深いのです。
知った風な口をきくなら、「種としてよりよい遺伝子を残すための洗練=生き残るための争い」ってやつだと思いますよ。
とまあ、主観まみれで小汚いきれいごと未満な駄文をながながと失礼いたしました。
別にそこまで難しい話でもないよね。
「何故右傾化して見えるのか」。
答えは明白、皆のニュートラルが真左向いてるから、「普通」に向かうために真ん中に舵を切ったら「右傾化」と錯覚することになる。
戦後70年も左に傾いて生きてきた日本人にとって、その状態が普通になってしまってて感覚が麻痺してるんだろうな。
「右傾化して見えるもの」の代表者を、仮にネトウヨとしましょう。彼らは右翼的なことを言いますが、同時にヘイトスピーチのような差別的言動もします。ここから考えると、彼らの行動は「自分の弱さ・劣等感・日ごろの不満」を、「国のため」という口実で晴らしているだけです。
また、政治家の中にはネトウヨを味方にしようという者もいます。今の世の中が右傾化して見えるとしたら、人々の悪しき部分が「右寄り」という形で表れているのでしょう。
ただ、海燕さんが自殺者を例に出したように、「戦争していなければ平和なのか?」という疑いは持っておくべきです。自殺の他にも、犯罪や天災が多い地域が平和だとは思えません。
さらに、いくら平和主義者が戦争はダメだと言っても、中国や北朝鮮に「核ミサイルを落とされたくなければ、毎年100兆円払え」と言われたらどうなるか。戦争を回避するために金を払うとしたら、きっと日本は平和ではなくなるでしょう。
また、戦争中であっても、全てが暗黒で不幸ということもないでしょうしね。
戦争を経験していない以上、「平和」について語るのは確かにどこまでも綺麗ごとな感は否めませんね。
対談でも語られているように、「戦争」の中にあっても「普通の市民達」が、突然悲劇の人たちになってしまったというように、彼らの日常について想像を膨らませること、卑近なものだと思わせることが、すなわち「戦争のアップデータ」なんだと個人的に思います。
然るに、そこの作業をせず、ドラマチックな「点」しか取り上げなかった戦後日本に対する、大きなうねりが今やってきているのかもしれません。それが「右傾化」と思わせる部分なのかもしれませんね。
それに対する対抗言説は、残念ながらその思考を放棄してきた現代日本には多分ないんでしょう。
無いからこそ、今からでも作り上げるしかないのだと思います。
それが出来上がったとき、真に「平和国家」と名乗れる国になれるのかもしれませんね。
私信:伊藤計劃氏著の「虐殺器官」は、リアルな「戦場感覚」を表現した作品だと思うのですが、読まれましたか?
「抑圧されたモノの復活」と「戦後日本の破滅願望」は、
佐藤健志氏が著書「震災ゴジラ」で指摘されてますね。
ニコ動でも「佐藤健志 ゴジラ」でキーワード検索をかけると
おおよその内容を語った動画がいくつか出てくるかと思います。
「戦時の死者と平時の死者」については
スタンダードジャーナル10月14日放送の005後半で
(http://www.nicovideo.jp/watch/1413802268)
ビョルン・ロンボルグ氏の
「戦場で死ぬ人間より殺人事件で死ぬ人間の方が、実は9倍多い」という発言を、
「戦争の持つロマン」については同放送の006前半で
(http://www.nicovideo.jp/watch/1413802274)
エドワード・ルトワック氏の発言を紹介する形で問題提起されています。
第一線の研究者達が問題提起している場所に
自力で追いついた海燕さんスゲエと、軽く戦慄しました。