十六歳の誕生日に、私は西の祖母から布団乾燥機を貰った。私が、自分専用の物が欲しいとリクエストした物だった。

私は、休日のお天気が良い日には必ず、布団を庭の物干し竿に干すのが好きだった。黒い専用カバーを被せ、お日さまの熱と外の空気でふかふかになったらカバーを取り外し、布団を藤の布団叩き棒で満遍無く叩いてから取り込むのが、我が家の習慣だった。

何年も使い続け、飴色に艶めく藤の布団叩き棒は、頑丈で先端が扇状になっていた。

今ではそれを想像するだけで寒気がする。呼吸が乱れ、体が震えるのが分かる。

母が藤の布団叩き棒を凶器に、体罰を始めたのは、私が小学二年のときだった。この町に引越すことが決まり、母は、やるせない思いを長女の私にだけ、体罰という形でぶつけてきた。

二階にあった両親の寝室に呼ばれ、挨拶の声が小さいとか、洋服のコーディネートが悪いとか、理由にもならない言い掛かりをつけては、藤の布団叩き棒で私を打ち続けた。

母は、衣服から出て人目に触れる場所を巧妙に避けて打った。容赦のない力で叩いてきた。私の背中は赤く腫れ上がり、お風呂に入るとひりひりと刺すような痛みを感じた。

布団叩き棒を振り上げるときの母は、鬼の形相だった。下唇を噛み、小刻みに顔を震わせ、目尻は吊り上がり険しい表情から怒気が滲んでいた。三角になった母の目は悪魔に取り憑かれているとしか思えなかった。

声も上げず、涙も流さない私が憎らしい、と母は言い、棒を持つ手に力を込めた。やがて惚けたような顔をしてせせら笑ったかと思うと、突然冷ややかな顔に戻り、睨み付けた。

母は、「このことを誰かに話したらただじゃおかない」「わかっているだろうね」と、凄みのある声で言った。母の口からどすのきいた声が出ることを初めて知った。他言しないよう、しつこく何度も釘を刺し、返事を急き立てるために、また打った。