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パラエストラ千葉ネットワーク総帥・鶴屋浩氏の次男、高校3年生の鶴屋怜がMMAデビュー! 名門・日体大柏高のレスリング部出身で、幼少の頃からブラジリアン柔術、ボクシングもたしなみ、ごくごくあたりまえのように総合格闘技のトレーニングを積んできたサラブレッドだ。
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・扇久保博正、浅倉カンナを生み出したパラエストラ千葉に迫る■鶴屋浩 代表インタビュー
――とんでもない逸材が2月21日のDEEPでMMAデビューするということ大きな反響なんですが、ご本人にも届いてますでしょうか?
怜 そうですね。思った以上にいろいろな人から応援してもらっているので、これは頑張んないといけないなと(ニッコリ)。
――DEEPでのデビュー決定を報じたツイッターの反響も凄かったんですよ。
怜 最初はそんなに反響があるとは思ってなかったですけど、いい意味でみんなに知ってもらって、これで名前が広がったらいいなと。
――反響がプレッシャーになったりしませんか?
怜 全然プレッシャーはないです。
――それはMMAデビュー前ですけども、小さい頃からレスリングをはじめ格闘技漬けだったことで自信があるわけですよね。
怜 はい(キッパリ)。こんなこと言っていいのかわからないですけど……自分的には相当、自信あります。
――気持ちいい!!(笑)。自信があるわけですね。
怜 そうですね(笑)。
――もう経歴からして凄いですけど、レスリングは4歳の頃に始められたとか。
【鶴屋怜・経歴】
レスリング:小学4年、6年全国優勝、高校2年ジュニア五輪2位、世界大会出場、高校3年全国2位、高校1.2.3年団体戦全国優勝
柔術:小学4年アブダビコンバット世界優勝、柔術全国6回優勝
MMA:アマMMA6戦6勝
怜 レスリングは歳とか4歳とかそのへんですね。
――そこは自分の意志というよりは、お父さんの影響ですよね。
怜 最初はお父さんに連れられて……初めのほうは覚えてないです。小さい頃はよくレスリングの試合に出させられてて。でも「試合をしたくない」「練習をしたくない」って逃げたりしてて(笑)。そういうことは覚えてますね。
――ハハハハハハハ。自分の意志ではじめてなかったとはいえ、格闘家一家の意識はあったんですか?
怜 そのときはないですね。イヤイヤながら連れてこられてやらされて、という感じで。
――自分の意思で格闘技をやっていきたいと思ったのはいつ頃なんですか?
怜 総合格闘技をちゃんとやっていきたいと思ったのは中学生2年生ぐらいで。その頃からMMAをやりたいと思ってました。
――中学2年生というと、いまから5~6年前。RIZINは始まってないですよね。
怜 まだ始まってなかったですね。
――その頃にあまり注目されてない総合格闘技をやりたいって、やはりこういう環境だからこそですよね。
怜 自分は正直言ってそんなに頭もよくないし、もう格闘技でやっていくしかないなって(苦笑)。
――なるほど(笑)。子供の頃からはレスリングをずっとやってきて優秀な成績を収めていたじゃないですか。そのレスリングでオリンピックを目指そうとは思わなかったですか?
怜 小さい頃はレスリングしかやってなかったから、とりあえず「目標はオリンピック」と言ってたんですけど。何か気づいたときには総合格闘技やりたいな、みたいな。中学生のときにはMMA のプロの人たちともレスリングをやっていたんです。そのレスリングの練習が終わったら MMAの練習をやるということもあってですね。
――それはこのパラエストラ柏で。
怜 はい。扇久保(博正)さんとかトップの方々と練習しているうちに……将来はMMAファイターになろうと。
――レスリングだけじゃなくてボクシングもやってたんですよね。
怜 やってました。自分はずっとレスリングをやっていたんですけど、レスリングが本当に嫌いで(苦笑)。
――ハハハハハハハ。 レスリングの成績はよかったんですよね。
怜 幼稚園から小学校の頃は全国大会に出ても、ずっと2位だったんですよ。決勝戦でも勝てそうだったのに負けたりとか。 小学4年生のときお父さんに「もしここで優勝したらレスリングをやめさせてくれ」って頼んで。
――どんなお願いなんですか!
怜 「優勝してレスリングをやめてボクシングをやるから」と。そうしたら初めて全国優勝しちゃったんです。それでレスリングをやめてボクシングを始めて。
――もったいないですよ!
怜 4年くらいボクシングをやってたんですけど、 後半のほうはレスリングに戻ってもいいかな……という感じになっちゃってて。
――やっぱりレスリングのほうが向いてるんじゃないかと。
怜 そうでしたねぇ。ボクシングでも全国ベスト8ぐらいはいったんですけど、レスリングと比べて余裕がなかったというか……。
―― 天才少年が飽きちゃって他のものに目移りしちゃうって感じですかね。
怜 そうなんですかね?(笑)。
――レスリングやボクシングだけじゃなくてブラジリアン柔術もやられていたんですよね。
怜 はい。柔術はやらされていたというよりは、土日のレスリングの練習前に柔術があるというスケジュールで。気がついたらレスリングの前に柔術をやっていたという感じですね。
――それは小学生の頃ですか?
怜 幼稚園の頃からですね。ホントにガチでやっていたというよりは柔術は趣味でやっていたという感じですかね。
――根っからの格闘家って感じですねぇ。小学生の頃の練習スケジュールってどんな感じだったんですか?
怜 学校から帰ってきたらパラエストラ松戸や柏のどっちかで練習して。土日は午前中に柔術があって、午後はレスリングですね。
――同級生は小学生らしい遊びをしてるわけじゃないですか。
怜 そうですけど、格闘技が日常だったので、あんまり気にならなかったですね。
――こういう環境で練習をされることで、総合格闘技はどういうものなのかは理解されていたわけですね。
怜 小学生の頃は詳しくはわからなかったですけど、 中学生の頃になると、だんだんわかってきて。
――その頃のスターは誰だったんですか?
怜 中学生のときはスターと言うよりは……コナー・マクレガーが好きだったんですけど。凄くカッコいいなと思ってて。
――それってフェザー級絶頂期でしたけど、コナー・マクレガー好きの中学生って超珍しいと思いますよ(笑)。 PRIDEはご存知ないんですよね?
怜 そうですね。見てないですね。
――生まれたのは2002年ですもんね。初めて生観戦した総合格闘技の大会は何ですか?
怜 初めての大会はどれですかねぇ。おそらく初めて会場に行ったのは松根良太さんの試合で。
――修斗世界フェザー級(現バンタム級)のチャンピオンだった。
怜 東京ドームシティホールでやった試合ですね。そこに見に行ったということは覚えてるんですけど。
――高校のレスリングでもいい成績を収めていたので、大学でレスリングという話はあったと思うんですけど。
怜 本当だったら高校も進まないでMMAをやろうと思ってたんですけど。
――えっ、まるで令和の船木誠勝!
怜 中学生の頃から「夢はUFC チャンピオン」だったので。でも、お父さんがさすがに高校は行かないとダメだろうということで。高校でレスリングを3年間しっかりやってから、MMAをやればいいんじゃないかと。 実際、3年間高校でレスリングをやってよかったですね。
――高校でレスリングをやりながらMMAの練習はされていたんですか?
怜 やってたんですが、高校のレスリングの練習が厳しいんですよ。
――インターハイ常連校で団体戦で何度も全国優勝されている日体大柏に通われていたんですよね。
怜 はい。朝練が朝の6時20分からスタートして、それで午後練もあったりして 1日のスケジュールがめちゃくちゃ厳しかったので。あと日体大までバスで行って大学生とも練習してました。
――日体大のレスリング部といえば日本最強ですよね……。
怜 そういう環境だったので、なかなかMMAの練習ができないところもあったんですけど、それでも週2にはやってましたね。
――それでも週2はやる!(笑)。 めちゃくちゃ疲れてますよね?
怜 たしかに身体はめちゃくちゃ疲れてます。レスリングはそんなに好きでやってるわけじゃないですけど……MMAのほうは好きでやってるので。MMAは楽しいからやっちゃう!みたいな。
――本当にレスリングは好きではないんですね(笑)。
怜 レスリングは好きではないんですけど、自分にはもうレスリングしかなかったので。
――つまり自分の武器ですね。 好き嫌いで、やる・やらないを決めるものではない。
怜 はい、そうですね。MMAは好きなんですけどね(笑)。練習で疲れてるんですけど、自分が好きでやってることだし。
――ご自分では自分の実力をどう見てるんですか?
怜 正直言って総合の選手と向かいあったら、誰でもレスリングで倒せる自信はあるんですけど。
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明らかに凄く期待してしまう逸材ですね。
とにかく続けてくれれば、凄い結果を残しそう。期待します
身体大きくなることを個人的に願ってます!