2017年7月19日 編集手帳:
ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の巻頭に新約聖書を引いている。
〈一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯(ただ)一つにてあらん。
もし死なば多くの実を結ぶべし〉。
日野原重明さんはその一節を印象深く読んだという。
これほど異常な状況下の読書もない。
1970年(昭和45年)3月、
赤軍派にハイジャックされた日航機「よど号」の機中である。
ましてや、
人質の乗客に向けたサービスで用意したものか、
犯人から借りた本である。
「業績をあげて有名な医師になる。
そういう生き方は、
もうやめた。
生かされてある身は自分以外のことにささげよう」
当時58歳の日野原さんは心に誓ったという。
「よど号」から生還したとき、
名声と功業を追い求める麦は一度死んだのだろう
。“生涯現役”の医
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「麦」を題材にしているが、至道無難禅師の「即心記」に次の有名な言葉がある。
「生きながら死人となりてなりはてて思いのままにするわざぞよき」。イスラームの教えにも同じような言葉が出てくる。
一人の人間として、生きている意識から「エゴ」が取れていけばいくほど、他の存在との共生一体的意識に昇華して、生き
ることの存在意識が劇的に変化し、「一は多,多は一」、個はあるようでなく,ないようである「生死」と密接不可分な関係にあるといえるのでしょう。
ゲバラも「医学生のころは個人的に成功し有名になりたいと思っていた」という。ごく普通のことと思う。
それが一転して凡人には到底真似できない利他的な生き方に徹してしまう。
そうさせた体験がどれ程強烈なものだったのか想像もつかないが、体験すれば誰でもそうなるとも思えない。
そういう素質のある人への触媒作用に過ぎないと思う。
言わば、日野原氏は目の前のビジネスチャンスを確実にモノにする優秀な営業マン。私のような凡人は折角のチャンスも みすみす逃してしまうダメ営業マンだ。だが、私などよりもっと酷い、チャンスにまるで気付かない、お話にならない営業マンもうじゃうじゃいる。