とんねるずの笑いは、一見ただ大騒ぎしているだけのように見えて、実は「テレビでどれだけひどいことをできるか」というアバンギャルドなタブーへの挑戦でもあった。

石橋貴明氏は、他者への差別的な軽視とは別に、神を崇めるような尊敬の心も持ち合わせていた。蔑むときは蔑むが、尊敬するときの度合いもまた大きかった。

それが、とんねるずがひどいことをする際の免罪符として機能した。トークのときなどに、時折相手への最上級の敬意を表す。それは、視聴者に「この人は本当はいい人なのだ」と思わせる効果があった。おかげで、本来テレビではできないようなタブーを犯しても、許されることができたのだ。

そういう石橋氏のありように、岡村隆史氏は憧れた。岡村氏は石橋氏になりたかった。彼はワナビーだったのだ。

もちろん、ワナビーが悪いわけではない。ワナビーのスタンスは、人がスターになるための道程には絶対に欠かせないものだ。
ただし、岡