寛容さを失うことは「老い」の特徴のひとつでもあるという論調が何年か前、話題になったことがあった。当時も今も様々な意見はあるだろう。ただ何かにつけて社会全体への謝罪を求める、そして自分が少しでも迷惑だと感じる他者を許容しないことがもはや当然のことになって来た「不寛容社会」が、「高齢化社会」の同義語だと言われれば納得がいく自分もいる。
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「寛容な心」私にも欠けているかもしれません。あとになって後悔するようなことも他人にしてきたこともあります。自分が悪いのに他人のせいにして。
ギスギスした心を修繕していくには、どんな栄養が必要なのでしょうか。
常に自分を第3者的に見ることが必要なのでしょうか。
心のアンチエイジング、ちょっとちがった視点から自分を見つめ直すことが効果的なのかもしれませんね。
おはようございます!
今朝の私にとっては、まさに痛い言葉「寛容さ」が
なかったな。と家を出たあと、これを読みながら反省、反省、反省。
心に余裕がないと、ほんとそうなりますよね。
毎日時間との戦いで、あれもしなきゃこれもしなきゃとシミュレーションしつつも、事がうまく回らないと、なんで自分だけ!と心の余裕をなくし、身近なところに攻撃してー。そんな毎日が続いてハッと気づいたときになんだか悲しくて。
今日も怒ってばかりだったなぁーイラついてばかりだったなぁーと。
20代の頃、保育の仕事をしていたときは
いつもにこにこ、笑っていたことの方が多かったから余計に感じてしまう、今の私の心の余裕➕寛容さのなさ。
それが、相手を攻撃しちゃうことになるし。
余裕のある大人になれるように、深呼吸して
子どもに接する気持ちで、寛容さをもって
がんばらねば!と改めて思いました。
心に余裕を!今日の私のテーマです。
>>1
寛容な人の側にいる、というのが一番かもしれないなあと最近は思ってたりします。娘もそうだし、かしこおばあちゃんもですし、妻も寛容というかのんびりしてます。
>>2
苛々すると頭に血が昇って倒れちゃったりと、年を取ると健康面でも損するのは自分なんですよね。長生きする為にも寛容になろうと思いました。
すごく!わかります‼︎
本当にその通り!
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