ZERO1代表を務める笹崎勝己氏は全女の最後を見届けた男だった……90年代狂乱の全女ブームを12000字で振り返っていただきました!
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――笹崎さんはプロレス業界に携わってかなり長いんですよね。
笹崎 そうですね。最初は全日本女子プロレスで、それこそ平成元年からですね。
――かれこれ30年以上ですか。
笹崎 全女に入社したのが10月だったかな。営業社員募集の告知が『週刊プロレス』に載ってたんですよ。もともとプロレスファンでそのときは高校を出て普通に働いていたんですけど、転職というか。どんな仕事なのかはまったくわからなかったんですけど(笑)、どういうものか受けてみようかなと思って。履歴書を送って目黒の事務所に面接に行ったんですよ。
――伝説の全女ビルですね。
笹崎 それで営業として入社することになって。仕事としては興行をやる町に先乗りしてポスターを貼る。前乗りが多かったので試合会場に行くことはなかったんですけどね。試合をやってる日は別の町でポスターを貼っていたんで。
――プロレスの仕事だけど、プロレスとは距離があったというか。
笹崎 そうですね。事務所でもたまに会うのは若手が多くて、上の選手とはほとんど会ったことはなかったですね。そのときの若手というのが伊藤薫、渡辺智子、井上京子、井上貴子。彼女たちは『SUN賊』で練習前にアルバイトしてましたからね。
――全女が運営していて自社ビルの中にあったレストランですね。笹崎さんが入社した当時はブル中野さんがトップですよね?
笹崎 そうですね。クラッシュ・ギャルズが前年に引退したのかな。長与(千種)さんも(ライオネス)飛鳥さんもいなくなって、一番上がブル中野、その次が北斗晶、堀田祐美子、あとメドューサもいましたね。
笹崎 クラッシュの頃と比べれば入ってはないですけど、どこでも700~1000人は入ってましたからね。当時でも年間で250~280興行はやっていて、月に20試合はありましたから。
――月間20試合!!(笑)。
笹崎 地方に出ちゃうと2~3週間は家に帰れなかったですよね。ビューティー・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)のときは年間300興行以上あったうえに、 A班とB班の2つに分かれて全国を回ってたとか。どこかの駐車場やデパートの屋上とか空いてる場所があれば興行やると。
――空き地があれば全女の出番(笑)。毎回どれくらいポスターを貼ってたんですか?
笹崎 1ヵ所に500枚ぐらい、大きいところだと1000枚ぐらいですかね。
――どこかお店の中に貼ってもらうこともありますが、勝手に貼ることもあるんですよね?
笹崎 そうなんですよね(笑)。会社から「あとは任せるから」と言われるんですよ。「どこに貼れ」とは言わないんです。どこかのお店に頼んで貼ってもらうのが一番なんですけど、それだと時間もかかるし、量も多いじゃないですか。当時って電柱にいろんなポスターが貼ってあったりしてて。
笹崎 電柱も許可を取れば貼れるんですけども、プロレスのポスターなんて許可が下りるわけがないので黙って貼るしかない。もしそれで捕まったりしても「会社から命令されたわけじゃない」と逃げられるんですよね(苦笑)。
――会社の責任は問われないわけですね(笑)。
笹崎 たまに警察官に注意されたりしましたけどね。
――勝手に貼ったポスターって大会終了後に撤収するんですか?
笹崎 撤収しなきゃいけないんですけど……まあまあ(笑)。
――ハハハハハハハハ!
――全女といえば優待券。正規料金の半額で見られる券ですね。
笹崎 優待券は優待券で別働隊がいたんですけどね。ポスターは数ヵ月前から貼るんですけど、優待券は早めに配っても意味ないじゃないですか。追い込みで当日に来てもらうために配る。ボクのあとに今井(良晴/リングアナ)さんが入ってきたんですが、優待券の担当で動いてましたよね。
――笹崎さんはそこからレフェリーに転向するんですよね。どういう経緯があったんですか?
笹崎 ボクはポスター張りを1年半ぐらいやってたんですかね。当時選手たちは2階建ての大型バスで移動してたんですよ。それ、ベンツなんですけどね(笑)。
――いくらしたんですかね(笑)。
笹崎 クラッシュで儲けたときに買ったのかな。目黒に自社ビルを建てるぐらいですから相当儲かったんでしょうね。で、巡業中のリングの移動は業者に頼んでたんですが、グッズ専門のトラックもあったんですよ。4トントラック1台に各選手のグッズがビッシリと入ってるんですよね。そのトラックを運転していた社員が何か問題を起こしてクビになっちゃって。 それで自分が運転することになって、営業担当から現場スタッフになったんですよね。
――仕事はトラックの運転だけではないんですよね?
笹崎 まず会場の設営ですよね。体育館に着いたらシートを敷いてリング屋さんや若い選手たちと一緒にリングを組み立てて。会場入り口でチケットのもぎりをやって、試合が始まったら売店に立って。
――松永(高司)会長は焼きそばの売店もやってましたよね。
笹崎 ボクが入ってた頃もやってたかな。マイクロバスを改造してそれ専用にして。ビジネス街でお昼にお弁当を売ってたりするやつがあるじゃないですか。
笹崎 材料を仕入れて自分で作って自分で売って小銭を稼いで。会長はそういうことが好きだったんでしょうねぇ。あの頃は選手の大型バス、会長たちは自分の車、リング屋さんのトラック、売店トラック、あと焼きそばの車で巡業を回ってましたね。
――選手はベビーフェイスとヒールのバスに分かれてなかったんですね。
笹崎 昔は分かれてたみたいですけどね。クラッシュの頃はベビーと極悪同盟がそれぞれちょっとした小型バスで移動して。
――バスが1台しかなかったから、アジャ・コングとバイソン木村の2人がブル中野体制に反旗を翻したときに、大型バスに乗れなくなって自分たちで移動するしかなかったと。
笹崎 彼女たちは営業の車に乗って移動してましたね。
――リング内の戦いがそのままリング外にも反映される。そこは選手以外の人間は立ち入ることは許されないんですか?
笹崎 そうですねぇ。他の人はわからないですけども、ボクはソッチの世界には行かないようにはしてましたね。プロレスラーは自分たちだけの世界を持ってましたからね。そこはやってる人しかわからないところってありますから。新人選手とは仲良くはなるんですけど、ファンの人にそういう姿が見えちゃうと穿った見方をするというか。やっぱり勝ち負けの世界なのでレフェリーが他の選手と仲良くしてると、試合でヒイキしているとか言われるかもしれないし、面倒くさいんじゃないですか。だから多少距離は置くというか。
――現場スタッフになったのちにレフェリーもやられるようになって。
笹崎 そうですね。関東近郊の興行のときは、その日のうちに目黒に戻るんですけど。ビルの屋上にはミゼットプロレスの人たちが住んでる部屋があったんですよ。スーパーハウスみたいなプレハブがあって、そこにはガスや電気も繋がっていて生活ができるんです。その頃はリトル・フランキーさんや角掛留造さんの2人が住んでいて。自分らが巡業から帰ってきたら近くのスーパーで何か買って、レフェリーの村山(大値)さんやミゼットたちと晩酌してまして。そんなある日、晩酌をしていたら村山さんから「巡業に来ているんだったらレフェリーとかやらない?」と聞かれて。レフェリーってどういうふうになるのかわからなかったし、厳しいものだと思ってたんですけど「もしやれるならやってみたいです」って。四男の松永国松さんはもともと「ジミー加山」という名前でレフェリーをやっていて審判部長という立場だったんです。村山さんはその国松さんからレフェリングを教わったと聞いていたので、国松さんに「レフェリーをやりたいんですが……」ってお願いしたら「じゃあ次のシリーズからやれ」と。
――また簡単ですね!(笑)。
笹崎 ビックリしちゃいましたね(笑)。村山さんに基本的な動きを教わって、試合がない日は全女ビルの道場で合同練習があるじゃないですか。試合形式で練習するときもあるんですよね。そこに混ぜてもらってレフェリーの練習して。練習期間は1~2週間もなかったんですけど、本当に次のシリーズからやることになりましたね。
――いい意味で全女らしいです(笑)。
笹崎 第1試合や第2試合からだったんですけど、やっぱりうまくいかなかったです(笑)。プロレスは好きでよく見ていたので、なんとなくかたちになるようには動いてたんですけど、選手の邪魔にならないようにやるのは難しかったですよね。
――レフェリーの仕事をすることで給料は変わったりするんですか?
笹崎 給料は……変わらなかったですね(苦笑)。
――仕事が増えただけですか!(笑)。
笹崎 営業でポスターを貼ってるときは歩合だったんですよ。1枚貼っていくらとか。そのときのほうがお金はよかったんですよね。 現場のスタッフとして巡業についていくようになったら固定給で。 泊まりのときには食事代も出たし、そんなに悪くはなかったですけどよね。
――全女の前座は抑え込みの実力主義でしたよね。
――抑え込みの試合を裁くのは難しくなかったですか?
笹崎 たしかに見極めは難しいといえば難しいですよねぇ。「動かなかったら取っちゃっていいから」とは言われてましたね。明らかに肩が浮いてたらダメですけど、動きがなかったら。
――3カウントを入れていいと。
笹崎 若い子も負けたくないからバタバタと動くじゃないですか。見ようによっては肩が浮いてるように見えるんですけど、「動きがなかったら取っちゃっていい。そこはレフェリーの判断だから」と言われてましたね。<12000字インタビューはまだまだ続く!>
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