男女問わず好きになる人は誰もが心の中に海を持っているような気がする。海に行く頻度が高いとか高くないとか、海の側に住んでいるとかいないとかじゃない。心の中に大切な海があって、いつも穏やかにたゆたっている。それがこの殺伐した時代においてその人に「人間としての清冽さ」や「大らかな優しさ」を保たせているのではないだろうかと。
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ものすごく、共感してしまうのは
やはり私が「オトナ」じゃないからなんでしょうか(^^;;
「やりすごす」ことが、苦手です。
しかたなくそうするしかない場面に遭遇したら、
諦めてやりすごすこともだいぶ慣れましたが、
というか、
そうしていかないと、ダメなんだということを
頭では理解するようになりましたが、
自分の中でのたいせつなものや、
譲れないものに関しては、
たとえその場の空気が悪くなろうとも、
まちがってると感じたことをそのままにすることは
どうしてもできなかったりします。
“誰かの為に”
というよりかは、
自分の中の自分のためにある正義?
信念?
みたいなもののためになのでしょうか。
私も子供の頃思った
「こんなオトナになりたくない」
という心の声に
いつも試されながら生きている気がします。
おはようございます。
「海の空気を吸い込み、二酸化炭素を吐き出すたびに、自分の中の濁っていた海が浄化されていく感じがする」
本当にそうですね。まさにそんな毎日です。
矛盾や理不尽を許容し、見てみぬふりをする人たちに
不快感を表し、その色に染まればなんてことはないのに、どうしても許せなくて、言えば雰囲気をこわし、自分もまた罵倒され、落ち込むことがわかっているのにやってしまう、そんな自分に毎日落ち込み。
まるで黒い底無し沼に、ずほずぼと足を引っ張りこまれている感覚で、心の海も黒い沼に染まっていってしまい、ひどい精神状態に。
正解なんてないのだけれど、言わずにはいられない、みてみぬふりはできない、人格を否定される暴言はかれても、言わずにはいられない、そんな自分でいいのか自問の日々が続いています。
心のなかにきれいな海をもっていたい、それだけは
いつも思っています。
>>1
ドラえもんの中に子供ののび太がタイムマシンで大人の自分に注意しに行くエピソードがたびたびあります。「こんな大人になりたくない」。子供の頃の自分に気づかされたり、教わったりするたびに今もそのことを思い出します。
>>2
自分は自分なんだからみんなと違ってていい。無理してまで合わせる必要はない。たとえ周囲に嫌な思いをさせても関係ない。そう開き直ることで生きるのがラクになりました。14歳の頃の話ですけど、親はそんな僕のことを理解できずに大変だったんだろうなと思います。
不感症な大人に私はなってしまっているかもしれません。理不尽や矛盾を受け入れてしまっている私がいます。
社会人になり、嫌な大人の代表に自分はなっているように思います。
汚れを落として、心に大きな海を持ちたいなと思います。
>>5
でも、そういう本当の意味で「大人」の方たちが社会を支えてくれているんだと政治や行政を見ていると思います。僕はそういう意味では「子供」なので反発することも多いですが。