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礼讃・第78回「伊東さんとの誕生日」
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礼讃・第78回「伊東さんとの誕生日」

2015-02-26 13:00

    私は十一月に初めて伊東さんの住まいに招待された。

    その日、伊東さんはメルセデスのリムジンで迎えに来た。運転手の村田さんとは顔馴染みになっていた。

    多分、スモークガラスの仕切りがあっても、後部座席で私たちがセックスしたことを気付いていると思うのだが、村田さんは決して表情にも言葉にも出さない人だった。

    デートの約束をしていた日に、私は生理になった。

    伊東さんは

    「ホテルの予約はキャンセルして、今日は銀座で食事をしよう」

    と言い、秘書の森さんにレストランの予約をするよう、自動車電話で指示した。

    木村屋の前で車をとめた村田さんが、紙袋を抱えて戻ってきた。その中には、まだ暖かい餡パンが入っていた。

    「僕は、木村屋の酒種あんぱんが好物なんだ」

    そう言って伊東さんは、桜の花びらの塩漬けが埋め込まれたあんぱんを両手に挟んで潰した。

    「何してるんですか」

    私は驚いて尋ねた。

    「こうした方が食べやすいんだ」

    そして伊東さんはあんパンを一口食べてはくるりと回し、一口齧っては回し、周囲に歯形を残したあんぱんを眺め、いよいよ最後に桜の塩漬けが埋まっている中心部をぱくりと口に放り込んだ。そして、保冷庫から牛乳瓶を取り出しごくごく飲んだ。

    私は呆気にとられ、その一部始終をじっと見つめた。

    瓶の牛乳も伊東さんが飲むと、一本千円はしそうな液体に見えてくる。

    秋葉原駅のホームや御徒町駅のガード下の牛乳スタンドで、店員のおばさんに、紙蓋を尖った棒で突き刺し外してもらい、渡された瓶を手に、どこで飲もうか、左右を見渡し、うろうろし、くの字に曲げた左手を腰に当て、立ったまま、あまつさえアンパンを流しこむように飲んでいるサラリーマンのおじさんが口にしている牛乳と、同じ飲み物とは思えなかった。

    「面白い食べ方しますね」

    「そう? 花菜ちゃんもやってごらん」

    と言って彼は、桜あんぱんを一つくれた。

    「ほら、こうして軽く押してごらんよ。ぺちゃんこに潰しちゃいけない。この食べ方をするには桜あんぱんじゃなくては具合が悪いんだ。表面にけしや胡麻がまぶされたものだと掌に付いてしまうし、小倉やうぐいすだと表面の切れ目から餡が飛び出してしまう。へそに桜が埋まっているこれが最高なんだよ」

    「あんぱんにそんなこだわりがあるんですか」

    ゼニアのスーツを着た伊東さんがあんぱんを齧っている姿は何とも可愛らしかった。

    「木村屋は歴史が古くて、明治天皇に酒種桜あんぱんを献上して文明開化を代表する食べ物になったんだ」

    「あんぱんて明治時代からあったんですか」

    「そうだよ。当時の流行語で文明開化の七つ道具と言われたものを知ってる?」

    「郵便、新聞社、展覧会、蒸気船は知ってます」

    「その中にあんぱんが入っていたらしいよ」

    「あんぱんは文明開化の味ですか。知りませんでした」

    「ジャムパンを作り始めたのも木村屋だよ」

    「へえ」

    「戦時食糧の研究をして、日本陸軍はパン屋と菓子屋を集めて、軍指定の大規模なビスケット工場を作ったんだ」

    「そんな昔の話ですか」

    「日清戦争の義和団事件で日本兵に多くの犠牲者を出したんだ。日本人は米を炊くから火を使うだろう。その火を目がけて敵弾が降ってきた。欧米の兵士たちは、ビスケットと缶詰めだから火を使わない。日本軍は近代戦争の基礎を知らないと嘲笑されて、日本軍は食糧政策を転換することになった」

    「日露戦争で兵士が食べていた乾パンは、そのビスケット工場で作っていたんでしょうか」

    「そうだよ。その工場で作っていたビスケットにジャムを挟んで焼く作業を見た木村屋の三代目が、これを餡の代わりに酒種生地で包んでみたらどうだろうと思いついて、銀座の店で売りだしたのがジャムパンの始まりだよ」

    「そうなんですか。木村屋で修行した人が暖簾分けした店が全国にありますものね。私が三カ月勤めていた企業の研修センターが王子にあったんですよ。その近くに、明治堂ベーカリーっていうパン屋さんがあって、そこの初代店主も木村屋に勤めてから独立したそうなんです」

    「その店はいつ創業したの?」

    1889年だそうです」

    「明治二十二年か。明治天皇が木村屋のあんぱんをお召しになったのは明治八年。あんぱんが全国的に広がったのは明治三十年ごろと言われているから、二十二年だとまだ高級品だろうな」

    「ジャムパンはいつから売られたんでしょう」

    「明治三十三年だから1900年か」

    「九十年以上前から、軍人はジャムサンドビスケットを食べていたんですね。明治屋ベーカリーは、小石川の近くの陸軍がお得意さんだったそうで、陸軍が王子に移転したので、パン屋の店舗も王子に移ったと聞きました」

    「軍人は庶民より早くビスケットやパンを食べていたんだよなあ」

    「今の明治屋ベーカリーはごく普通の街のパン屋さんですけど、クロワッサンとカレーパンは一日十回作りたてを並べるので、研修中は昼休みに買いに行くのが楽しみでしたね。朝、寮を出る前に、魔法瓶に紅茶を入れて、昼食に明治屋ベーカリーで買った焼き立てのクロワッサンと揚げ立てのカレーパンを楽しみに、王子に通ってました」

    「花菜ちゃんらしいな」と、伊東さんは笑った。

    「クリームパンは中村屋が考案したと聞いたことがありますけど、明治の終わりですから、ジャムパンの方が早いですね」

    「中村屋って新宿のカレー屋のこと?」

    「そうです」

    「あそこはパンも作ってるのか」

    「中華饅頭やカレーパンも有名ですよ」

     
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