「夢まであともう一歩だというのに、オレはこんな所で何をしているんだ!!」
2017年、真夏のニュージャージー。マット・トレモントは、病院のベッドの上で、白い天井を見つめながら「これがどうかただの悪夢でありますように……」と神に祈った。
決戦は8月5日土曜日。憧れのあの人が、もうすぐ日本からやって来て、子供の頃からの夢だった“電流爆破デスマッチ” が実現するのだ。決戦の1週間前に腕の痛みを訴え、急遽入院。検査の結果、ブドウ球菌感染症だとわかった。かなり重症化しており、このままだと壊死を伴う可能性があるため、医者からは腕の切断をも迫られていた。
「腕の一本ぐらい、くれてやる!」
絶望的な状況の中、長年の夢を目の前にして悩んでいる暇はなかった。決戦の2日前に、止める妻(事実婚)や医者を振り切って、退院へと強硬手段に出た。
ニュージャージー州アトランティックシティ出身で、現在30歳のマット・トレモントは、アメリカ四大デスマッチトーナメント制覇という、デスマッチ・グランドスラムを達成した唯一のレスラーである。
2010年前後に、ザンディグやワイフビーター、JCベイリー、ブレインダメージらが、引退や自殺、逮捕と、それまでデスマッチ界で中心にいたレスラーたちが次々といなくなった。そんな中、トレモントは、MASADA、ダニー・ハボックら、デスマッチ新世代レスラーたちと共に、業界を牽引していった。誰よりも多くの血を流し、誰よりもハードなバンプをとり、“米デスマッチの顔”として、デスマッチの火を消すことなく、さらなる次元へと昇華させてきた。
デスマッチの歴史を塗り替えるほどの様々な勲章を手にしてきたトレモントだったが、どうしても実現したい夢があった。それは近代デスマッチ、ハードコアの始祖、大仁田厚と対戦することだった。13歳の時からファンだった大仁田と対戦するチャンスは、もしかしたらこれが最後になるだろうと思ったトレモントは、自分の夢に向けて、大胆な行動に打って出た。
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