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室町時代中期、足利義政が将軍を担っていた時代に、彼の庇護の元で東山文化が育つ。絵画では狩野派の祖である狩野正信、また土佐派の祖である土佐光信が、日本画を大きく発展させる。さらに、雪舟は水墨画で一時代をなした。
茶道や華道も発展したが、何より有名なのは庭園である。銀閣寺、龍安寺、大徳寺などが、この時代の作である。
足利義政は、15世紀の中頃から将軍職を担うが、その権勢はあまり振るわなかった。おかげで守護大名の勃興を許し、応仁の乱が起こる。今でも京都人が冗談のように「先の戦争」というのは、第二次世界大戦ではなくこの応仁の乱を指す。応仁の乱は、1467年から1477年までの約11年間にわたって続いた。
応仁の乱がなんとか収まった後、義政は将軍職を退いた。ただし、後任の義尚がまだ若かったため、その後見人として権力は保持し続けた。
そんな義政は京都東山に居を構え、そこに家と庭園とを造りながら政治を司
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