『プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』を上梓したTAJIRIインタビュー!
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『プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』
――前作『プロレスラーは観客に何を見せているのか』が大好評で、今回『プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』を上梓されたTAJIRIさんですが、文字を書くことは昔から好きだったんですか?
TAJIRI そうですね。学生のときは全然好きじゃなかったんですけど、レスラーになってから試合以外にも伝えたいことってあるじゃないですか。その場合、文字しか手法がなかったんですよね。
――いつぐらいからその気持ちは強くなっていったんですか?
TAJIRI プロレス界に入ってからそうでしたね。当時SNSなんかあったら相当ハマってると思いますよ。ボクがデビューした1994年はメールですら使ってる人はいなかったですよね。ECW時代は、日本の友達に手紙を書いて国際郵便で送ってましたから(笑)。
――直筆の手紙! 時代を感じますねぇ。
TAJIRI パソコンなんかを使い始めたのは、世間の皆さんに浸透してから1年後ぐらいで。 WWE に入ってからですから2000年以降ですよね。
――ボクもその頃この仕事を始めたんですけど、メールで原稿チェックする人はあまりいなかったですね。だいたいがFAXで。
TAJIRI そうですよね。ボクはWWE時代、『週刊プロレス』でコラムの連載をやってたんですけど、第1回目は FAXで送りましたからね(笑)。初めてプロレス関連の原稿を書いたのは、フミ(斎藤)さんから『アメリカーナ』という雑誌に何か書いてみないかというオファーがあったときで。
――『アメリカーナ』、懐かしい。『週プロ』の別冊ですね。
――そのときのテーマはなんだったんですか?
TAJIRI 「いまWWEでどんなことを考えながら戦っているのか」です。何を書こうかって迷うこともなく、たくさん書いちゃいましたね。当時はWWE の情報がそこまで日本に出てなかったので、自己紹介だけでいっぱい書けちゃうんですよ。
――たしか日本向けのWWE情報ってあまり見かけなかったですね。
TAJIRI 『週刊プロレス』でWWEの試合レポートが2~3ページ扱われるぐらいで。ECWのときなんてTVチャンピオンになっても何も載らなかったですから。
――そんな状況だと伝えたいことがたくさん出てきますよね。
TAJIRI 当時って日本のプロレスファンがアメプロにそんなに興味を持ってなかったと思うんですよね。 アメプロ好きのマニアは本当に一部しかいなかったと思います。
――日本の団体との交流が途絶えてから、なかなか興味を持ちづらいジャンルになっていたかもしれませんね。
TAJIRI ボク自身も興味なかったんですよ。まだWWFという団体名でアルティメット・ウォリアーがいた時代ってまったく面白くなくて。ロックとかが出てきてから面白いなって思いはじめて。昔ってウルトラマンの怪獣みたいなキャラしかいなかったので。
―― WWEっていつの時代もプロレスファンや関係者から「プロレスの敵」みたいな扱いをされていて。いまもAEWが出てきたことでカウンターの対象になってますけど、ロック様がいた時代って、日本のプロレスが総合格闘技に侵食されていたこともあって、WWEのベビーフェイス感はすごく強かったですね。
TAJIRI ああ、その見方は面白いですね。 怪獣しかいなかったWWFは「プロレスの敵」という感じはたしかにしましたよね。
――気になるのはWWE のツアーってめちゃくちゃハードじゃないですか。 それなのによくコラム連載ができましたね。
TAJIRI WWEって移動は大変なんですけど、移動しちゃえば楽なんですよ。RAWの収録はお昼に会場に入って、試合まで何もないときは本当にヒマなので。そういう合間に書いてましたね。その頃TAKA(みちのく)さんも『週プロ』で日記の連載をやってたんですけど、TAKAさんもその時間に書いてました。TAKAさんはパソコンを持ち歩くのはかなり早かったですね。
――締切に遅れたことはないんですか。
TAJIRI 一度だけ時差を間違えて遅れたことがありますけど(笑)。それだけですね。当時は他にも連載を持っていて。書くことが楽しくてなって、調子に乗って各方面にお願いしていろいろと書かせてもらってたんですよ。ロサンゼルスの日系情報誌、 WWE モバイルとか。多いときで5つぐらい連載を抱えてましたね(笑)。
――人気コラムニストじゃないですか(笑)。
TAJIRI 非常に特殊な経験してるから「これは伝えたい!」っていう材料が次から次と湧き出てくるんですよね。プロレスラーってリング外の生き様も面白かったりするので、 WWEは空き家だから「俺がやらなきゃいけない」っていう妙な使命感に燃えちゃいましたね。 いまもそういうことをやってるところはないですし。
――WWEってマスコミを必要としない世界をつくりあげちゃいましたけど、何か情報規制があったりしたんですか?
TAJIRI いや、ボクがいた当時はかなりいい加減だったんですよ。 ちゃんとしてなかったですね。一番最初にマガジンハウスから出した本(『TAJIRI ザ ジャパニーズバズソー』)は、日本公演のときにマガジンハウスの方から声をかけられて。シェイン・マクマホンに「こういう話が来てるんですけど」って相談したら、その場で「いいよ。俺にもその本くれよな」でおしまいですよ(笑)。いまはいろいろハードルがあるのかもしれないですけど。
――アメリカって紙媒体でプロレスを伝える文化ってほとんどなかったですよね。
TAJIRI 写真中心のプロレス雑誌は一時期ウォールマートで売ってたりしてましたけど。 WWEのベルトを持ったロックの裏のページが聞いたこともないようなインディのレスラーだったり。「いったいどういう基準で作ってんだろう?」って。写真が届いた順に載っけてるんじゃないかっていうぐらい適当で。
――向こうで日本語の活字に飢えてませんでした?
TAJIRI ああ、めちゃくちゃ飢えてましたねぇ。ボクはフィラデルフィアに住んでたんですけど、ロサンゼルスやボストンの日本人街の本屋に行くと、300ドルぐらい日本の本を買い漁って。日本に帰ってきたときは紀伊国屋書店で10万円分ぐらい買ってましたね(笑)。
――どんなジャンルの本を仕入れてたんですか?
TAJIRI とにかく、なんでも。そこに統一性はなかったですね。好きなジャンルでいえば、ドキュメンタリータッチなものが好きで。ルポ系はどんなジャンルでも読んでましたね。基本的に梶原一騎の匂いがするものが好きで。
――でも、梶原一騎の手法ってフィクションも混ぜるじゃないですか。
TAJIRI 人間の生き様にフィクションを混ぜるって、プロレスに近いですよね。
――ああ、なるほど。そうやって個性を際立たせるってことですね。TAJIRIさんの好きな梶原一騎作品はどれですか?
TAJIRI やっぱり『あしたのジョー』や『空手バカ一代』は外せないですね。
――プロレスものでいえば『タイガーマスク』は?
TAJIRI うーん、対象年齢がちょっと低いような気がしますね。それにプロレスって漫画にしたらあんまり面白くないような気がするんですよね。ホントに書きたいことを書けないで作者が書いてるというか、 そうしないといけない部分もあって。本当に面白いプロレスものは、本当に書けない部分だったりするので。
TAJIRI 沢木耕太郎だとわかってない人も、いまは多いんですよね。『深夜特急』なんて日本全国民の愛読書だと思ってましたよ(笑)。
――ハハハハハハハ!
TAJIRI ボクは筒井康隆と椎名誠が大好きで、「俺が動き回ると変な奴が集まってくる」というものを無意識に書いてるのかもしれないですね。
――納得です! 『プロレス深夜特急』はTAJIRIさんが世界中の面白い人たちの観察レポートの一面もありますね。そして世界各国のプロレス事情を描くことで日本の道場論の素晴らしさが伝わってきました。
TAJIRI ああ、なるほど。日本以外の国のプロレスを見ることで、日本のプロレスが見えてきたと。
――旅行記でありながら前作『プロレスラーは観客に何を見せているのか』の続きでもあるなと。
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コメント
コメントを書く今でも、深夜特急は世代関係なくバックパッカーたちの聖書ですよ!