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第二章「素顔のままで」
5
翌日の月曜日、昨日のことがあってよく眠れなかったエミ子は、珍しく早起きした。
食卓に着くと、智代と英二の三人で朝ご飯を食べた。この日は、目玉焼きに納豆、ご飯に味噌汁といった内容だった。
ご飯を食べながら、英二が聞いてきた。
「どうだ? 勉強は捗っているか?」
それで、エミ子は味噌汁をすすりながら、無言で頷いた。
すると、英二がチラリと智代を見ながら言った。
「おまえも中三なんだから、そろそろ受験に本腰を入れないとな」
「……」
「おまえのお父さんは、本当に優秀な人だった。おまえはそのたった一人の子供なんだ。お父さんに恥ずかしくない人間にならないとな」
「……」
「劇を見るのもいいが、ほどほどにな」
それで、エミ子は思わず味噌汁を吹き出した。それから智代の顔を見たが、彼女も驚いた顔でエミ子を見、肩をすくめると首を横に振った。
登校中、学校前の西中坂からは、またもや台獣(前のは去ったので、今度は次の九号が来ていた)が見えた。しかしエミ子は、考え事をしていたためか俯きがちで、そちらに目をやることはなかった。一度、台獣が大あくびしたとき、その音が風のように聞こえたので、チラリと目をやったくらいだった。
学校に来てからも、エミ子はなかなか気を落ち着かせられなかった。そのため、授業中も窓の外をぼんやりと眺めたりしていた。
遠くに望む大山(とそこを歩く台獣)を見ながら、エミ子は二週間前に智代と行った皆生コンサートホールのことを思い出していた。
二人は、英二に内緒で大衆演劇を見にいった。その演目が『弁天小僧菊之助』だったのだ。
それに夢中になったエミ子は、家に帰ってからもその台詞をそらんじたり、名場面を演じたりしていたのである。
しかし、どうやらそれを英二に見られてしまったらしい。きっとそれで、劇を見たことがバレたのだ。
エミ子は、自分の迂闊さを呪った。そうして、授業中であるにもかかわらず、クラス中に聞こえるほどの大きな溜息をついた。おかげで先生に注意され、またもやクラスの失笑を買ってしまった。
放課後、エミ子は珍しく自分から声をかけてきた。
「――榊くん」
「うん?」
「ちょっと、お話ししたいことがあるんだけど……」
もちろん、ぼくも話したいと思っていたところなので、断る理由はなかった。
ただ、エミ子は学校ではなく、別の場所で話したいと言った。ぼくとしては、外で会った方がかえって怪しい感じになるのではないかと危惧したが、エミ子はその方がいいということだった。
彼女は、「とにかく学校では目立たないようにしたいの」と言った。しかし、彼女の願いに反して、それは果たされていない様子だったが……。
三〇分後、ぼくらは米子中央図書館の二階の閲覧室にいた。
ここは、一階と吹き抜けになっているで広々としているし、壁や天井が音を吸収する仕組みになっているから普通程度の話し声なら周りの迷惑にもならない。それに、立ち聞きされる心配が少なかったから、内緒話をするには好都合だった。
それでもエミ子は、できうる限りの小声でこんなふうに尋ねてきた。
「昨日言ってた『ヲキ』って、一体何のこと?」
「本当に知らないの?」
とぼくは、あらためて驚きつつも尋ねた。彼女がそれを知らないということは、想定していなかったのだ。
エミ子が心細げに頷いたので、ぼくは思案しながらこう切り出した。
「ええと……何から話せばいいんだろう。じゃあ、きみは『アマノウズメ』の伝説を知ってる?」
「アマノウズメ? ううん。なんか、聞いたことあるような気はするけど……」
「アマノウズメっていうのは、日本書紀に出てくる神様の一人さ。じゃあ、『天岩戸』は?」
「それも知らない……」
「天岩戸というのは、簡単にいうと洞窟のことさ。ここに、あるとき天照大神という神様の代表のような人が引っ込んでしまったんだ」
「引っ込んだ?」
「まあ、『ひきこもった』ということだね」
「ヒキコモリ? 神様なのに?」
「そう、おかしいだろ。おかげで、それ以外の神様が心配して、天照大神をそこから出そうとしたんだ。そうして、いろいろ説得したり、画策したりしたんだけど、彼女はなかなか出てこなくてね――」
「ふうん……頑固なのね」
「そうなんだよ。――で、一計を案じた神様たちは、今度は説得を諦めて、その天岩戸の前で宴会を始めたんだ」
「宴会?」
「そう! それで、その楽しんでいる声を、天照大神にも聞こえるようにしたんだって。そんなふうに楽しそうにしていれば、釣られて出てくるんじゃないかって」
「へえ! なんかバカバカしい」
「うん――でもね、それで本当に出てきちゃったんだよ」
「そうなんだ!」
「そう。で、その宴会で主役を務めていたのが、最初に話した『アマノウズメ』ってわけさ。彼女は、芸能の神様なんだ。だから、このときも天岩戸の前で踊って、みんなを楽しませている。それで、日本最古の踊り子――なんていわれたりもしているんだ」
「へえ、面白い。きっと魅力的な踊りを踊ったんでしょうね!」
――と、演劇好きなエミ子は、その話に少なからず興味を覚えた。
それでぼくは、調子に乗って話を続けた。
「だろ? で、そのアマノウズメが、いわゆる元祖『ヲキ』ってわけさ」
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