A-1―事実関係1「条例改正延期 香港デモ「勝利」(毎日)
香港史上、最大規模の反対デモが起きた逃亡犯条例改正問題で、香港政府の林鄭月娥行政長官は15日、審議の延期に追い込まれた。反対運動の激化で行政運営が困難になり始めていることに加え、親中派や経済界からも不安が募ったためだ。また中国政府は、貿易問題で対立する米国と新たな火種を抱えたくないという事情もあり、延期判断を認めた。ただ、条例に反対する市民は撤回を求めているほか、警察側がデモ参加者らをゴム弾などで負傷させたことへの反発も残り、対立は長期化しそうだ。
A -2事実関係2「香港、リーダーなき反政府デモの「勝利」 テレグラム利用で情報共有」(産経)
中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案をめぐり、多くの香港市民が参加して繰り広げた反対運動はひとまず、立法会(議会)審議の無期限延期という譲歩を当局から
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それにしても、あのデモ隊の人たちは28年後にはどうするのだろう。
今回のあって当たり前の立法にも反対なのはよほど「中国」が嫌い
なのだろう。
changさんも書いておられるが、それなら移住を考えるべきだ。
急いだ方が良い。
私がその立場ならあんなデモになど参加せず、移住準備に
没頭する。
22年前は植民地の2級市民で支配国からの総督を仰いでいたのに、
ずいぶん誇り高くなったものだ。
changさんではなくchangeさん。
失礼しました。
もう一度繰り返すが、中国は国際社会に対して香港の返還のために
何も約束していないし何も約束などする必要がなかった。
ましてや香港の人々に何も約束する必要などなかった。
返還ののちに中国のGDPの16%を占める香港がその価値を減じ
ないように香港に富を持つ企業に呼びかけをしたに過ぎない。
香港のGDPは今中国の3%。
事情は変わった。
中国の方針も変わるだろう。
だから移住はお早めに。
くだらない難癖付けのデモなどしている場合ではない。
changeさんはこの前、歯舞色丹の2島を返還するにあたって
ロシア連邦の米軍基地を置くなと言う要求に対して、そんなものは
受けいれられるはずがないと書かれた。
わたしは、それは事実上日本の主権の制限に当たるので理解できる
と書いた覚えがある。
「中国」に当てはめれば、あの中国が主権の制限になど応じるはずがない
ではありませんか。
>>9
歯舞色丹と比較するより、沖縄と比較するほうが適切なのでしょう。沖縄が日本に返還されるまでは、米国の行政府であり、沖縄の人たちは塗炭の苦しみを味わったようだ。
返還後の現在は沖縄に基地が集中している現状を改善しろということであり、日米安保日米同盟を否定していない。
香港の場合、現在中国の行政府であり、香港の人たちの人権問題に対する香港行政府、中国共産党指導部に対する要求であり、当然の権利です。移住すればよいという問題とは別問題としてとらえるべきでしょう。
>>10
訂正 行政府は行政特別区の誤りです。
>>10
移住すればよいというのではなく、移住するしか
デモ参加者の望む解決はないだろうということです。
今回香港と「中国」の間に結ばれようとしている条例は
あるのが普通、なければおかしいと言うほどのものです。
それに反対するのは骨の髄まで中国が嫌いだから。
それなら今のうちに香港を脱出しないと手遅れになりかね
ないよ、という助言です。
お互い、28年などという時はあっという間に過ぎることを
知っている年齢です。
でも若者はそれを知らない。
わたしは28年などというモラトリアムなどおそらくない、と
思っています。
だからこその助言ですよ。デモに参加する香港の若い人たちへの
或る日突然その日がやってきて、香港で百万単位の難民(移住希望者)
が発生した時、口先で支持してくれた外国が、その時にはいかに
冷たいか思い知ることになるだろうから。
わたしが「中国」の指導者なら50年間香港の好きにさせて、
そのあとスパッと中国の一部にするなどとはしません。
それでは大混乱が起きるから。
徐々に徐々にと、それ以前から本土と香港の一体化を進行させます。
そして1947年以前には完成させます。
そして同年には盛大な式典を行うだけ、とします。
中国が今しているのは当たり前すぎるほどの当然のことです。
さあ早く中華人民共和国香港特別行政区から逃げ出せデモ隊よ、
時間はそれほどないぞ。
1947年は2047年。