1: 衆院予算委員会は十日午前、安倍首相の友人が理事長を務める「加計学園」の獣医学部新設を巡り、柳瀬元首相秘書官(現経済産業審議官)を参考人招致した。代表的な応答は次のものである。
長妻氏「平成27年の4月2日の面会以降、加計学園関係者に会ったことはあるか」
柳瀬元首相秘書官「官邸でお会いした3回は覚えている」
長妻氏「首相と首相秘書官は一心同体で、目となり耳となり報告をマメにしている。総理が去年に知るまで2年弱という空白期間がある。その間、加計学園と会ったことすら何にも総理に報告しなかったということか」
柳瀬氏「私はいろんな方とお会いしたが、いちいち総理に報告したことは、これに限らずありません。私は(加計学園との面会後)半年足らずで首相官邸を出ている」(出典、産経新聞)
2:先ず「自分の記憶ではあっていない」と嘘をついた。
そして、愛媛県の職員等が2015
コメント
コメントを書く現代社会は、政治家、官僚の世界だけでなく、大企業経営者など社会を構成する人がすべて、意思疎通が以心伝心でなく、言動によって動く社会であり、首相の明確な指示がなければ、秘書官、補佐官、官僚が動くわけがない。
極端に言えば、言われたことしかしない、言われないことはしない社会である。社会現象になっているが、AKBなど個性を排除した集団的行動が国民的支持を受ける時代であり、特別な国際的評価を受けるような人でないと、個人が格別な評価を受けるのは難しくなっている。没個性社会であり、セクハラを訴えるにしても、マスコミを利用して、個人名を隠す時代である。個人で訴えるのでなく、マスコミ集団、国会議員集団を使って、特別な職にある人を批判し、抹殺しようとする時代である。
マスコミ、議員集団が、連帯して、体制を攻撃すれば、体制は集団で守ろうとする、どちらも個人が隠れ、集団の攻撃合戦になって、泥沼に入るというより、うやむやの中に消え去るか、ちょろちょろ火をともしているだけで、解決には程遠い状況が生まれる。個人の権利義務の権利ばかりが重要視され、組織がバックアップすれば、別の組織が相手をバックアップする。政治は数であり、「数」が少なければ、結局「数」で勝てない。
元首相秘書官の柳瀬氏は、「首相案件」と言ったことがない理由として「首相とは呼ばずに総理と呼んでいた」と述べた。
つまり、「首相案件」とは言わなかったが「総理案件」と言ったという説明であり、意味としては何も変わっていない。
加計学園とは3回面会したが、首相には報告していないというのも官僚特有の言い回しで、「加計さんのお友達としての安倍晋三さん」には伝えていたのかもしれない。
地方自治体である愛媛県や今治市の職員と会うことは何の疑問もないのに否定し続け、最も問題のある加計学園と合ったことを頑なに否定し続けることが理解不能だ。
さて野党は、この牙城をどうしたら突破できるだろう。
「いい子いい子、偉くなるのよ」と育てられ、一生懸命勉強して東大に入り(東大に入るくらいしか能がなく)、また勉強に精を出し経産官僚になり、偉くなるためにウソを吐き続け、日本の民主主義を崩壊させた結果に気付く能力もなく、おいしい天下り人生を送ることで人生の終焉を迎える。人間の人生を描くについてこんな一筆書きで終わるとは・・・。子を育てるのに、「人生の闇屋」になれと言ってきた私の考えの正しさが証明されたのに、つまらぬ人間をみることはやはり虚しいことなのだと柳瀬君は教えてくれた・・・ェッ ェッ ェー、チャンチャン。
一般市民にとって百害しかないことが自明となった原発も、嘘と詭弁を執拗に繰返し再稼動へ向かう。
アベ一味の汚職追及 国会審議も全く同じ様相だ。
「政治家の汚職追及は検察の仕事だ。検察は何故全く動かないのだ?異常だろう?! 」-そう発する国会議員が出てこないのも異常だ。
鳩山首相は官僚の面&腹背で孤立→辞任に追込まれたとされるが、同じ首相でもアベは官僚の面&腹従で安泰→居座り。つまり、官僚が従っているのは「首相」という権威でない。
米国をピラミッドの頂点とするこの国の支配層(既得権益層=上級ドレイ一派)を慮っていると見做すのが正しい。アベにくっついて行った中東で、その米国から「大船に乗ったつもりで嘘をつけ」と激励されたのだろう。そんな国会審議に何の意味もなくなるのは当然だ。
柳瀬氏には、国会で見せてくれた顔と吐く言葉から「こんな奴はどこの組織にもいる」卑しい男という印象しかない。小回りの利くネズミというところか。自民党員と自民党系には気の毒だが安倍氏はアウトだよ。カケモリ・スキャンダルは行政最高責任者安倍氏のあってはならない個別利権絡みの汚職だ。それでも安倍氏を温存するというなら、自民党員にとって安倍氏にしゃぶりつき味わうものが残っているというのか?ハイエナが獲物の骨の髄まで食い尽くすみたいに。情けない話だよね。