その後、ぼく自身が紅白歌合戦の審査員に抜擢されたり、アニメ化や映画化がなされたりするが、それらは全て売れたことの余録のようなものだった。それらがあったから売れたというわけではなく、売れたからこそそれらがあった。だから、売れる要因というのは全てそれ以前のさまざまなことの中にあったのだ。
「もしドラ」はなぜ売れたのか?
その理由を、一言で言い表すのは難しい。だからこそ、40回もの長きにわたってさまざまなことを書き連ねてきたのだが、それでもあえて一言で言うとするならば、それはぼく自身が命を賭けてこの作品に取り組んだ、そのことの「執念」のようなものが行間から滲んでいたから――ではないかと、今振り返ると思ったりもする。
これを書いている数日前の、2013年の7月28日、第95回全国高校野球選手権大会の西東京地区の予選決勝があった。
コメント
コメントを書くもしドラを読んだ後にその場面が再現がされると、それも併せて読書体験の一部になります。
また、逆にこの現実の決勝戦が誰かの新しい作品の一場面になっていくでしょう。
>>1
ありがとうございます!
読書というのは読者の個人的な体験と結びつくことで、一つ一つがオリジナルなものになっていくんですよね。それは全く価値の高く、貴重なことだと思います。
このシリーズから非常に多くのヒントと勇気をもらいました。
ありがとうございました。
>>3
こちらこそ、お読み頂きありがとうございます!