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格闘技初心者・寺嶋直人40歳はいかにして修斗プロデビューを果たしたのか
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格闘技初心者・寺嶋直人40歳はいかにして修斗プロデビューを果たしたのか

2021-03-20 11:00
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修斗2021年の一発のイベントで注目を集めたのは、40歳にしてプロデビューをはたした男のアグレッシブな戦いぶりだった。その男は静岡県・御殿場で格闘技に出会った。



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2021年1月31日、 プロフェッショナル修斗公式戦。第2試合に修斗フライ級のデビュー戦対決が行なわれ、勝者と敗者がそれぞれ生まれた。話題をさらったのは敗者のほうだった。ありふれた勝負のコントラストの境目がぼやけて見えてくるのは、その敗者がなんのバックボーンもないまま36歳で格闘技をはじめ、40歳という遅咲きでプロデビューを飾ったからだ。

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その敗者の名は、寺嶋直人。静岡県・御殿場の格闘技ジムSUBMIT MMA所属。神奈川県・横浜市に生まれた寺嶋は高校時代はバスケットボールに明け暮れ、高校卒業後は都内で働きながら地元のクラブチームでバスケに打ち込んでいた。36歳にして格闘技と出会うことになったのは、サラリーマンの習わしとも言える転勤である。

「静岡の御殿場に異動になってからは人の繋がりもなくなってしまい、 どこかでバスケができるかなと思って調べてはみたものの、そんなところもなく。身体は動かしたいなとは思っていたので……」(寺嶋)

運動目的で寺嶋が通い出したのはSUBMIT MMAの前身、ゴールドジム御殿場の「格闘技スクールSUBMIT御殿場」。ジムの主宰は室伏兄弟(カツヤ、シンヤ)。寺嶋の挑戦は静岡で格闘技に打ち込んできた室伏兄弟とも重なり合っていく。室伏兄弟の2人は揃って修斗で活躍し、弟のシンヤは2014年には第4代修斗世界フライ級王座に輝いている。ゴールドジム御殿場のインストラクターだった2人は、ジム内に「格闘技スクールSUBMIT御殿場」を開講し、週2~3回指導。寺嶋はそこではじめて格闘技に触れたが、デイリーでトレーニングが積めるジムではなかった。兄のカツヤは常設ジム設立以前を振り返る。


「格闘技スクールSUBMIT御殿場は2009年から2017年までやってました。それ以外にも、選手志望の方向けに御殿場から車で30分ぐらいの裾野市の駅前でも指導してたんです。日本拳法の道場をやっていた方が、もう使わないからってことで建物を格安で貸してくれたので、そこを自分たちでリノベーションして練習スペースにして。そこでは週1回やってましたね」(室伏カツヤ)

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室伏カツヤ

2つのジムではそれぞれ50名ほどの会員を指導(重複会員もいた)。室伏兄弟が常設ジムの設立を志したのは、ゴールドジムに通っていた実業家の「キミたちがお金を貯めておじいさんになってからジムを出しても、そんなに集客はできない」という一言だった。その言葉に刺激をうけた室伏兄弟は3年かけて資金集めに奔走。裾野道場の指導も週1日から2日間に増やした。現在SUBMIT MMAが居を構えるビルの2階は、室伏がゴールドジムへの通勤の際に目をつけていた物件だった。

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https://submitmma.jp/

室伏の念願がかなって格闘技スクールSUBMIT御殿場はSUBMIT MMAに名称をあらためて2017年10月にオープン。静岡で格闘技に出会った寺嶋は、静岡で格闘技を根付かせようとしていた室伏兄弟のもと、毎日トレーニングを通える環境に身を置けることになり、ますます格闘技にのめり込んでいく。

「最初はグラップリングマッチに出てみないと誘われて、次はビギナーMMA。そこである程度成績を収めたら、次はアマチュアMMA。この段階でプロで、という意識は全然思ってなくて。アマチュア修斗でも勝てることがわかってきて、これはもしかしたらプロに行けるかもしれないなと」(寺嶋)

寺嶋は競技の階段をひとつひとつ踏んでいき、MMAをはじめて3年で2019年にプロ昇格を果たした。ところが新型コロナの影響でデビュー戦の先行きが見えなくなり、他のイベントでのデビューも頭をよぎった。

「代表ともそういう話はしたんですけど……やっぱり苦労して昇格した以上、修斗で試合をしたいという自分の意思もあって、もうちょっと待ってみようと。やっぱり修斗に思い入れもありますし、ここまで頑張ってきていまから他のイベントに……というのも自分の中でもしっくりがこなくて」(寺嶋) 

修斗プロデビュー戦決定の朗報は昨年12月に訪れた。新型コロナウィルス感染予防対策として当日計量の契約体重。寺嶋は試合当日に室伏カツヤの運転する車で上京し、デビュー戦に臨んだ。

「試合間隔が1年3ヵ月ぐらい空いてしまったので、緊張という緊張はそんなにしなかったんですけど。当日計量だったので、そこまでキツイ減量もなかったので変な感じというか。 高揚感を味わう余裕はなかったんですけど、 やっとここまで上がってこれたなっていう」(寺嶋)

試合は開始直後から寺嶋が攻勢をかける。カーフキックを浴びせ、フックの連打で仕留めにかかる。テイクダウンで上になり、1ラウンドは確実に寺嶋がポイントを得た。しかし、2ラウンドになると相手の打撃を浴びて劣勢に。一時はトップポジションをキープするがスタンドに戻され、フックを被弾。連打をもらい足元がおぼつかない寺嶋はスタンディングのままレフェリーに試合を止められた。40歳の男が4年かけてたどり着いたプロのステージは2R4分23秒で幕を閉じた。

「試合直後は反響もあって嬉しい部分もあるんですけど……負けたことはめちゃくちゃ悔しいです。 ちょっと落ち着くと“負け”だけが残ってるので。次は絶対に勝たなきゃいけないかなあと思いますね。40歳という年齢は深く考えずに生きてますね。いいところはよく受け止めて(笑)。若い子よりは人生経験はあるので、それを含めてが総合格闘技なんじゃないかなと……」

転勤によって格闘技と出会った寺嶋のもとに、プロ昇格前後に会社からふたたび転勤の打診があった。寺嶋は退職を匂わせて断った。

「会社からは転勤を断るのはありえないんだけど、ぐらいのことは言われたんですけど。もし話が進むんだったら、仕事をやめてもいいですよぐらいに返したので(笑)。もし都内に異動になったら格闘技はやらないかもな……って。やっぱりここで格闘技を教えてもらって、いろいろな思い出もありますし。単純に格闘技をやるっていうことだけじゃなくて、ここだから格闘技をやれているっていう気持ちのほうが大きいですね。」あと3年、4年できたら。10試合はやりたいですね」

「人生経験を含めてが総合格闘技」ならば、格闘家として自分を育んだ御殿場で戦い続けることが寺嶋にとって強みになるのだろう。人間を支えるのは肉体、そして精神である。御殿場に残ると決めた寺嶋を預かる室伏カツヤは、東京と地方の格差をこう語る。


「東京と比べて圧倒的にプロ志望が少ないことですね。近隣のジムはどこも遠くて車で1時間近くかかるので出稽古もあまりできないです。ただ、ボクら兄弟は静岡で生まれて静岡で選手活動してきて、弟は修斗のチャンピオンになったので、やり方次第なのかなと思います。それに3ヵ月にいっぺん青木真也選手に来てもらってセミナーをやってるんですけど、そのときは近隣のジムの現役の選手たちもやってくるんですよね。 青木選手の技術練が終わったあとは、みんなで練習会をやったりしています」


佐山聡がシューティングを志して36年あまり。総合格闘技はMMAという名称で世界各地に広まっている。地方在住の格闘技初心者の30代後半の男性がこうしてプロファイターとして拳を振るえるようになったのは――アメリカからは大きく遅れは取っているとはいえ――格闘技という土壌が豊潤な証といえる。寺嶋と同じSUBMIT MMAに通う22歳の自衛官は今年の3月で自衛隊を退官。格闘技に打ち込める職業に転職し、プロ転向を目指しているという。格闘技観戦の魅力のひとつは非日常空間にふれることだが、格闘技そのものにトライすることは、もはや日常である。どこの町にも室伏のように畑を耕す人々がおり、寺嶋のように芽を咲かす選手たちがいる。あなたの身近にも寺嶋直人がいるはずなのだ(ジャン斉藤)


<ここから寺嶋選手と室伏カツヤ代表のインタビューを続けてお送りします!>

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左から室伏カツヤ、寺嶋直人、室伏シンヤ



――寺嶋さんはサービスエリアで働いてるんですね。

寺嶋 サービスエリアのレストランの料理長です。

――
一番偉いじゃないですか!

寺嶋
 いや、自分の上に店長がいるので(笑)。いまのサービスエリアは5年目ですね。横浜出身なので、もともとは同じ会社の都内のお店で働いてんですけど、異動で御殿場に移って。けっこう異動の多い職業ではあるんです。

――
お仕事をされながら格闘技をはじめて3年、40歳でプロデビューされたことに驚きました。

寺嶋 正確にいうと36歳で総合格闘技をはじめて、3年目にアマチュア修斗の全日本大会で成績を収めてプロになったんですけど。新型コロナで試合が組まれないまま40歳になってしまったんですが、こないだの試合でデビューできて。

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ジムの階段の踊り場からは天気が良ければ富士山が一望できる

――36歳で格闘技を始めたのはどういう理由なんですか?

寺嶋
  もともとバスケットボールをずっとやっていたんです。高校卒業後も地元のクラブチームに入って半分真面目、半分遊びみたいな感じで続けていて。御殿場に異動になってからは人の繋がりもなくなってしまい、 どこかでバスケができるかなと思って調べてはみたものの、そんなところもなく。 身体は動かしたいなとは思っていたので。

――
それで総合格闘技のジムに。

寺嶋 昔から格闘技は好きで見てはいたんですよ。深夜にやっていた佐藤ルミナさんと宇野薫さんの試合やPRIDEも見てて「いつかはやってみたいなあ」と思いながらもバスケットをやっていたので。そのバスケをやる機会が失われてしまったので「格闘技をやってみようかな」と。だから御殿場に異動してなかったら格闘技をやってないですし、ここにジムがなかったら……。

――
偶然が積み重なったんですね。
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  • 2024/09/09
    RIZINアンバサダー蒼瀬くるみちゃん12000字インタビュー
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興味深いインタビューでした。
室伏兄弟のジムは川尻達也選手もいいとラジオで言ってました。

No.1 42ヶ月前

面白いインタビューだった。見出しの40歳でプロデビュー、は興味を持たざるを得ないです。

No.2 42ヶ月前
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