「死に何か期待してる?」「少なくとも夜明けの船上でガキに撃たれてくたばりたくはなかったわけだ」――『攻殻機動隊』
ども。きょうも寝ころんでアニメを見つづける自称プロブロガーの海燕です。このところ、初期の『ドラクエ』並にシンプルなコマンドしかない人生を送っています。はっきりいってわたくし退屈! で、その無聊を慰めようと、三秋縋『三日間の幸福』を読んでみました。
「あなたと同じです。全部売っちゃいました。あと三日しか、残ってません」頭が、真っ白になる。「クスノキさんが寿命を売った直後、あの代理監視員の人が連絡をくれたんです。あなたが自分の寿命を更に限界まで削って、私の借金の大半を返してしまったということを、彼は教えてくれました。話を聞き終える頃には、私はもう、決めていました。手続きも、彼がしてくれました」きっと俺は、そのことを、悲しむべきなのだろう。すべてを犠牲にして守ろうとした相手が、俺の気持ちを裏切り、再びその生を投げ打ってしまったことを、嘆くべきなのだろう。それなのに、俺は幸せだった。彼女の裏切りが、彼女の愚かさが、今は、何よりも愛おしかった。
――ふーん、そうなんだ。幸せなんだ。とぼくは何だか白けてしまうのですが、この反応、どう思いますでしょうか? 疑問には思わないでしょうか?
「馬鹿は死ぬまで治らない」という言葉がありますが、僕はこれについてもう少し楽観的な見方をしておりまして、「馬鹿は死ぬまでには治るだろう」くらいに考えています。ひと口に馬鹿といっても実に様々な種類の馬鹿がいますが、ここで僕のいう“馬鹿”は、自ら地獄を作り出す種類の人々のことです。
(中略)
ですが、ぼくはこうした馬鹿を、死ぬまでには治るものと考えているのです。より正確にいえば、「死の直前になって、初めて治るだろう」というのが僕の考えです。幸運な人はそうなる前に治るきっかけを得られるかもしれませんが、たとえ不運な人でも、自身の死が避けられないものであると実感的に悟り、「この世界で生き続けなければならない」というしがらみから解放されたそのとき――ようやく、馬鹿から解放されるのではないでしょうか。
多分、その三日間は、俺が送るはずだった悲惨な三十年間よりも、俺が送るはずだった有意義な三十日間よりも、もっともっと、価値のあるものになるだろう。
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恋愛経験もないおっさんが
情緒の物語に小理屈でイチャモンつけてる記事ですか?
いろんな本を読んであれこれ思索をめぐらせても
実体験がないとなにもわからないと思うんですがね
恋愛体験があっても知能がないとわからないこともあるようで……。
前半は結構シニカルでよかったのに、後半になると、それまでは効いていた著者の自意識かなにかわからないけれど、いじわるなメタな視点がばっさりなくなって、あっさりとナイーブなところへ落ちていくんですよね。記事を読んで、違和感の正体はそこらへんにあるのかなと思いました。
たとえば、記事では乙一とは違う読み味だと書いていたけれど、設定やキャラクター、ストーリーに限ればいかにも乙一っぽいウェルメイドなお話って感じがします。ただ、乙一の魅力は筆致の意地悪さにあって、いつもどこかでシニカルな視線を保っているのだけれど、この作品はそこがちょっとズレてるんだと思います。
よく読んでみると「馬鹿から解放されたと思ってる馬鹿の物語」なのに、それをあまりにもナイーブに「馬鹿から開放される物語」として書いてしまっているのが問題だ、と。
もし、あとがきがあんなに真面目な感じではなくフザケタものだったら、あるいはあとがきなんてなかったら、もっと好意的に読むこともできたと思うんですけどね。
結論:あとがきが悪い。
>>「何だ、ほんとはたいしてミヤギの幸せなんて祈っていなかったんじゃん」
>>「結局は自分が死ぬ時にいっしょに死んでくれる相手ができて喜ぶ程度の愛情なんじゃん」
他者への愛情が深くなると自分を置いて幸せに生きてほしいと思うのか
それとも一緒に死んでくれることがうれしく感じるのか
どっちがどうとはいえないと思うんですよね どっちのパターンもありえる
海燕は「生きていてほしいはずだ!」っていいたいんだろうけど恋も愛も経験したことないのになぜそんなに自分の意見に自信をもてるのか不思議
たしかに10代の恋愛ものなんだから青臭さはある
精神が老けると中高生が共感するようなものには拒絶反応示すようになっちゃうのだろうね
私はこの本を読んでいませんので、海燕さんの記事や外部リンクのあらすじだけを頼りにコメントします。
この物語は、「極度の馬鹿が人並みの馬鹿に復帰する」話なのではないかと思います。
主人公は残り数十年の寿命を、数十万円で売ってしまいます。生を軽んじることを馬鹿だとするなら、主人公は最初の時点では大馬鹿です。
でも、最後には自分が助けた女の子が、自分と一緒になるために寿命を売ったことを喜んでいます。そして、残りの3日間がこれまでで最も価値があるとしています。
「他人になにかをしてあげたら、何か報いが欲しい」というのは、多くの人間が持っている感情です。以前の主人公ならば、「誰かに何かしてあげたい」とすら思わなかったのではないでしょうか。また、残りの人生に価値があるとも考えなかったでしょう。
こう考えると、主人公はマイナスからゼロにまで回復した、と言えるかもしれません。これが感動的で面白いかどうかは、実際に読んでいないので分かりませんが。
生の意味するところは分からないとしても死ぬ直前に自分の人生を肯定出来たなら、それで救われたし良いんじゃないかと私は思います
もし生きる価値に気付いたら人生を無駄に売った事の後悔にしかならないし、過去には戻れないのだから馬鹿だとしても今を肯定するしか出来ない
そうやって自ら地獄を作ることを防いでいるんじゃないですかね