テレビに取りあげられたことがきっかけとなって、「もしドラ」はベストセラーの階段を駆け上がっていった。その後、数ヶ月で何十万部も増刷し、2010年の7月22日には100万部に到達、さらにその年の暮れには200万部に到達したのだった。
その後、ぼく自身が紅白歌合戦の審査員に抜擢されたり、アニメ化や映画化がなされたりするが、それらは全て売れたことの余録のようなものだった。それらがあったから売れたというわけではなく、売れたからこそそれらがあった。だから、売れる要因というのは全てそれ以前のさまざまなことの中にあったのだ。

「もしドラ」はなぜ売れたのか?
その理由を、一言で言い表すのは難しい。だからこそ、40回もの長きにわたってさまざまなことを書き連ねてきたのだが、それでもあえて一言で言うとするならば、それはぼく自身が命を賭けてこの作品に取り組んだ、そのことの「執念」のようなものが行間から滲んでいたから――ではないかと、今振り返ると思ったりもする。


これを書いている数日前の、2013年の7月28日、第95回全国高校野球選手権大会の西東京地区の予選決勝があった。