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こういうと物騒に聞こえるかもしれないが、親は殺すために存在している。そのため、親を殺すと、よく生きられる。その逆に、親を殺せないと、よく生きられない。死んだ人生を送ることになる。
ところで、世の中には一定数の「死んだ人生」が必要である。これも、この世界の裏ルールだ。なぜ死んだ人生が必要かというと、生きた人生を送る人の養分となるからだ。
この世界では、ホームランを打つバッターを存在させるため、ホームランを打たれるピッチャーを必要とする。そういう、きわめて無慈悲なルールがある。
これと一緒で、人が生きた人生を送るためには、必ず死んだ人生を送る人を踏みつけにしなければならない。大谷翔平選手がホームランを打つためには、ホームランを打たれてクビになるピッチャーが必要だ。でないと、自分がクビになり、他人の養分になる。
そんなふうに、社会を持続的に運営していくためには、死んだ人生を送る人が必要だ。だから
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僕はハックのラストは最初いまひとつ腑に落ちなかったんだけど、読後しばらく経ってから、放蕩息子のパロディだと気がついた。子供が自発的に親から離れること、再会することが共通している。でも原典では「子供が生き返った」ように対して、ハックでは「親が死ぬ」。なかなかトンチが効いているな、と思いました。
岩崎夏海(著者)
>>1
ハックとジムが途中で出会う幽霊船で、自分だけ中に入ったジムが「ハックさんは見なくてええだ」と言ったのは、そこにハックの父の死体があったからだそうです。このジムだけではなく実はトムも、ハックの父が死んだのを知っていたのではないか。それがハック(と読者)にだけ隠されていて、本当はもう逃げなくてもいい(死んだ)父親から、それでも逃げて、それゆえ最後には心も解放される(逃げ切れる)というのが、この小説の本筋ではないかと。親が生物学的に死んでも、心が解放されない子供もまた多いですからね。