おはようございます、マクガイヤーです。
ちょっと余裕が出てきまして、『ドラクエ11』を進めているのですが、いや面白いですね。
ゲーム内である出来事が起こるのですが、それがいかにも東日本大震災を想像してくれといわんばかりで、やはりドラクエは「国民的ゲーム」なのだな、と感じ入ってしまいました。
この話、年末の放送でした方が良いかもしれません。
マクガイヤーチャンネルの今後の予定は以下のようになっております。
○11月11日(土)20時~
「ハルクとソーとアメコミ翻訳の現場」
11月3日より『マイティ・ソー バトルロイヤル』が公開されます。
本作はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)期待の新作であり、『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』や『ロード・オブ・ザ・リング』をモチーフにしたニュージーランド航空の機内安全ビデオを撮ったタイカ・ワイティティ監督のアドリブ演出やコメディセンスが発揮された傑作であるとの評判です。
一方で、『マイティ・ソー バトルロイヤル』は最近邦訳が発表された『プラネットハルク』が大きな影響を与えているとも言われています。
そこで、『プラネットハルク』の邦訳も担当されたアメコミ翻訳者の御代しおりさん(https://twitter.com/watagashiori)をお招きして、ハルクとソーの魅力に迫りつつ、アメコミ翻訳の実際についてお聞きします。
○11月18日(土)20時~
「ジャスティス・リーグのひみつ」
11月23日よりDCエクステンデッドユニバース(DCEU)の新作であり、期待の大作映画でもある『ジャスティス・リーグ』が公開されます。
しかしこのDCEU、前作である『ワンダーウーマン』はヒットしたものの。ライバルであるMCUに比べて勢いがありません。それどころか、テレビドラマやカートゥーンでのDCコミックス映像化作品に比べても元気がありません。
そこでこれまでのDCコミック諸作品を振り返りつつ、映画『ジャスティスリーグ』やDCEUの今後について占いたいと思います。
果たしてグリーンランタンや、マーシャン・マンハンターや、はたまたブノワビーストは出るのか?
ブースター・ゴールドやプラスティックマンの登場まで、暗い夜と光線技アクションシーンの我慢を強いられるのか?
ジョス・ウェドンは独占禁止法に違反しないのか
……等々、ジャック・カービーやニューゴッズの話題も交えつつ、様々なトピックで盛り上がりたいと思います。
Facebookにてグループを作っています。
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さて、今回のブロマガですが、科学で映画を楽しむ法 第5回として書いている「『大長編ドラえもん』と科学」『のび太の創世日記』についてです。
(基本的に、藤子・F・不二雄が100%コントロールしていると思しき原作漫画版についての解説になります)。
●後期『大長編ドラえもん』随一の異色作
『大長編ドラえもん』がシリーズとして歴史を重ねていくにあたって、二つの「敵」がありました。
一つは、藤子・F・不二雄の体調不良です。86年と92年の癌の発症と治療以降、クオリティ低下は誰の目からみても明らかになりました。
もう一つはマンネリズムです。恐竜時代、宇宙(とみせかけた西部劇世界)、ロストワールド、海底、魔界……と様々な世界を冒険してきたドラえもんたちですが、秘境や魔境のバリエーションには限度があります。10作を越えれば、話の展開にも行き詰っていくものです。そもそも、『大長編ドラえもん』が下敷きとする元ネタのバリエーションも有限なのです。
藤子・F・不二雄の本質は短編作家です。『ドラゴンボール』が40巻、『ワンピース』が80巻を越える現在、単行本1巻で「大長編」と銘打っても不自然でないのは、凝縮した短編のコマ割りとテンポで「大長編」を描いているからです。
また、『(新)オバケのQ太郎』『パーマン』『キテレツ大百科』といった『ドラえもん』以外の代表作とされる連載も、長くて3、4年で終了させています。
これまでの藤子・F・不二雄だったら、マンネリを感じる前に連載を終了させていたことでしょう。しかし、『ドラえもん』だけは、連載終了というわけにはいきませんでした。79年の(二度目の)アニメ化と、翌年の映画『のび太の恐竜』の大ヒットは藤子・F・不二雄を国民的漫画作家に押し上げましたが、同時に『ドラえもん』は藤子・F・不二雄本人の意思だけで終わらせられる作品ではなくなっていったのです。
晩年――88年以降の藤子・F・不二雄は『大長編ドラえもん』のみに注力していたことは有名ですが、これは、注力せざるを得なかったということでもあります。
合間に描かれた数少ない『ドラえもん』以外の作品は、どれも傑作です。特に91年の『未来の想い出』には「タイムトラベルで人生をやり直す漫画家が主人公」という、『ドラえもん』と同テーマでありつつ、藤子・F・不二雄の、作家としても男としても「もう一度やり直したい」という欲望が詰まっている、本当の意味での遺作や代表作のような作品だったりします。
そんな晩年の『大長編ドラえもん』ですが、『のび太の創世日記』だけは、まるでろうそくが消える前の最後の灯火のような、異様な迫力を持った作品です。藤子・F・不二雄が意図したかどうかは分からないのですが、シリーズの総決算でありつつ、『未来の想い出』とは別の意味での作家的欲望が詰まっているのです。
●科学的にかなり正しい「創世」描写
夏休みの自由研究のテーマがなかなかみつからないのび太くん。出来杉くんやしずかちゃんの自由研究は立派すぎ、スネ夫のものはおカネがかかりすぎていて、なんの参考にもなりません。ジャイアンには八つ当たりに暴力を奮われます。夏休みも残り少ないのに、何もやっていないのは自分だけという、困った状況に陥りました。
「ぼくがこんなおもいをするのも――アダムとイブが神さまのいうこときかなかったからだ!!」
……と、すごい台詞を吐きます。二人が知恵の実を食べていなかったら、ずっと楽園で暮らせたのに――という意味です。
そんなのび太くんに、ドラえもんは未来デパートから「創世セット」を注文します。
この創世セットがすごい道具でして、なんと別次元の宇宙空間に太陽系そのものを作ってしまえるのです。
「創世」の描写も、科学的に正確です。
まずのび太は3種類の粒子から成る「宇宙の素」をふりまき、よく攪拌します。すると、大きな爆発が起こり、太陽ができます。その後、まわりのガスやチリがぶつかり、集まって、その周りを惑星として周回します。これは、まず巨大な分子雲が重力によって収縮することにより太陽が形成され、残りのガスや宇宙塵からさまざまな惑星が形成されたことをそのまま反映しています。
地球型惑星ができて、雨が降っても、生物がなかなかできず、「きっかけ」としてのび太がコントロールステッキから放電する描写も、かなり考え抜かれています。これは「ユーリー-ミラーの実験」を元にした描写なのです。
生命の誕生には、その素材となる(蛋白質の素材である)アミノ酸や(DNAやRNAの素材である)核酸といった大量の有機物が必要です。いずれも無機物と比較すれば複雑で、巨大な分子ゆえに、生物の体内以外では合成されないと考えられていました。
そこで1953年に行なわれたのが「ユーリー-ミラーの実験」です。当時、原始地球の大気成分と考えられていたメタン、アンモニア、水素、それに水を含んだフラスコを加熱させつつ内部で放電させることを長時間続けると、アミノ酸や核酸が生成されることを証明したのです。放電は原始地球の雷、すなわちのび太による放電というわけです。
現在、原始地球の大気成分はメタンやアンモニアなどの還元性気体ではなく、二酸化炭素や窒素酸化物などの酸化性気体が主成分であったと考えられています。酸化性気体中での有機物合成は難しいため、「ユーリー-ミラーの実験」は否定されており、21世紀以降は代わりに隕石衝突説が提唱されています。ここは、藤子・F・不二雄が存命だったらアップデートされた描写かもしれません。
更に唸ってしまうのは、知的生物としてホモ・サピエンス――人間が誕生するとは限らない、という描写です。類人猿からホモ・サピエンスが進化したのは、様々な偶然が重なったからに過ぎません。地球や生物をとりまく環境において、何かちょっとしたことが異なっていたら、『竜の騎士』の恐竜人間たちのように類人猿以外の脊椎動物から知的生物が誕生したかもしれないし、将来的には『鉄人兵団』のロボットたちのような機械の身体を持ったAIが人間に代わって知的生命体として繁栄する可能性もあります。
●神さま視点でみる人類――SFと落語――
本作でのび太が作った別の地球型惑星「新地球」では、脊椎動物の陸上への進出がなかなか起こらず、先に陸上に進出した無脊椎動物の方が地上で繁栄しそうな勢いでした。実際、そのままの状態を維持していれば、先に陸上に進出した無脊椎動物の方が進化し、ハチから進化したホモ・ハチビリスを中心とした昆虫人間たちが地上で繁栄していたであろうことが説明されます
しかし、
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「いやだァ、虫ばっかりの世界なんて!
恐竜がほしいよ。
ライオンやパンダや人間も作りたいよー!!」
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……という、のび太のわがままにより、「進化退化放射線」を古代魚の一種であるユーステノプテロンに浴びせ、強制的に進化させてしまうのです。
地上を脊椎動物たちにとられた昆虫たちは、地下世界で知的生命体である昆虫人間にまで進化し、繁栄します。そして、化石の研究から、この時期にありえないほど沢山の脊椎動物たちが地上に進出する出来事が起こったことを知るのです。
あまりのありえなさから、「新地球」の生物史におけるこの不自然極まりない事件を「神のいたずら」と呼ぶに至っては……爆笑するしかありません。
まさか神さまが「恐竜やライオンやパンダや人間が欲しい」などとアンフェアにもほどがあることを考えていたなんて……のび太が神さまになるって、こういうことなんですよ!
これは、笑いどころであると同時に、インテリジェント・デザイン説を提唱する様々な宗教への皮肉とも受け取れるのが面白いところです。
言い換えれば、本作には神さま視点で人類史を俯瞰した場合に発生する面白さが詰まっています。
特に興味深いのは、「新地球」の文明が我々の地球における中世くらいまで発達した後、『大長編ドラえもん』の良心であるしずかちゃんが「女神さま」として「新地球」のさまざまな文明を見て回った後の感想です。
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「中世ヨーロッパでペストの大流行があったの。
医学が発達していないから
毎日、何百人何千人もの人が死んでいくの。
「お医者ごっこカバン」の薬と
消毒ガスを空からまいて
やっと流行をストップさせたわ。
日でりの地方には雨をふらせ、
長雨が続いてると雨雲を吸いとり……。
お城の舞踏会にいけない女の子にカボチャの馬車を出したこともあったわ。
困ったのが宗教戦争ね
どっちも「神さまのために」といいながらころしあったのよ。
あたし、そんなことたのんだおぼえもないのに。」
「めいわくだなあ、
戦争をよろこぶ神さまがいるわけないのに。」
「いろんな考えかたがでてきてるんだね」
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人間たちの行動を「あたし、そんなことたのんだおぼえもないのに」「戦争をよろこぶ神さまがいるわけないのに」と評することができるのは、「神さま」の特権です。つまり、「神さま」の視点を借りることでの文明批評になっているわけです。
と同時に、様々な宗教的原理主義に対する皮肉にもなっているのが面白いところです。
「宗教のちがいが文明の衝突をもたらす」と書いたのはサミュエル・ハンティントンでしたが、視点を変えることで別の見方ができることがSFというジャンルの最大の特徴であり、魅力です。SFに親しんでいた藤子・F・不二雄は、SF的表現をフルに活かして本作を描いているといって良いでしょう。
「新地球」にも、のび太やスネ夫やジャイアンによく似た人間たちがその時代時代に生きています。これと合わせて、本作を「藤子・F・不二雄版『火の鳥』」と捉えるファンもいるのですが、ぴったりな見方といえましょう。
本作の映画版のポスターは、日本神話の登場人物っぽい服装をしたドラえもんが大きく描かれているのですが、これはキリスト教やイスラム教原理主義者から難癖をつけられないため――という見方も、あながちうがった考えではありません。それほど、本作には文明や宗教に対する皮肉が詰まっているのです。
一方で、ここには藤子・F・不二雄がSFと並んで大好きだった落語の影響もみられます。『21エモン』のオナベやゴンスケの原型は落語における「おなべ」や「権助」だというのは有名な話です。ジャイアンがはた迷惑なリサイタルを興行するのは『寝床』に、『バイバイン』は『ぞろぞろ』に発想の原点があります。
落語には『大黒亀屋』『影清』『風邪の神送り』『黄金の大黒』といった、「神さま(仏さま、観音さま)」が重要なキャラクターとして出てくる演目がいくつもあります。いずれも、神様の視点からみたあれやこれやが笑いどころとなる噺です。
「あたし、そんなことたのんだおぼえもないのに」
「めいわくだなあ」
といった台詞には、いかにも落語てきな味わいがあります。
本作にははっきりした元ネタがあります。エドモンド・ハミルトンが1937年に発表した短編SF『フェッセンデンの宇宙』です。1950年にリライトされ、61年に初めて邦訳され日本に紹介され、絶大な影響を与えました。もう古典といっても良いかもしれません。