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小説『神神化身』第二部
第十三話
それは、櫛魂衆(くししゅう)と闇夜衆(くらやみしゅう)の合同舞奏披(ごうどうまいかなずひらき)が終わって一週間ほど経った頃のことだった。
大盛況に終わった合同舞奏披が終わってから、浪磯(ろういそ)は俄に活気づいていた。この時期は観光客も多いし、わざわざ櫛魂衆の舞奏(まいかなず)を観に来てくれる観囃子(みはやし)も増えた。聞けば、各國でもノノウによる舞奏披が隆盛(りゅうせい)を極めていたり、あるいは他衆による舞奏競(まいかなずくらべ)も注目されているようだ。
けれど、舞奏競が行われても、どちらの衆にも御秘印(ごひいん)が与えられなかったりと、依然として大祝宴(だいしゅくえん)への道行きは不安視されているようだ。三言(みこと)にとっては、櫛魂衆と闇夜衆のいる今回は、過去行われたどんな舞奏競よりもカミを喜ばせるに足るものだと確信しているのだが。──幼馴染と組んでいる舞奏衆(まいかなずしゅう)でそう思えるようになったのは、何より嬉しいことだった。
そんなことを考えながら舞奏社(まいかなずのやしろ)へ向かっている最中に、三言は見慣れない男に出くわした。道にでも迷ったのか、スマホを片手に顔を顰(しか)めている。年の頃は二十歳そこそこといったところだろうか。
均整の取れたよく鍛えられた身体をしている。彼が舞奏をやったらきっとよく映えることだろう、と三言は思った。すぐに舞奏に繋げてしまうのは自分の悪い癖だが、そう思わずにはいられなかった。だからか、自然と声が出た。
「すみません! 何かお困りですか?」
意思の強そうな瞳が三言の方に向けられる。射抜かれるような錯覚を覚えながらも見つめ返すと、男が動揺しながらも口を開いた。
「あ……えっと、しらす……しらす? シュークリームっていうのが、あるっぽいんだけど……? 知ってるか?」
「はい、知ってます!」
「お、助かるな。ここらでは有名なやつなのか?」
「有名だと思います! 実は、比鷺(ひさぎ)が考えたやつなんですけど」
遠くからしらすシュークリームを求めて来てくれる人がいるのが嬉しくて、思わずそう言ってしまった。言ってから、よその人には比鷺の名前が通じないんだった、と慌てて思う。すると、男は納得したように頷いた。
「比鷺って……九条比鷺(くじょうひさぎ)か。櫛魂衆の」
「はい! ご存じですか?」
「ああ、よく知ってる。……ということは、お前、やっぱり六原三言(むつはらみこと)なんだな」
男の目が、ゆっくりと三言の右手の甲に──化身の出ている位置に向けられる。
「はい。俺が櫛魂衆のリーダー、六原三言です」
「お前のこともよく知ってるよ。カミに愛された当代一の覡(げき)の一人だって」
「ありがとうございます! その評判に恥じないように精進します!」
そう言われるにはまだ実力が足りない自覚があったが、誇らしくもあった。舞奏に関心があるということは、目の前の人間も観囃子か──あるいは舞い手側なのかもしれない。
声も良かった。朗々としていて、遙か彼方まで届きそうだ。
「しらすシュークリームなら駅前の方が置いている店が多いと思います、少し戻ることになりますが……」
「あー、そうなのか。ま、ここで彷徨う羽目になってたことを考えりゃ、全然マシ」
「しらすシュークリームが食べたいんですか?」
そう尋ねると、彼は少しだけはにかみながら言った。
「いや、俺じゃなくて。なんか、うちの居候が元気無くてさ。んで、寝てる時は寝てる時でうなされながら『しらすシュークリームぅ……』って間抜けなこと言ってんだよな。もしかしたら、それで元気出るんじゃねーかなって。検索して目に付いたのがここだったんだけど」
「……そうなんですか」
何故かはわからないが、その話を聞いていて心がざわついた。自分には何の関係もない話であるのにもかかわらず、妙に引かれるものがある。そんなことを考えていると、不意に右手が差し出された。
「申し遅れたな。俺は阿城木入彦(あしろぎいりひこ)」
「改めて、俺は六原三言です」
化身のある方の右手で固く握手をしながら、三言はそう言って笑いかけた。
*
最悪だ、と比鷺は思わず呟く。何度見ても、スマホの画面には自分と同じ顔が映っている。一瞬、スマホの画面が鏡になってしまったんじゃないかと錯覚してしまったほどだ。最悪だ、ともう一度呟く。隣にいる三言と遠流(とおる)も、どこか困惑した表情を浮かべている。そのまま、遠流が言った。
「おい。……どこだって? 九条鵺雲(くじょうやくも)がいるの」
「……遠江國(とおとうみのくに)。御斯葉衆(みしばしゅう)だって。……完全に宣戦布告じゃん。俺が櫛魂衆でやってるってのに……」
長らく消息を絶っていた鵺雲の所在が、ここにきて突然明らかになった。──最注目の舞奏衆、遠江國・御斯葉衆として、舞奏競に挑むことを高らかに宣言したのだ。
これで九条家側が頑なに鵺雲の手紙の話をしなかった理由が分かってしまった。大方、手紙の内容は他國で舞奏衆を組むという話だったのだろう。控え子とはいえ、今現在相模國の覡
であるのは比鷺だ。気を遣われた結果だろうか。
だが、結局はこうして明らかになってしまったし、これからは遠江國の御斯葉衆としての鵺雲の舞奏が広く知らしめられることとなる。それを思うだけで胃の腑が重くなった。……そうなれば、比べられることを避けられない。観囃子だけでなく、三言や遠流からも。
そうして、櫛魂衆にいるのが弟の方ではなくて、九条鵺雲であったらと思われるのだ。
「比鷺? 顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
三言にそう言われて、慌てて取り繕う。
「え!? うん! 全然平気! ちょーっと夜更かしし過ぎたかな? って、…ていうか、もう一つ舞奏衆が取り上げられてるね。リーダーが化身持ちの……上野國(こうずけのくに)……水鵠衆(みずまとしゅう)?」
慌てて話題を変える。御斯葉衆だけでなく、異端の舞奏衆として取り上げられていたのが水鵠衆だ。リーダーの七生千慧(ななみちさと)という化身持ちが率いる舞奏衆で、化身持ちがリーダーを務めているのにもかかわらず、化身の無い人間が覡として所属しているのだという。
二人の化身持ちに挟まれた男は、少しも恥じ入ることなく毅然とした表情で写真に写っていた。名前のところを確認するより先に、スマホを覗き込んでいた三言の口が開く。
「……阿城木入彦」
「え? どうしたの三言、知り合い?」
「この人、さっき浪磯で会ったんだ」
「ええ!? な、なんで!? 偵察!?」
「しらすシュークリームが食べたかったらしい。買えるところを教えておいた」
「何!? 阿城木入彦、こんな感じの雰囲気なのに甘党とか!? 似合わなー……」
闇夜衆の面々といい、他國の舞奏衆が浪磯にやって来るのはなんなんだろうか。確かに浪磯は魅力的な場所だが、それにしたって来すぎである。ここ、俺の領土なんですけどー、と思っていると、三言は何故か嬉しそうな顔で「そうか、やっぱり覡だったんだな」と言った。
「お前が考えたあの謎スイーツに惹かれる物好き、案外多いな」
遠流が呆れたように言うが、あれはあれで結構人気なのだ。あまり侮らないでほしい。
「化身を持たない覡かあ……別に珍しくもないけど、残り二人が化身持ちっていうバランスが謎だわ。それにこの拝島(はいじま)って人、猫耳? みたいなの付けてるし……」
「舞奏にいい作用をもたらすのかもな」と、真面目な顔で三言が言う。
「ええ、そんなことある? なーんか、このリーダーも癖が強そうだよね。この二人を纏めるって……」
「七生千慧……七生か。俺のスイーツを試食してくれる七生さんと同じ名字だな」
三言が驚いたように言う。そういえば、その七生さんの元で三言は全力食堂に出すスイーツをせっせと試行錯誤しているんだった。珍しい名字だから、案外遠縁の親戚とかなのかもしれない。年齢がいまいち分からない七生千慧の童顔を見つめていると、不意に遠流が比鷺に飛びかかってきた。
「ふぎゃっ! な、なにぃ?!?」
「ねえ、写真は!? 七生千慧の写真は無い!?」
「しゃ、写真!? ほら、あるけど……」
荒れ狂う猫を宥めるようにスマホを遠流の方に向ける。
遠流はしばらくその画面を見ていたものの、求めていた何かが得られなかったのか、沈んだ表情になった。
「……もういい」
「もういいのぉ? とんだ気まぐれネコチャンだな、お前……」
改めて自分でも七生千慧の顔を見る。どうして遠流は七生千慧の名前にこんなに反応を示したんだろうか。知っている人間に名前が似ていたとか? けれど、こうして見ても知り合いに似ている、ということもない。
舞奏競に勝ち続けていれば、いずれは水鵠衆とも相見えることがあるんだろうか。だとしたら、自分は立ち位置的にこの猫耳男と向かい合うことになるのかもしれない。どうしよう、鵺雲とは別の意味で勝てなさそうだ。
遠流はそれからも押し黙っていて、何か考え込んでいるようだった。怯えた猫のような態度は、三言が稽古の号令を掛けるまで変わらなかった。
*
萬燈夜帳(まんどうよばり)とクレプスクルムの店内はよく調和している、と昏見(くらみ)は思う。彼がカウンターに座ってグラスを傾けている様を見るのが好きだった。そうしている時の萬燈は、まるで一種の調度品のようだ。今日の萬燈は殊更機嫌がよさそうなので、その点も好ましかった。
「ご機嫌ですね、萬燈先生。何かいいことでも?」
「なんだ、お前ももう聞き及んでいる頃だと思っていたが」
「見聞の広い萬燈先生にはとても敵いませんよ。それで、どのような?」
「二國の舞奏衆が揚々と参戦してきたらしい。舞奏競ってのは後から参入するほどに不利なはずだろうが、それすら厭(いと)わぬ気概ときてる」
「ああ……なるほど」
舞奏というものに至上の交歓を見出している萬燈のことだ。興味深い対戦相手が増えることは、浮かれるに足る出来事なのだろう。昏見にとってはそこまで心の動くことでもない。どんな相手であろうとも、自らの目的の為に倒す。それだけだ。
だが、勝つ為には下調べが肝要だというのも真理である。この機会を逃さずに、萬燈に概要だけは説明してもらうことにした。
「なるほど、上野國・水鵠衆と遠江國・御斯葉衆ですか。何だかお歳暮で貰うお菓子みたいな名前ですね!」
「確かにな。イメージとしては冷菓だろう」
昏見の与太話に、萬燈がにやりと笑って乗ってくる。ここに皋(さつき)がいれば、恐らくは適当なことを言うなとのお叱りが入っただろう。ここで皋を省いたのは自分であるのに、なんだか物足りない気持ちになる。
「世間の注目株は、やはり御斯葉衆の方なんでしょうか。栄柴(さかしば)のお家は相当有名な血筋のようですし、何より九条家のご子息がリーダーですものね」
「世間的にはな」
萬燈が意味ありげに言う。ということは、彼がお気に召したのは水鵠衆の方ということなのだろうか。分かりやすいような分かりにくいような趣味をしている。
水鵠衆で気になるのは、例の拝島去記(はいじまいぬき)という覡だ。同姓同名の別人でなければ、これはきっと皋所縁(さつきゆかり)が解決した拝島事件の関係者──共犯者と目されていた人間だろう。このことを遠からず知ることになる皋はどんな反応を示すのだろうか。
おまけに、何故か拝島去記は狐の耳を付けている。この点も含めて、彼の存在は皋を混乱の渦に叩き落とすだろう。いや、本当に何故狐の耳を付けているのだろうか?
分からない部分はさておいて、とっかかりのある御斯葉衆の方へと話を戻す。
「リーダーが九条くんのお兄さんですか。どんな方なんでしょうね」
「そうだな。あまりに弟に似てなくて驚くぞ。俺も修祓(しゅばつ)の儀で九条比鷺に会った時は驚いた。こんだけ似てねえ兄弟も珍しい」
「へえ、そんなにですか。逆に気になりますね。きっとゲームが苦手でガチャの引きが良くて、SNSの投稿は全てポジティブにバズるんでしょうね」
探せば容易に写真が見られるのだろうが、楽しみを削いでしまうので今すぐに確認はしないことにした。
「そして残りの一人が社人(やしろびと)ですもんね。これもシンデレラボーイということになるんでしょうか? これだと大祝宴は舞踏会で、観囃子の声援が硝子の靴ですね。十二時の鐘で朝露に消えてしまいそうですが」
「いかにも九条鵺雲が集めそうではあるな」
「おっと、これってそんなにセレクトチョコレート的なチョイスなんですか?」
「今日は甘い物の気分か?」
萬燈が笑う。その笑顔のまま、彼が言った。
「そろそろ皋の奴も呼んでやらねえと、妬かれちまうだろ。本題に入ろうぜ。何を話したい?」
「そうですね。私、気になっていることがあるんですよ。所縁くんってば、何をどうやってカミに願いを叶えてもらったんでしょうか?」
昏見があっけらかんと言った言葉にも、萬燈はさしたる動揺を見せなかった。なるほど、というように一つ頷く。その理解力に甘えて、昏見は続けた。
「結論から言うと、彼のカミ懸かった推理力は、恐らく皋所縁本来のものではありません。本来の所縁くんは、きっとあそこまでの名探偵ではなかったんですよ」
本来の所縁くん、というものが果たしてどの座標にあるものなのかは分からないが。何にせよ、彼に人智の及ばない力が働いているのは確かなようだ。
「ほう、なるほどな。根拠は?」
「ホワイトボードと腕時計、それにトランプ」
それだけで、大方のことを理解したのだろう。察しのいい紺青の共犯者に微笑みかける。
「それでご機嫌だったのか、お前」
「そりゃあご機嫌にもなっちゃうでしょう。少なくとも、私と彼の間には一つだけカミの手の及ばぬものがあったんですから」
だったら、それをよすがに歩いて行ける。
「……まあ、その後の発言にはちょっと辟易させられましたが。所縁くんの度を超えた自尊感情の欠如と認知の歪みにつきましては、全てが終わった後に清算して頂くことにしましょう」
そう言って、もう一度萬燈の方を見る。
「とはいえ、私は名探偵ではありませんからね。謎の一端を掴めただけで、それを解けたわけではありません。とっかかりだってまるでありませんし」
「遍く主人公は名探偵としての性質を担っている。なら、怪盗物語の主人公であったお前にも、その性質が備わっているように思えるが」
萬燈夜帳から受けるその言葉は、ある意味で最大級の賛辞だろう。だが、昏見はまだそれに応えうる答えを持っていない。名探偵は、やっぱり自分ではないのだ。
「ただ、気になっていることはあって。闇夜衆を組む前の所縁くん、よく夢を見ていたようなんですね。……事件を解決出来ない夢で、そういう時の所縁くんは、うなされながら謝っているんですよ。無敗の名探偵であったはずの所縁くんは、一体何の事件を解決出来なかったんでしょうか?」
「お前がどうして皋がうなされていた時の内容を知っているかはさておくとして、興味深い話ではあるな」
「さておいてもいいくらい興味深い話でしょう? それらを踏まえると、なんだか面白い構図が出来上がってきそうじゃありませんか?」
先ほど聞いた二つの舞奏衆の話を思い出しながら、昏見は言う。
ここに来て新たに頭角を現した舞奏衆達。まるで意図的に噛み合わされたように連なっていく縁。その意図が誰のものかを考えた時に、一番しっくりとくるのは八百万一余のはぐれ者なのだ。
マジシャンズ・セレクトという言葉がある。いわゆるマジックの一種であり、昏見はそれを敬愛する祖母から教わった。
内容はシンプルかつ華麗だ。カードを一枚、自由に相手に選ばせて、マジシャンはその絵柄を言い当てる。
このマジックの肝は、相手にカードを自由に選ばせているように見せかけて、実はマジシャンの引かせたいカードを選ばせることである。言葉巧みに誘導し、マジシャンの決めたカード以外を選ばせない。だが、カードを引く相手は、自分が強制されていることに気づかず、手の中のカードは自分が自由に選んだカードだと思い込む。
同じことが今なお行われているのかもしれない、と昏見は思う。自由に生きている自分でさえ、何者にも囚われぬ萬燈夜帳でさえ、特定のカードを引かされているのかもしれない。
だが、このカードをどう扱うかくらいの抵抗は出来る。何しろ、カード捌きはこちらの領分なのだし、何より萬燈夜帳はカードの重さで絵柄を当てられるのだから! 番狂わせくらいにはなるだろう。
来るべき次の嵐を前に、昏見は優雅に微笑んでみせた。
著:斜線堂有紀
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©神神化身/ⅡⅤ