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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第31回(1,925字)
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「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第31回(1,925字)

2017-10-12 06:00
  • 4
勉強ができるようになるためには、将来に対して予感を抱けるようになる必要がある。将来に対して予感を抱ければ、そこに良くも悪くも「変化の可能性」を見出すことができるので、勉強をすることのモチベーションが高まるからだ。

では、将来に対する予感はどうすれば抱けるか?
それは、遊びや虚構に親しむことである。遊びや虚構に親しむことによって、そこで得られる知識や経験が、将来に対する予感をより豊かなものにしてくれる。

だから、子供は(大人も)もっと遊びや虚構に親しんだ方がいい。そうすれば格段に勉強ができるようになる。
ところが、世の中にはそうもいかない事情がある。それは周囲の反対だ。遊びや虚構に接することを、特に子供の場合は親が反対する。子供を遊びや虚構から遠ざけようとする本能のようなものが、どの親にも備わっている。
だから、多くの子供は遊びや虚構から引きはがされ、結果として勉強ができなくなってしまうのだ
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映像は心の枷と結びつきが大きいと思う。遠くで遅く動いてるように見える物が、実際は速く動いてたりするから、警戒心をなくしてはいけない、とか。

No.1 80ヶ月前
userPhoto 岩崎夏海(著者)

>>1
「映像は心の枷と結びつきが大きい」というよりは、むしろ「映像には心の枷の効果が及ばない」という方が正確ではないでしょうか。
例えば、遠くで動いているものをゆっくり動いていると錯覚する人は多い。つまり、普通にしていれば、本当は速いにもかかわらず、それはゆっくり見えるわけです。ということは、映像はむしろ心の枷を外す効果があるということを証明しています。実際、人間の目はあまり信頼がおけないですからね。
それから、映画を見たら多くの人の心の枷が外れるのは、映像が心の枷を外す効果があることの証拠だと思います。

No.2 80ヶ月前

すみません、私の言葉遣いが間違っていました。私が言いたかったのは、人間が肉眼でふだんから見ている「視界」の方です。我々は町中を歩いているときに無意識下で、「あれはゆっくり動いているように見えるけど実は速く動いているかもしれない」と、自分自身にストレスをかけています。でないと車に轢かれてしまうからです。物が一時的に遮られて見えなくなったとしても、やっぱり「いや実はまだすぐそこに潜んでいるんだ、油断してはいけない」と自分に向かって声をかけています。

そういった心の枷が、映画を見ているときには外れるというのは、理解できます。普段のストレスから解放されている状態で見ることが出来るので、いつもは気づかないこと、見えていないことが目の中に入ってきて、とても面白い。

このコメントをいま書いていて、もしかすると五感ぜんぶについて同じことが言えるのかもしれないな、と思いました。我々はふだん排泄物や腐った臭いを忌避していますが、チーズとか納豆のようなものを好んで食べるのは、そのような自己に課している「臭い臭いを避けなければいけない」というプレッシャーから解放されるというのがあるのではないかな、と思いました。以上です。

No.3 80ヶ月前
userPhoto 岩崎夏海(著者)

>>3
たしかにそうですね。我々の五感は他の動物と比べてかなり鈍くできていますが、それはそうした方が生きやすいからです。特に都市だと排気ガスや騒音が煩わしくて、感覚が鋭敏だと病気になってしまいます。しかし感覚を鈍化させるとその分刺激も少なくなるので、我々は刺激を欲してホラー映画を見たり、ジェットコースターに乗ったり、激辛や臭い料理を食べたりするのでしょうね。

No.4 80ヶ月前
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