はじめに
孫子に、「敵を知り、己れを知れば、百戦あやうからず。敵を知らずして、己れを知れば、一勝一負す。敵を知らず、己れを知らざれば、戦うごとに必ずあやうし」という言葉がある。
一見あたり前の事に見えて、これが極めて難しい。
自己について判断し、相手について判断することは、次に私たちがとる行動の前提になる。
私たちにはもともと、「将来に向かってこうしたい」「こうありたい」という願望がある。だが自分の客観的位置、相手の客観的な位置によっては、自分の願望を実現するのは難しくなってしまう。
そのため、自己の願望を実現できるように、自分の客観的位置であるとか、相手の力を歪めて見るような力が働くのが人間である。こうした誤った判断を避けるうえで、極めて有効な手段は、第三者の評価に耳を傾けることである。
この本でしばしば指摘することになるが、日本の特色は①孤立性と②均一性にある。
「個」を排する力がど
コメント
コメントを書く①米国のような資本主義競争社会は、日本人の「孤立性」とか「均一性」を好まないというより、脅威に感じている。歴史的に侵略と略奪を日常茶飯事に繰り返した国では、武器を持ち、自己主張しなければ生きていけないという「宿命」がついて回る。彼らがよりどころとする「社会的規範」は宗教であり、侵略と略奪と相対的立場にある「慈悲の心」によって強者と弱者の差を埋めている。
②「孤立性」と「均一性」の日本的体質は、支配者が変われども、侵略と略奪がなく、平和な生活が保障されており、強者も弱者も同じ社会福祉・医療を受けられる平等性が支配する社会主義共生社会が成立している。国民の生活向上に重点を置けたのは、一面では憲法のお陰というべきかもしれない。
米国は、1%の人が90%以上の富を独占する。社会的公平性が確保されず、医療格差が激しく,武器を持たなければ、同じ生命でありながら差別どころか淘汰される社会が人間として生きるべき社会か、我々は冷静に判断していく眼を持たなければならない。米国が言っているから正しいという時代は過ぎ去っており、高度な段階にある現在の日本社会を冷静な目で見て、自信を持って日本人として欠けているところを補正していく柔軟な姿勢を日本人は持たなければならないのではないか。
外国人の日本論、日本人論、を日本人が真面目に読むことは日本が健全にサバイバルするに必須だと私は思っています。
今なおアミニズムが根深く蔓延る日本の精神界には密教が育ちやすい。それが大きくなり始めたら、止め処なく破局に陥り易い。それにご利益が絡めば地獄へのアクセルとなる。オウムの教えはその典型的な事例だろう。
その回避には外国人、つまり冷静で且つアカデミックな他者の視座が欠かせない。外国人は欧米人に限らず、韓国人や中国人、アセアン諸国人のアドバイスも含めねばならない。