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沖縄初となる修斗世界王者・平良達郎を指導してきたパラエストラ沖縄・松根良太インタビュー。松根氏はかつてパラエストラ千葉所属で修斗世界王者に上り詰め、現在は故郷・沖縄で格闘技ジムを主宰している。世界進出が目前となってきた平良達郎をどうやって育ててきたのか。
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――平良達郎選手が沖縄出身初の修斗世界王者に輝きました。ご自身も修斗世界王者として活躍し、現在はパラエストラ沖縄主宰として後進を指導する松根さんにこれまでのお話を聞かせいただければと思います。
松根 よろしくお願いします。
―― そもそも沖縄にはどういうかたちで総合格闘技が根付いていたんですか。
松根 古くは91年頃から沖縄サブミッション柔術会という柔術チームが活動していたんですよね。UFC以前にこのチームは道着を着て関節を極め合ってたんですが、ブラジリアン柔術でもなくて。2000年を過ぎてからボクも見学に行ったんですけど、柔術にはない動きを見せてました。そんなようなチームがあったりしつつ、90年後半からハイブリッド・レスリング武∞限というジムが立ち上がったりして。 砂辺光久さんを筆頭に多くの選手が沖縄からパンクラスに出ていたりしました。当時の砂辺さんはアマチュア修斗には出てたりはしていたようですが、内地で開催された大会で。
――沖縄でアマチュア修斗は開催されてなかったんですか?
松根 はい。沖縄で開催されれば全国で開催されると、若林太郎さん(当時・修斗アマチュア普及委員長)から「故郷だから、なんとかできないか」と話がありました。当時のボクはパラエストラ千葉の人間だったんですが、2009年に琉球フリーファイトという大会を開くために調査を始めたんです。それで千葉にいながら沖縄で3回ぐらい開催しました。
――千葉在住の人間がやる仕事としてはめちゃくちゃ大変ですね。
松根 そうですね(笑)。若林さんの助言を受けながら、なんとか開催はできました。ボクが沖縄でジムを開くと決めたのが2011年で。2012年の1月にパラエストラ沖縄をオープンしたという流れですね。
――沖縄の大会を開いたことがジムオープンのきっかけのひとつになってるんですか?
松根 はい。若林さんのお手伝いをしたことで、沖縄でジムを開くのもありかなと思ったところは正直あります。30手前になって独立を考えたときに、それまでは鶴屋(浩)さんのもとで自由にやってきたんですけど、千葉に残って独立するか、沖縄に戻るかという2つの選択肢があったんですね。
――それで沖縄に戻ったんですね。初めて開催したアマチュア修斗の参加人数はどれくらいいたんですか?
松根 人数的には30人ぐらいで20試合ぐらいやりました。 面白いのは千葉からも試合に出場するために来てくれたことですね。いま修斗世界王者の岡田遼も沖縄のアマチュア修斗に出てます。わざわざ旅費と参加費を払って出てくれました。
――観光もできるのも大きいんでしょうね(笑)。
松根 そうですね(笑)。
――れまでは沖縄の格闘家はわざわざ外に出て試合をしていたわけですね。
松根 基本的にそうなりますね。なので経済的負担が大きいです。いまでも沖縄から全日本選手権や九州大会に行くんですけど、まず旅費と宿泊費が必要になります。沖縄でも年に2回はアマチュア修斗の大会を開いてるので、沖縄の大会に出つつ、内地にも出れるという環境を作っていったところはありますね。
――ちなみにプロ大会の場合は交通費は出るんですか?
松根 修斗の場合は選手とセコンドの交通費と宿泊費は出ます。ただ、沖縄の選手が東京の大会に出たときにチケットがたくさん売れるかというと……応援団がたくさん来てくれるわけではないので、主催者の方からすると地方の選手は呼びづらいとは思いますね。
――地方の選手は実力以外のアドバンテージがあるんですね……。
松根 そこは実力で示すしかないですよね。 あと最近大きいのは九州や四国で開催されている修斗「闘裸男」と修斗沖縄はツイキャスでPPV販売をしてまして。現地のチケットは買えないお客さんがツイキャスを購入することで、沖縄の選手を応援できる環境がコロナ以降できつつありますね。
――東京と地方の格差を埋めることができているんですね。
松根 現地でチケットが売れなくてもツイキャスで売れる。逆に東京や大阪の選手を沖縄に呼んだときも、ツイキャスで頑張っていただければいいですし。 そこは新たな文化ですよね。
――ジムを開いて今年で10年ですが、修斗のベルト獲得はいつくらいを目標にされていたんですか?
松根 10年でチャンピオンを出せたことは自分の感覚では早いという印象ですね。先ほども言ったようにアマチュア修斗に出るにもお金はかかるし、選手がどれだけ育ってくれるものかは想像もつかなかったので。アマチュア修斗の全日本で1番を取ることが最初の目標で、この10年間で4人の優勝者を出せて。いまパラエストラ沖縄にはプロ選手が10名近くいるんですが、そこは定期的にアマチュア修斗を開いたかいがあったかなあと思いますね。修斗のランキングに入ったのは仲宗根武蔵と平良達郎、宮城友一(DROP)の3人なんですけど。 沖縄県内でアマチュアの大会がある、 沖縄県内でプロの大会がある、成績を残せばない内地の試合で呼ばれるという順序は作られたと思いますね。
――平良選手が初めてジムに来られたときはどういう印象がありましたか。
松根 兄貴が初めに入ってその兄貴に連れられて、高校の部活もやってないからやってみるか、みたいな。本当に普通の高校生でしたね。ただ、センスは当時から感じられるものがあって、教えればすぐにできましたし、野球を中学3年間やっていたことでの身体の強さもありました。しっかり指導すれば強くなるなという感触はありましたね。
――それまで格闘技はやってなかったんですね。
松根 まったくやってなかったですね。ほとんど見ることもなかったみたいです。お兄さんがやってて「楽しそうだなぁ」という感じで。
――それでよく短期間であそこまで強くなるもんですね。
松根 沖縄のいいところは若い子がジムに多くて。というのは海や山と遊ぶところはあるんですが、「やることがないからジムに行こうかな」っていう子が多いんです(笑)。
――沖縄ってやることが少ないんですか(笑)。
松根 東京と比べて誘惑が少ないというか。子供たちが街に出て遊ぶ場所がそれほどない。ゲームセンターやカラオケなんかはありますけど。ヒマだから毎日ジムに来て練習するっていう子が何人かいて。パラエストラとしては楽しみながら教えるようにしてるので。試合に出る子はそれなりの練習は課すんですけども、達郎も楽しみながら練習をやっていて。試合で勝つことの喜びを経て、目標が高くなっていきましたね。沖縄には後楽園ホールとかどこかの会場にふらっと試合に見に行けるような環境ではないんですけど。そういう子たちにABEMAやYouTubeなんかで「こういう選手が世界にはいるんだよ」って植え付けながら練習していますね。 そうすることで先を見据えて頑張るようになってきました。
――すごく戦いに集中しやすい環境ではあるんですね。
松根 東京や大阪に対する劣等感、「絶対に負けない!」という気持ちはすごいあって。選手の絶対数は東京や大阪のほうが多いんですけど、地方でもしっかりやれば勝てるんだよってことで目指してきたので。達郎がこうしてチャンピオンになったことで、みんなも沖縄で格闘技を志してほしいなって思ってるんですけど。
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