九十四年の年明け早々、健ちゃんの会社の社員旅行で韓国にも連れて行ってもらった。私の立場は婚約者だった。夫人同伴の男性もいて、男女に分かれて観光する機会も多く、私は東大門総合市場で手芸用品を買い込んだ。
四千店以上の店があり、
「気に入った物があったらその時に買わないと、二度と同じ店に戻れないわよ」
と、健ちゃんの上司の奥さんに言われ、私は一ヤード単位で売っている布や可愛いボタンを次から次へと買った。市場の物は値札がついていなかったが、気にせず好きな物を片っ端から買った。
免税店に並ぶ化粧品やブランド物には興味を示さず、手芸用品ばかり買っているので、奥様達から気の毒そうな顔で見られた。
「花菜ちゃんは日本にユザワヤっていう店があるの御存知かしら?」
「ユザワヤはよく行きます」と、答えると
「手芸が好きなのねえ」と、微笑ましい表情を向けられた。確かに手芸は好きだが、ギャンブルはもっと好きだということは内緒にしておいた。
三月に平和島の総理大臣杯競走で岡山の大森健二が優勝し、翌日から競輪選手権があった。静岡で行われた決勝戦では、小橋正義が優勝したが、ゴールデンレーサー賞で神山雄一郎が勝ち、うはうはだった。
桜の花見には方々から誘われた。
旅の多い生活だったが、健ちゃんには行き先を正直に伝えていた。それは携帯電話の存在も大きかったが、この点では不便だった。
当時は、携帯を持って百六十km圏外に出ると、030から始まる番号を040にして掛け直すようアナウンスが流れたのだ。これは九十五年まで続いた。