みなさん、新年明けましておめでとうございます。
 いよいよ新しい年の始まりです。
 これよりの七日間がみなさんにとってよいお年でありますよう。
 ――歌丸さんのパクリ、一応義務的にやっておきました。
 さて恒例の10大ニュースです。もっとも、「恒例」では社会を騒がせたトピックスはあまり扱わず、自分の身辺のことばかりを書き綴っておりましたが、本年は期せずして、ある程度「時事ネタ」の比率が増えております。
 それがいいことかどうかは何とも言えませんが……。

【第10位】自治体が同性婚を認可

 これについては殊更に反対の意思も賛成の意思も持っておらず、そこまで語ることもないのですが、むしろ本件がきっかけでLGBTという言葉が人口に膾炙するようになったことこそが重要だったのではないでしょうか。
 それに続き、

【第9位】性同一性障害者が、フィットネスクラブに女性として扱えと提訴

 といった事件も起こっております。
 言うまでもないことですが彼ら彼女ら(の中の、フェミニズムなどに影響された運動家)は度々、こうした奇矯な騒動を起こしていました。フェミニストたちもそれに唱和して「オカマは女湯に入る権利があるのだ」などと言い立て続けてきました*1。
 が、その欺瞞もそろそろ、限界が来ている気がします。
 LGBTが「正視するのも恐れ多い、無辜で無垢な聖者」から、「その辺にいる、俺らくらいにはバカなヤツら」へと「クラスアップ」するのも、もうそんなに遠い日ではないのかも知れません。

*1 「オカマ」は女湯には入れるのか?
「オカマ」は女湯には入れるのか?Ⅱ

【第8位】女の壁問題

 もうすっかり忘れ去られたトピックですが*2、これぞ誰の目にも「フェミニズムとは女災そのものである」「フェミニズムは男性の、女性の、人類の敵である」とわかるようになった、非常に実り深いできことだったのではないでしょうか。

*2 これについてはASREADで書かせていただきました。本件は、小浜逸郎さんからお誉めの言葉をいただいたことでも感慨深いできごとです。
フェミニスト議員による「女の壁」はまさに女の敵!

【第7位】おっぱい募金、フェミに叩かれる
【第6位】のうりん、フェミに叩かれる
【第5位】碧志摩メグ、フェミに叩かれる
【第4位】ユーフォニアム、フェミに叩かれる

 はい、続けて発表させていただきました。
 これ、「言いがかり度」の高いものほどランキングが上になっております。逆に言えば、ランキングが低いほど「フェミニズムに関連の低い、単純な風紀や常識の問題」に還元される要素が高い、とぼくは判断します。
 この種の問題はもう語り尽くしており、今更ではあるのですが*3、とにもかくにもここまでオタクとフェミニストたちの対立が激化したのは初ではないでしょうか。むろん、人工知能学会の会誌問題、結構前も「ろりともだち」問題*4、『中国嫁』問題*5と近しい問題はあったのですが。
 しかしかつては「若者の味方」、「オタクの味方」で売っていた香山リカ師匠がオタクの敵に回り、またオタク界のトップが「フェミニズムを批判するオタク」を誹謗するに至り*6、今年こそ、誰の目にも彼ら彼女らが「オタクの敵」であるとわかるようになったのは、非常に実り深いことだったのではないでしょうか。

*3 「碧志摩メグ」などについてはASREADで書かせていただきましたので、どうぞご覧ください。
海女ちゃんが「女性差別」と騒がれている件
フェミニストが萌えキャラに目くじらをたてる理由とは・・・~香山リカvs碧志摩メグ?~
*4 ろりともだち
ろりともだち(その2)
ろりともだち(その3)
*5 中国嫁日記
中国嫁日記(その2)
*6  濃加茂市は新たなPR効果を期待──オタクによる「フェミ」批判の醜さが目立った『のうりん』ポスター騒動の顛末
彼らにとって「真のオタク」とは自分たちの鉄の規律を厳守する革命戦士だけなのでしょう。これについては、近くASREADで書かせていただくつもりです。

【第3位】夫婦別姓、最高裁で否決

 まあ、常識的な判決が出たと、ぼくは思っております。
 本件でちょっと目についたのは、ニコニコニュースにおけるオバタカズユキ師匠のご意見でした*7。
 冒頭こそ頑張って我慢して堪えに堪えて「中立派」を装っていますが、すぐにボロを出して、後半はただひたすら反対派の誹謗中傷を繰り返すという品性も誠意もない記事。選択的夫婦別姓制度の導入が「家族が全員同じ姓でなくても構わない、という考え方の普及活動」であり、「別姓を異常視しない常識づくり」のためになされるというというユニーク(過ぎる)な着眼点には不思議な感動すらも覚えますが、そもそもそれならば「結婚後の夫婦はどちらの姓を名乗ってもよい」との現行法はそうした「常識づくり」をするために作られたもののはずで、しかしそうした常識は世に受け容れられていない。
 そうした何重にも論理的破綻を来した意見を吐いた挙げ句、反対派を「彼ら彼女らにとって、自分と違う存在は魔物そのものなのだろう。」と形容するのだから恐れ入ります。
 力によって他者を支配したいという欲望に囚われ、「自分と違う存在は魔物そのもの」だと考えているのはオバタ師匠の方でしょう。

*7 夫婦別姓 少数の希望者に自由与えても大勢に影響なしと識者

【第2位】ヘイトスピーチ問題

 ……2位にまで持ってきておいて何ですが、この問題について、ぼくはあまり多くを知りません。
 フェミニスト(例えば上野千鶴子師匠の弟子、千田有紀師匠*8)はポルノをヘイトスピーチであるとして規制しようとしていますが、正直、その他の(外国人などに対する)ヘイトスピーチ問題について、ぼくには知識が全然ありません。
 が、例えばですがCRACの野間氏は「仲よくしようぜ」と言っているわりにオタクへの「ヘイトスピーチ」を続けている人物で、ここには「彼らの中ではきれいなヘイトスピーチと汚いヘイトスピーチの峻別がくっきりとなされている」ことがはっきりと現れています。これは換言すれば、彼らが「弱者と強者が明確にくっきりと分かれて存在している」という世界観に生きていることを現しています。要するに彼らの感覚では「オタクは弱者じゃないからヘイトスピーチをしていいのだ」ということが自明すぎる常識であり、そこを批判されてもさっぱり理解できないわけです。
 しかしそうした彼らの欺瞞はここ数年、極めて強い批判にさらされてきました。
 ところで最近はあまり書いていませんが、ぼくは一時期よく「男性差別という言葉は嫌いだ」と言っていたかと思います。「差別」という概念自体が嫌いだからでもあるし、「男性」は「被差別者」として認めてもらいにくい存在であり、作戦としても悪手だと考えるからです。
 ですが、上の流れを見ていて感じたことがありました。
 要するに「ヘイト」と言っても、それは「差別」の言い換えに過ぎず、殊更に新しいことが言われているわけではありません。しかし、その言い換えによって「差別」のおわコン性が露わになった、という感じが、何だかしないでしょうか。
 換言すれば、「男性差別」と言うとうさんくさがられますが、それに比べるとフェミニストやリベラルに対し、「お前の発言こそ(オタクへの、男性への)ヘイトだ」という言い方をすると、通りがいいのではないか。
 つまり本件は、「何か、ナウいカタカナを使うことで使い古しのネタを新ネタに見せかける」という彼ら彼女らの得意技が、彼ら彼女らの弱点を逆に露わにしてしまった、という皮肉な事例として見ることが可能である気がするのです。

*8 夏休み千田有紀祭り(第二幕:ゲンロンデンパ さよなら絶望学問)

【第1位】ツイフェミ批判ブーム

 伊集院光のラジオを聞いていると時々、「子供の頃、自分の作った神様に取り込まれたエピソード」というものが登場します。
 時々と言っても二十年以上やっているラジオの中で、ぼくの知る限り三、四回ほど耳にした程度なのでさほどポピュラーなネタではありませんが、リスナーの葉書や伊集院の知りあいの話として、そうした話題が出るのです。例えばですが、「面白半分にお人形を神様に見立てて祈っていたが、だんだんとマジになり、祈りを欠かすと祟られると怖れるようになっていった」みたいな話です。
 しかし、考えるとぼくの子供の頃の友人たちも野っ原で遊んでいた時、土に穴を掘って祠っぽいものを作って「神様だ」とか言っていたことがあるので、やっぱりこうした心理はある程度普遍的なのでしょう。わからないのは「神様」なのにみんなでそこでおしっこをしていたんですけど。

 ――さて、まあ、おしっこはどうでもいいんですが、ぼくが言いたいのは「ツイフェミ批判クラスタ」についてです。
 ここ数年、ぼくはずっとネットにおける「リベラル/ラディカルフェミニスト」という用法は間違いであると指摘してきました。オタク界のトップが「フェミニズムを延命させるため」という目的を持って流したデマである、とも言ってきました。当初は「うっかりミスが広まった可能性もある」とかなり好意的な解釈をしていたのですが、彼らは絶対に自分たちの間違いを認めようとはしませんし、これはもう故意だと言っていいかと思います。
 その一方、最近では「ツイフェミ」という言葉も人口に膾炙してきています。しかし、これもまた「ラディフェミ」と同じく、要するに「悪しきフェミ」以上の意味はありません。そしてそこには必然的に「よきフェミもいる」という考えが内包されていると考える他はないが、少なくともぼくはそんなモノを見たことがありません。
「ラディ/リベフェミ」同様、「ツイフェミ」という言葉も、ぼくがリスペクトする人物、嫌いではない人物も使っている表現です。しかしそれでも、これらの言葉を使うことには大きすぎるデメリットしかなく、認める気にはなれません。
 以前、この言葉について採り挙げた時は比較的彼らに好意的なスタンスで書いたのですが*9、彼らの中のあまり好意的になれない層を見ていると、彼らが同時に「自称フェミ」という言葉をも使う傾向があることに気づきます(こうした適当な言葉を濫用していることが、既に彼らの混乱と不当さを如実に示しているのですが)。
 フェミニストたちが不用意な発言で尻尾を出す度、彼らは火消しに参上し、「彼女らは自称フェミだ、ホンモノのフェミではない」と強弁します。上の件で香山リカ師匠がオタクの敵だとバレた時にもそうでしたし、一番非道いのは柏崎玲於奈師匠に対してさえもそう呼んでいた者がいました。後者はジェンダーSF学会に所属している立派な「オタクフェミニスト」なのだから、もう何というか「血の粛清」という感じですね。
 ショッカーが仮面ライダーに追い込まれてゲルショッカーにリニューアルした時、戦闘員も一新したため、旧戦闘員は大量に殺戮され河原に累々と屍体が積まれていたことがありましたが、それを連想させる話です。

*9 仮面ジェンダーV3』第44話「ツイフェミ対弱者男性」

 ――さて、まあ、ショッカーはどうでもいいんですが、ぼくが言いたいのは「自称フェミ批判クラスタ」についてです。
 彼らは上の「リベ/ラディフェミ」のデマについてつつかれると、一体全体どうしたわけか、さわやかなまでに迷いのない真っ直ぐな目で「ソースはウィキペディア」と断言します。事実、「リベ/ラディフェミ」の項目は(誰が書いたのかは知りませんが)ミスリードを誘う、ギリギリ「嘘」にならないレベルの、極めて不誠実な記述がなされているのです。
 ここには、「自分が捏造した神様」を伏し拝み続けた者がその「信仰」に取り憑かれ、取り返しのつかないことになっている様が、はっきりと見て取れます。
 バブル期の女流文化人も、そういう感じがありました。
 単に、性的なだけの内容のない漫画を描いていた女流漫画家はあの時期、神のようにもてはやされました。内田春菊とか、あの辺ですね。しかし彼女らは自らにかけられた幻想の負荷に耐え兼ね、消えてしまった。しかる後、それに取って代わるように幻想だけを抽出した「萌え」表現が世を席巻することになりました。
 そう、彼らは依存に依存を重ねることで、自作の神を殺してしまったのです。
 そして今も、彼らは依存に依存を重ね、自作の神を殺そうとしているのです。
 彼らの言動からは、「ボクちんの全てを受け容れてくれないフェミはホントのフェミじゃないやい!」との、ハンパない「フェミ愛」が感じられます。
 ビートルズを殺したおじさんもまた、ビートルズの熱狂的なファンで、サインをする時に「ビートルズ」と署名することがあったと言われています。きっと彼は「ビートルズ愛」が高じて「俺がビートルズだ!」との心境に陥り、「自称ビートルズ」の存在が許せなくなって「偽物」の殺害に至ったのでしょう。
 ともあれこの壮大な「破局」で、一番とばっちりを食うのはぼくたちオタク界の下っ端である気もします。何しろ彼らにとってはぼくたちも「自称オタク」でしょうし、流れ弾に当たらぬよう、充分に注意したいところです。
 後、オタク界のトップの人たちには、神様におしっこしたりしないよう、ご注進申し上げる次第であります。

想像してごらん ツイフェミなんてないと
やってごらん 簡単なことさ
ツイッターと商業出版に区別はなく
ぼくらの前にあるのはルサンチマンだけ
想像してごらん 男性を憎むために生きているみんなを