「ドゥ・ザ・ライト・シング」は、1989年、当時まだ32歳だったスパイク・リーが監督した、アメリカの映画である。

この頃のアメリカは、ハリウッド以外のところから独立系の新しい才能が次々と現れるという流行があって、コーエン兄弟やジャームッシュ、ソダーバーグなど、次代を担う新進の監督が立て続けに話題作を撮っていた。
スパイク・リーも、そうした流れの中で出てきた監督だ。
彼は、ニューヨーク大学などでアートを学んだ後、小さな映画を撮りつつCMディレクターとしても注目を集め、若くして名を為した。そのため、非常にスマートな雰囲気を身にまとっていた。

この頃のアメリカでは、そういうアカデミカルな出自を持つ制作者が主流になりつつあったのである。一方、日本はその逆に旧態依然とした体育会系の制作者が幅を利かせていて、1980年代から90年代にかけては、彼我の品質の差はそれはそれは大きく開いたものだった。
この「ドゥ・ザ・ライト・シング」が公開された1989年、日本では「極道の妻たち」や「あぶない刑事」といった映画が人気となっており、ぼくとしては「邦画は地に墜ちた」という感慨を強くしていた。だから、アメリカのそうした状況がより一層羨ましく思えたのを、今でも鮮明に記憶している。ぼくが今でも邦画を嫌いなのは、この頃の印象が大きいからだ。


ところで、「ドゥ・ザ・ライト・シング」はとても面白い作品である。
初めて見た時、ぼくはスパイク・リーのその才能のすごさに舌を巻かされたのだけれど、ところがその後、彼はこの作品に匹敵するような名作を生み出せていない。
そうしてみると、この映画はいくつかの偶然や幸運に味方された「アクシデンタルな名作」だったということが、今振り返ると分かってくる。

「アクシデンタルな名作」というのは、映画の世界では時々生まれるものだ。何本もの作品を撮った監督が、ある作品についてだけ突出した高評価を得ることがあって、例えば「カサブランカ」や「羊たちの沈黙」といった作品がそうなのだが、これも、そうした作品の一つだということができよう。

「ドゥ・ザ・ライト・シング」のテーマは「差別」である。それを描きながら、同時に「人間の本質」というものにも迫っている。
主な登場人物は「イタリア系アメリカ人」と「アフリカ系アメリカ人」で、この両者の対立を追いながら、「人間の愚かさ」について浮き彫りにしている。

この映画のユニークなのは、そういうシリアスなテーマを扱っているにもかかわらず、内容がコミカルになっていることだ。コミカルというより、ほとんど「ギャグ」である。ギャグでありながら、人間の「愚かさ」という本質に迫っているのだ。