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「考えない」とは何か?
「考えない」というのは、無意識に生きる、ということだ。人間は、自然に生きていれば、自然と無意識に生きられる。例えば、朝起きて顔を洗う。電車に乗る。自販機で飲み物を買う。疲れたら寝る。こうした行為は、人はほとんど無意識に行える。
こうした行為が無意識に行えるのは、それがルーティンワークだからだ。人は、ルーティンワークだと無意識に行える。だから、ルーティンワークを行えば行うほど、無意識に生きられ、幸せになれる。
昭和の時代に鬱病が少なかったのは、これが理由だ。仕事のほとんどがルーティンワークだった。鉄道員など、下手をすれば入社してから定年退職するまで、30年間仕事が変わらなかった。ルーティンワークが延々と続いたのだ。
そういう時代に生きていると、人は無意識に生きられ、鬱病にならずに済んだ。しかし、時代はその後、平成に入ってから急激に変化するようになった。特にウィンドウズ
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コメント
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本日も興味深い内容の記事ありがとうございます。
次回が気になるところですが、今回の内容で1つ質問があるので
コメント記載させて頂きました。
若い時に以前プラステイック工場のラインで
ルーティンワークを行った時、数日で気が狂いうそうになった記憶があり
自分はルーティンワークには向いてないかもと思っていたのですが
単純に無意識で作業をこなせる域まで達せなかったからでしょうか?
今回のお話はルーティンワークで幸せに、非ルーティンワークで鬱にという内容でしたが
非ルーティンワークの方が幸せと感じるタイプの人もありえるでしょうか。
もしご返答できるようであれば、ご教授頂ければ幸いです。
目から鱗でした。たしかに、思慮深い方は鬱になりやすいのかなと思います。庵野秀明さん然り
岩崎夏海(著者)
>>1
結論から言うと、そのつらかった仕事は「ルーティンワークではない」ということです。
では、ルーティンワークとは何か?
次回、そのことにも触れたいと思います。
岩崎夏海(著者)
>>2
考えることは万病のもとです。桜井章一さんは考えることを極限まで否定しています。
ご返答ありがとうございます。
なるほど!
自分がルーティンワークと思ってただけで
そもそもルーティンワークではなかったということなんですね。
連載に割り込んでしまい申し訳ございませんが
次回期待してお待ちしております。