ドナルド・キーンは一九二二年生まれ。米国出身の日本文学者。一九五三年来日。ドナル
ド・キーン著『日本文学の歴史1』(中央公論社一九九四年)において、後世の詩歌との異なりを指摘している。
①詩型と題材が豊富な歌集はほかにない、
②さまざまな社会階層の歌人が名を連ね、後世の、主として宮廷で作られた歌ばかりと異なる、
③何よりも、吐露されている感情の激しさが、歌に緊迫感と力強さを与えている。和歌や俳句といった短詩型では、明言できることが限られており、その限られた内容をふくらませるため、後世の歌人は暗示に頼ることが多かった。『万葉集』の歌にも暗示はみられるが、読者の印象として残るのは、歌人の体験と心情を直截に表現した特異な位置を占めている。
ドナルド・キーンが最も重要視しているのは直截的表現の力である。
「万葉歌人は、単なる感傷にとどまらない真の悲劇、単なる感動にとど
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中国も韓国も元号が廃止されているが、日本は継続している。中国の「詩」であるとかは余分な詮索でしょう。
西暦だけであると、様々な事件は年数が確認の基本になるが、元号があると、時代時代の区切りとしても確認判断の基本とすることができる。
国民が一つの時代が終わり、新しい時代を迎える新しい気持ちが湧き上がってくる。
今回は、中国の古典に依存することなく、日本の最古の歌集「万葉集」から元号を作り出したのは、一面では、日本が日本としての独自の道を選択したことにつながり、大変喜ばしいことです。
若者たちが、元号について、前向きに発言している姿をテレビなどでみると、一つの新しい日本の姿を作り出していくのではないかという期待が強くなる。元号が、新しい日本の礎になれば結構なうれしい現象である。