ハーバート・ノーマンは一九〇九年生まれ。カナダの外交官。『日本の兵士と農民』(岩波書店、一九五八年)原著は一九四三年カナダにおいて「日本の徴兵制度―反動と侵略の前兆」の題で出版される。その引用。
・この徴兵令は多年にわたる封建制度にすぐ引き続いて出来たものだけに、影響が非常に大きく、ほとんど革命的と言っていい程の法律であった。封建制度の時代には、武器をたずさえる支配階級が厳重に規定され、制限されていたのに対して、農民を主とする、武器をもたない被圧迫階級は、いやしい階級であるとか、武器を持たせるほどに信頼できないとか考えられていた。実際の所、普通徴兵制を敷くことは余りにも革命的な考え方であったから、それを最も頑強に提唱した大村益次郎は,一八六九年、兵部大輔の時、憤慨した同藩の反動武士に暗殺された位である。
・この関係の内には、封建支配階級のごく一部分が農民を非常事態に対処するた
コメント
コメントを書く徴兵制とは最悪の形の奴隷制で、古代ローマの剣闘士奴隷と
あまり違いを見出せない。
わたしの高校生時代の社会科のノートに書いた覚えがある。
ノーマンの文章を読んでいますと、明治維新の志士たちが国民皆兵を実施し大陸、半島に侵略して行く様は13世紀のチンギスハーンの侵略と酷似しているから不思議だ。
チンギスハーンと側近は周辺民族を侵略のベクトルに乗せ、ユーラシア全土を席捲した。その手口はバックから銃と剣で周辺民族を脅迫し西南へ略奪侵略を行わせ、周辺民族はその更なる周辺民族を脅迫し軍団は大きく成長する。山縣や大村は農村から若者を強制的に練兵場に送り込み鍛えて、大陸に半島に送り込み攻め立てた。チンギスハーンと同じくノーリターンの過酷の戦略です。チンギスハーンの勢力は周辺民族が現地人と同化し自然消滅したが、山縣の軍は違った。
続く
>>2
続き
貧農から出た青年将校たちは山縣たち元老の言うことを聞かなくなった。彼らは権力を欲した。山縣や西園寺はそれを大いに嘆いた。天皇制にも元勲にも敬意を表さない軍部の誕生はチンギスハーンの体制には無かった。そして、その神輿に乗ったのが東条英機なんです。
安倍氏たちは自衛隊を明治の軍みたいにしたいと考えているようだが、上記の正史を真面目に知れば、自分らの考えが滑稽至極だと分かる筈だ。
あの三島由紀夫が自衛隊の本館前で「決起しろ」と激を飛ばした時、当時の自衛隊諸君は「えへらえへら」笑ってサラリーマン自衛隊員そのものだった。私はそういうサラリーマン自衛隊で十分だと思うのです。日本人の生理の本質を知れば知るほど今のままで良いと考えますね。
>>1
いや、凄いですね。徴兵制に奴隷制を発見された。しかも、高校生の時です。敬意を表します。
将棋のことで恐縮ですが、藤井聡太君の脳はメモリー構造が生まれつき凄く、将棋というゲームの作りがシンプルですから中学生でも業界でナンバーワンになるのは別に不思議ではないと思うのですが、歴史は超複雑で理解するには関連の勉強も必要ですから大変です。
>>4゛
はい、あれはたしか朴政権下の韓国で、徴兵された兵士の間で
自殺が蔓延していて3千人を超えているとの記事を読んで徴兵制について
真剣に考えたことがあってだったように思います。
少なくとも給料は支払われるのだから奴隷とまでは言えないか、と
考えた覚えがありますね。
そのため、比較として米国の奴隷制度も勉強して、黒人奴隷にも
給金は支払われ、それをためて自分を解放した奴隷も少なくないと
知り結論を出しました。
そう、従軍慰安婦にも、給料が支払われて、それも日本の兵隊よりも
たくさんもらっていたから性奴隷じゃないというやつがいますね。
アホか、どっも奴隷だよ。
赤い紙一枚を郵便で送るだけで補充できる戦争奴隷よりなにかと
手間やカネのかかる性奴隷のほうが値打ちがあっただけだよと
よく思ったものです。
最近では徴兵制をもつ国々で、社会奉仕などの代替義務を
行うことを認めるようになっていますが、わたしは勝手に
徴兵制=奴隷制の意見に反論できるように形を整えたのだと
思います。
>>7
なるほど、良く分かります。
> 最も残忍で無恥な奴隷は他人の自由の最も無慈悲かつ有力な強奪者になる。
自由の意味を体感していた人ならではの洞察と思う。
真っ先に浮かぶのは元TBSの強姦・山口だ。いじめ、パワハラ、セクハラの論理そのものだ。
そう自覚して その芽を摘む教育は今行われているか。徹底どころか殆ど皆無でないか。
だからこの首相。明治以降、何度 腹が裂けても教訓にできないまま。むしろ奴隷化教育を奨励してきた。
「別に悪いことでない」━そんな民度から抜け出せなければ、アベが消えても またもっと酷いのが出てくる。
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「孫崎享のつぶやき」-迷惑コメントを非表示にする方法━人付き合い ついぞ学ばずウン十年、ヤケクソ ウザコメ消されて本望
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ノーマンは、日本の軽井沢で生まれ、1955年体制で自由民主党と日本社会党が対立していた面もあるが、米国からの軍事要求を撥ね返していた時代の1958年に「日本の農民と兵士」を発刊している。
カナダの外交官であるが、50年代にソ連のスパイの疑いが掛けられ、自殺している。
50年台どころか、1935年に、英M15(情報局保安部)がノーマンを共産主義者と断定し、51年にカナダ政府に通報している。左翼的傾向が強く,初期のGHQ日本占領政策に関与しており、再検証が求められているようだ。
このような人物であること、また、戦前は、植民地政策を列強が競っていた時代でもあり、悲惨な事実を否定するものではないが、日本だけがすべての責任を負うものでなく、植民地政策そのものが否定されるものでしょう。