第一章『見つめていたい』
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その日の朝、エミ子のベッドの目覚ましシステムは、都合三度起動した。その度にエミ子は、無意識のうちに布団から手を出し、枕元のスヌーズボタンを押していた。
しかし、その三度目のシステムが起動したとき、布団から出たエミ子の手を、むんずと掴む別の手があった。
それで、エミ子はハッと気づいて布団から顔を出した。すると、祖母の智代がいつの間にか部屋にいて、こちらを覗き込んでいた。
智代は、やさしい笑顔でこう言った。
「エミちゃん、もう起きないと遅れるで」
それで、エミ子はガバと跳ね起きた。智代の笑顔は、全然当てにならない。というより、笑顔のときこそピンチのことが多い。
その通り、時計の針はすでに八時一〇分を指していた。
「やばい……」
慌てて制服に袖を通すと、長い渡り廊下を大急ぎで駆け抜け、突き当たりの食堂へと飛び込んだ。
エミ子の家は、昔ながらの和洋折衷家屋だ。といっても、建てられたのはそれほど昔ではない。ほんの一五年ほど前――つまりエミ子が生まれた頃だ。そういう造りにしたのは、この家の当主、智代の趣味である。
食堂では、叔父の英二がすでに軍の制服に身を包み、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。傍らのテレビではニュースが流れているが、英二は自分のホログラムスタンドに映し出されたメールか何かに目を通している。
「それでは、今朝の台獣情報です。瀬戸内海を抜けた台獣八号は、本州上陸後時速一〇キロほどで北上中。今は大山の南麓に差し掛かり、今日中にも日本海に抜ける予定です……」
しかしエミ子は、そんなニュースには目もくれず、食卓の上の焼かれてあった食パンを口にくわえると、そのまま玄関を飛び出していこうとした。
と、そのとき――
「エミ子」
と、呼び止める声がした。
ハッと振り向くと、スタンドから顔を上げた英二がこちらを見つめている。
(英二の使っているホログラムスタンド)
「はひ?」
とパンをくわえたまま、間抜けな顔で振り返ったエミ子に、英二は苦虫を噛み潰したような顔で目をすがめ、冷たく言い放った。
「そこへ座りなさい」
「へ? はけろ、はっほうが(だけど、学校が)……」
「いいから」
「……はひ」
エミ子は、この叔父に顔が上がらない。だから、そう言われると従うしかなかった。
それで、食卓の向かいに座ったエミ子に、英二は見ていたスタンドをこちら側に向けると言った。
「これはなんだ?」
それを見て、エミ子は目を見開いた。
「ほ、ほれは!」
なんと、そこにはエミ子の中間テストの成績が立体画像になって映し出されていた。
「ほ、ほうひてほれを?」
「母さんに転送してもらった」
「ごめんね――」
「!」
とそのとき、食堂に入ってきた智代が、あまり申しわけなくなさそうな顔で言った。
「英二が、見せろってうるさいから」
「母さん。ぼくは兄さんからエミ子をよろしくと頼まれてるんだ」
そう智代を牽制してから、英二はエミ子に向き直って言った。
「こんな成績じゃ、兄さんのような科学者にはなれないぞ」
「別に科学者になれとは、俊一も言うてないと思うけどね」
と、なおも横槍を入れる智代をきっと睨むと、英二は言った。
「母さんは、女は学問をするなと言うんですか? そんな時代錯誤はもう通用しませんよ」
すると智代も、負けずに英二を睨み返すと言った。
「それを言うなら、親の職業を継がせる方が、よっぽど時代錯誤なんちがうの?」
そう言いながら、智代はエミ子を椅子から追い立てると、そこに座って英二に向き直った。
「いい機会やから、はっきり言うておきますけどね。私は一度だって、俊一やあんたの進路について、あれこれ口出ししたことはありません」
「母さん。それは母さんが『バブル』という不抜けた時代に生まれたからこそ許されただけだ。今はもう、そういう甘えた考え方は通用しないんだ! 子供の将来は、大人がしっかり道筋をつけていかなければ――」
そうして二人は、いつものように侃々諤々の議論を始めた。おかげでエミ子は、その隙に家を抜け出すことに成功した。そうして、始業まで残り七分しかない学校へと、全速力で駆け出した。