閉じる
閉じる
×
石原莞爾は1918年(29歳のとき)に陸大を卒業する。その後、1920年(31歳)に中国に転出。さらに1923年(34歳)にはドイツに留学している。陸大を優秀な成績で卒業した者は数年ヨーロッパに留学するのが陸軍のならわしとなっていたからだ。
この頃の石原は、世界を視察しながら自身の人格と思想とを育んでいた。日蓮主義に傾倒するのもこの頃だし、「世界最終戦争論」をかためていくのもこの頃のことだ。
「世界最終戦争論」とは石原の代表作のようなもので、第一次世界大戦によって兵器が超絶的に進化した結果、やがて世界は二つの国に集約される。そしてその二つの国が、さらに進化した兵器で短期決戦による最終戦争をし、最後は一つになる。以降戦争は行われない――というものである。
ここだけ見ると、その後の「アメリカとソ連の二大超大国化」及び「核兵器」や「両者のあったかもしれない核戦争」あるいは「冷戦の終結」を思い浮か
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
コメントを書く
岩崎夏海(著者)
>>1
その通りです、申し訳ありません。修正いたします。ありがとうございます!
岩崎夏海様
ご返答ありがとうございます。
また記事の修正ありがとうございます。
引き続き連載楽しみにしております。