ただひとつ確かなのは、誰も戦争を望んではいないということだ。殺されたい人もいないし、ましてや殺したいという人もいない。思い描く未来は同じはずなのにそれを担保する為に「選び取る言葉」はまるっきり違う。色で言えば白と黒くらい違う(どちらが白でどちらが黒ということではない)。お互いが理解し合えず、「だったらお前が戦地に行け」とか「第9条で核開発を止めて来て下さい」などと幼稚で感情的な言葉を泥団子みたいに投げ合ってしまう。思い描く未来は同じはずなのに。守りたいものは同じはずなのに。どうしてなのだろうといつも考えていた。どうして相手がその言葉を抱き締めたがるのかが理解し合えないのだろうと考えていた。かくいう僕自身も含めて。
草の根広告社
「本当の議論は互いの意見を理解するところから始まる。」
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コメント
コメントを書く最近、メディア上でも、自分の意見以外は全否定をする、そういった評論家やコメンテーターが増えているように思います。なので、私は最近はあまりテレビを真剣に見なくなってきました。自身が偏重した考えを持ってしまいそうなので。
たくさんの意見があり、自分の意見があり、それについて議論することで新しい考え方もでることがあります。受け入れることで、更に1歩進んだ考えをすることができるのではないかと。
>>2
本当にその通りだと思います。一方で他人を全否定した極端で過激な意見ばかりが拡散したり、視聴率を取ったりする(どちらも面白がられているだけですが)のを見ていると受け手も意識を変えなければならないのだなと思います。