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「この世は神様が作ったんだから、ちゃんとした法則性があるに違いないンゴ」
「よし、その法則性調べるため、“自然科学”というツールを考えたンゴ」
「それによって神様がいないことがわかったンゴ」

 以上、三行でわかる科学の歴史でした。
「自然科学」は「キリスト教」の子供です。
「キリスト教」を殺した、親殺しの息子です。
 そして「フェミニズムの息子」たる勝部元気師匠もまた……というのが今回のお話です。もっとも勝部師匠が、ご自分のおっしゃっていることと聖書との徹底的齟齬に自覚的であるかどうかは、いささか心許ないのですが……。

 さてこの勝部元気師匠、「KTB」との愛称で親しまれる、twitter芸人としても著名な方です。チャラいホスト風のルックスで古拙なフェミニズムのロジックを振り回す、というのが芸風で、
LUMINE(ルミネ)が女性蔑視のセクハラCMを作って炎上中
いい加減ナンパを禁止にしてくれませんか?キャッチより怖いんです。
 といった珍論奇論を展開しては、まあ、はっきり言って男性女性問わず広範囲の人たちからブーイングを受けています。
 笑ってしまうのは本書の帯。

ナンパ禁止論や「反・不倫」論で話題を呼んでいるコラムニストが断言


 とあります。むろん、ブーイングであろうが何であろうが商売に利用できるものはする、という態度は正しいとは思うのですが。
 そんなわけで処女作である本書を、手に取ってみたわけですが……。
 とにもかくにも本書は、女に対して「恋愛、結婚ができないのは貴女のせいじゃない」、と繰り返します。帯にもまえがきにも本文でも最初の1p目から、そうした主旨の文章がとにかく何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返されます。
 では、何が悪いのか。
「貴女が結婚できないのは社会が悪い、結婚というシステムが社会の変化に対するアップデートができていないのだ」というのが師匠の主張です。
 師匠はプロローグから、「恋愛文化の終焉」との節タイトルを掲げます。おわコン化したのは結婚だけでなく、恋愛もまたそうだ、というわけです。
 師匠はまるで本田透の本でもパクッたかのごとく、ヴェルナー・ゾンバルトを引用し、資本主義、恋愛至上主義を糾弾します。

お金儲けを企む企業や人が、「モテないと負け組だぞ? 異性に選ばれたければ努力しろ! お金を使え! オシャレしろ! プレゼントしろ! ダイエットしろ! キラキラしろ! アイテムそろえろ! 女子力・男子力を磨け!」という圧力をかけます。それによって、恋愛・結婚のハードルがみるみる高くなってしまったのです。
(20p)


 なるほどなるほど。
 或いはKTB師匠は「電波男」の後を継ぎ、この世に「真の愛」を求めようという愛の戦士なのか?
 更に読み進めると、師匠は「なんと、一人暮らしの若者は女性のほうが、可分所得が高いのです。(57p)」と指摘。
 おぉ!
 いいぞ、KTB、もっと言え!!
 第1章では現代の恋愛が長期化し、仮に交際した時も「別れ」が念頭にあるために、結婚の困難さがあると指摘していますが、これは全くの正論でしょう。また婚活などの場でも「代わりがいくらでもいる」気安さから関係が安易になりがちであり、また打算で相手を見てしまいがちだと批判。その意味で、「打算」の部分を親や上司が引き受けてくれたかつての見合いを、彼は評価します。
 時代の流れであり、不可逆的なこととはいえ(例えばぼくも自分ではあまり見合いをしたいとは思いません)、これはこれで正しい指摘でしょう。
 第2章「恋愛のステップアップ術」では、出会い系サイトなどで「よい出会いを期待します」などの定型句があるが、受け身で期待していてはいけない、関係は作っていくものだとバッサリ。
 おぉ! いいぞKTBアニキ!!!
 また「男らしいタイプ」「尊敬できるタイプ」が好きという女性は相手のお金、権力、地位が目当てなのだから危険だと、いちいち大仰に頷かずにはおれない正論の嵐。
 輝いてます、アニキ!!
 第5章のタイトルは「ホテル代を割り勘する女性が幸せなわけ」。
 ホテル代を割り勘にする女性、男性に支払わせる女性、どちらがいいかと男性に聞いたところ、全員が「割り勘女子」の方を選ぶと言っていたぞ、とアニキ。「(男にばかり支払わせていては)ステキ男子の支持を失う」との節タイトルもステキな、アニキの正論!

 1つは、「お姫様願望を満たすためにお金は払ってほしいけれど、発言権はしっかり確保したい」というご都合主義に陥ること。これでは自立した魅力ある女性とは言えないですし、都合よく女性の体を消費しようと考えている男性から狙われても致し方ないと言わざるを得ません。
(148p)


 ステキです、アニキ!!
 感激に打ち震えながら、もう一度パラパラと目次をめくると――目に留まるのは節タイトル。

スマート女子とガラパゴス男子
マトモな男はいなくなった
女性の成長を邪魔するお荷物男子たち
男のプライドはどんどん傷付けよう


 ん……?
 何だかきな臭いものを感じつつ「スマート女子とガラパゴス男子」を眺めてみると、

 ファッション、食生活、趣味、キャリアコースなど、女性の価値観や生活行動は、時代の変化とともに急激に変化しています。一方で多くの男性がその変化に追いついていません。
(24p)


 う~ん……以前も採り挙げましたが、この種の「女は変化している」論ってバブルの遺物なんですよね。「女はファッション/食生活/趣味が豊かだが男は貧しい」とドヤ顔の師匠ですが、それ、女がカネ持ってるってだけやん。若年層では女性の方が可分所得が高いことを指摘したページでも、女性のコミュニケーション能力の高さを掲げ、これからもその傾向が強まるだろうと得意げですが、女の方がカネを持っているのは、女が男を養うことがないからでしょう(ちなみに本書には「主夫」という概念は登場しません)。
 また、ファンタジーであるコンテンツが日常に溢れる現代にはファンタジーリテラシーが必要となるが、男性はそれに乏しく、異性に対する歪んだ認識を持ちがちだ、との主張も。むろん、その主張を裏付ける根拠はどこにも記されていません
ロクでもない男の親はだいたい毒親」の節では、恋愛のハードルが上がったのはモラルの低い男性が増えたからだ、とご高説。そして、そうした男性の親は毒親だそうです。
 なるほど、母親が悪いのだな。また、当然女性のモラルも低下しているのだな……と思っていると、もちろんそうではなく、社会が女性を主婦に追い込んだから悪いのだそうです。う~む、均等法が施行されて三十年近く経つ今は、素晴らしい男女が増えていそうなものですが……。
 そうした男性は人格が未成熟なため、被害者意識で自らを武装し、攻撃性を発露させるとのことですが……それみんなフェミのことやん!!
 さて、ここで師匠は「モラル、モラル」と繰り返しています。また、「DV」「ストーカー」「リベンジポルノ」などといった性犯罪を例に持ち出してきています。
「レイプ」などを持ち出さず、「モラル」というどうとでも言えるモノや、近年の概念ばかりを例示するのは、「レイプ」などでは「減った」という数字が出るため、指摘されないための用心ではありましょう。師匠も満更、バカではありません。
 こうした男性の未成熟さの原因を、師匠は核家族化など現代社会の状況に求めていますが、しかし昔の方がDVやストーカーなど(そうした言葉がなかっただけで)非道かったはずだと思うのですけれどもね。
女性の成長を邪魔するお荷物男子たち」では「家庭的な女性がいい」との男性の恋愛観に従うと、女性の成長が止まる、婚活本などもそうした男性側の女性観を女性に押しつけている、男が悪い、と主張。
 いや……婚活本などを書いているのは大体女性でしょうし、そうした本が売れている以上、そうした女性観は男性が押しつけたものとばかりは言えないのでは……。
 男が「家庭的な女性がいい」と言うことをマザコン的甘えで、それが女性を傷つけていると主張するページでは、驚くべきことに「東南アジアの屋台文化に学べ」と提案しています。貧しい東南アジアを天国のように偽り、「日本よりも女性の社会進出が進んでいる、家事のアウトソーシングが進んでいるからだ」とするお馴染みの主張ですが、そんなモノに学ばなくても日本にはコンビニがあるでしょうに。それとも師匠、その存在をご存じないのでしょうか……?
 ひょっとすると師匠は大富豪で毎日ステーキの生活をなさっているのかも知れません。羨ましいですね
 補足しておけば、「ホテル代を割り勘する女性が幸せなわけ」の節においても、「割り勘を好む男ばかり」ではあるものの(それならば理論上、「男の方が女より先進的である」と言わざるを得ないと思うのですが、そうではなく)「そうした男子の中にも女性の人格を認めるが故に割り勘を選ぶPC的に正しい男子と、単に安くやりたいPC的に悪い男子がいるぞ」と「ワルモノ作り」の心を忘れない辺り、さすがの腕前です。
 とにもかくにも本書では「結婚できないのは貴女のせいではない」と「自己責任論」悪い主義を振りかざすその返す刀で「男が悪い、男が悪い」と繰り返しており、このダブルスタンダードぶりはいっそ潔いほど。

 第7章のタイトルは「結婚できないのは、あなたが悪いんじゃなくて結婚が悪い」(またかよ!)。
 ここでは「結婚は2億7645万円の損失」だとされます。これは女性がずっと働いた時の生涯賃金らしく、結婚はそれを諦めると言うこと。それ故、非婚化が進んでいるのだそうです。何と言いますか、「男にとって結婚は1億円の無駄遣い」というコピペを思い出します。
 ちなみに「女性はその全員が社会進出を望んでいる」は師匠にとっての大前提であり、専業主婦志望の女性という概念は、本書には存在しません
 この章でも、またまえがきでも、師匠は日本生命の調査を持ち出し「結婚したくない女性が男性の2倍になった」「結婚にプラスのイメージが持てないからと回答する女性が男性の2倍になった」と吹聴します。
 これはネットでも結構あちこちに書かれ、師匠自身もtogetterでまとめているのですが(「結婚したくない」女性が男性の2倍!増える結婚ボイコット)、これは実は70代、80代といった高齢の女性の答えをも含めたデータであり、20代に絞ると男性の方が結婚したがっていないんですね。これは加齢と共に葡萄が酸っぱくなっているだけで、むしろ結婚願望の高さの表れでしょう。ちなみにそうしたデタラメさはtogetterでも指摘されているのですが、それを改めないどころか著書にも引用する辺りに師匠の不誠実さが見て取れます
 また、「個の時代だからみな結婚しない」と現状を(古市師匠の本をも持ち出して)肯定。少子化は「仕事と家庭の両立という無理ゲー」を強いる社会のせいだと続けます。いえ、それを女性に強制しているのはあなたのボスだと思うのですが。
 終盤に入ると、「なぜ、日本人男性はフランス人男性の10倍以上浮気をするのか?」という節が登場します。十倍という数値に驚いてよく読めば、師匠がこう主張する根拠は、買春のデータだけです。つまりここでは先と同様、「買春=浮気」という詐術でこうした主張がなされているのです。
 フランス人男性/女性と日本人男性/女性の比較は図にもなっており、要するに「日本の男はセックスをアウトソーシング、家庭機能を伴侶に求めるが、フランスの男は逆」。また、そこから導き出される必然として日本の女は母親役を強いられ、フランスの女は「母親である前に女性」であるともしています。
 ぼくは日本人男性の方がまだマシな気がするのですが、これ、女性には魅力的に映りそうですよね(大体、フランスって国を出された時点で女性はメロメロって気がしちゃいますし)。
 ところが、そこまで言っておきながら、フランスやスウェーデンでは結婚しない女が増えていることを称揚するので、こっちはひっくり返りそうになります。本書も最後の最後になって登場するこれが、どうも師匠の本音と言えそうです。
 それはつまり、「結婚も恋愛もおわコン、みなさん、一生"個"として生きていきましょう」というものですね。

 ――さてみなさん、いかがお感じだったでしょうか。
 勝部師匠が男の敵である、という事実は十全に伝わったかと思います。
 が、重要なのはネット上で、師匠は必ずしも女性に受けてはいない、ということです。
 この、ホスト面が。
 上にもある通り、師匠は「ナンパを法で禁止せよ」と署名運動を展開していらっしゃる面白い方です。また、「サニタリーボックスを汚物入れと呼ぶのは女性蔑視の現れ」とのまとめを作り、女性にどっ退かれたという経験もおありです。後者は発言をあっさり削除してしまったのですが、何と言いますか……「ジェンダーフリーを真に受けたガリ勉君の暴走」という微笑ましい感じが、どうしてもしてしまいます。師匠はきっと、「ジェンダーフリーなフェミニストの女性たちは、ボクの主張を冷静に理論的に受け止め、誉めてくれるはずだ」との思いがあったのではないでしょうか。
 本稿の冒頭、ぼくは師匠を誉め殺しました。例えば「デートの時に割り勘にせよ」的な主張はそれこそ「男性学」「マスキュリニズム」と称する先生方も時おりなさり、ぼくもそれ自体は賛成です。しかし同時にぼくは、「だが、とは言え、そうした主張をしながらもフェミニズムのダブルスタンダードに気づけない彼らは信頼できない」といった主旨のことをずっと言い続けてきたはずです。
 勝部師匠の言もそれと同様なのですが、それに加え、上のサニタリーボックスの件のような「女性の機微を理解しないマジメ君の失態」的な振る舞いがどうにも多く、ぼくは何だか師匠を憎めません。
 師匠の主張のうち、ぼくが誉めたモノも上の「サニタリーボックス云々」も、実はフェミニズムやジェンダーフリーに則れば、正しいこと、のハズなのですから。
 ひるがえって見合いを称揚したり、不倫を否定したりはフェミニズムに反しますが(フェミニズムは家族制を否定するので不倫はむしろ正義のはずです)、しかし「女性のため」を思えば決して間違った主張ではない。彼が持続的な愛情を重要視し、「腰や肩を抱えながら一緒にホームパーティーで来客を出迎えている海外の中年夫婦(123p)」を称揚しているのもそれで、これは欧米の強烈なカップル文化、ロマンチック・ラブ・イデオロギーのタマモノであり、フェミニストにとっては気の狂うほど憎らしいモノのはずです(あ、俺もここだけはフェミに同意だわ)。

 ぼくも勝部師匠のファンの一人として、ネット上でついつい彼をいじってきました。
 そんな中、ぼくは彼にはプロデューサー的なフェミニストがいると想像してきました。今時、バックアップがなければ無名の作家が本などなかなか出せませんし。だから権力を持つフェミニストが一般層にアピールする戦略として、こうしたチャラ男に本を出させたが、彼自身はフェミを超えたビッグさで、一般層もフェミ自身もどっ退き、といった図を想像していたのですが、こうして見るとその想像は当たっていないように思います。
 恐らく、彼は独学です。
 そのため、先の「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」といった概念はご存じではない。コンビニをご存じでないように。
 ただただマジメなガリ勉君であるがため、フェミニズムの主張を鵜呑みにし、フェミニストの見ている方が気恥ずかしくなるような輝かしい自己像を真に受けてしまった。そのため、一方ではフェミニズムに則った(一般の女性からは総スカンを食う)高邁な主張をする。
 一方では「常識的女性」の感覚に則った反フェミ的な主張をする。
 彼の珍論奇論はそれぞれ一つ一つは「フェミニズム、或いは女性の利」に敵っており、奇しくもフェミニストたちのダブルスタンダードぶりを明らかにする破壊力を持つに至ってしまった。
 それが、実態なのではないでしょうか。
 ぼくが先に挙げた比喩の意味も、もはやおわかりでしょう。
 我らがKTB師匠は神殺しの兵器、ロンギヌスの槍だったのです。