A-1事実関係「孤独死「働き盛り」2割 昨年2996人、大阪府警調査」(朝日、2月7日)
大阪府内で昨年1年間に誰にも看取られないまま屋内で死亡し、1カ月以上たって見つかった遺体が382体にのぼることが大阪府警の調査でわかった。「死後2日以上」で区分すると2996人。65歳以上の高齢者が71%と大部分を占めたが、一方で40~50代の「働き盛り層」が18・4%を占めることも判明。いわゆる孤独死の法律上の定義や全国的なデータはないが、今回の調査でその実態の一端が浮かび上がった。
孤独死の深刻化を受け、府警検視調査課が初めて実態を調査した。昨年1年間に同課が調べた、病院で死亡するなどの「自然死」ではなかった1万2309の遺体について、遺体や発見時の状況から事件性の有無を確認。事件性がなく、屋内で死亡してから2日以上経過して見つかった独居者(自殺含む)2996人について分析した。
その結果、10~
コメント
コメントを書く大阪府みたいな近代化した大都市では孤独死は元々独身者を通して来た或いは離婚して一人になった人には避けられないリスクです。そういう老人は自治体のそれらしき機関に届け出るとかして自分の悲惨を避ける努力をすべきだし、政治もそれに対応せねばならないと私は考えます。
問題は親子の交流が無くなっている老人の場合です。そういう老人には喪失感が重なり、その分、上記の老人に比較して深刻です。経済合理主義が益々力を得て、米国みたいに個人主義が幅を利かしつつある大都会では今後益々孤独死が増えて行くのではないでしょうか。
日本全体に目を転ずれば、昔、企業城下町として栄えた地方の産業都市が孤独死に悩んでいるのです。子供たちが都会に出てしまって親元を訪れることがないことで孤独死が発生しているのです。
日本は村社会が崩壊し、大企業中心の社会が造られ、そして今、大企業社会が壊れつつあるのです。新日鉄のリストラは象徴的な現象です。結果出て来る「流動的な労働環境」は親子関係を希薄にし、放置される孤独死は益々大きな問題になっていきます。
これは社会問題です。老人たちはせっせと多額な消費税を払ってきているのです。政治と行政はこの孤独死に大枚をはたいて対処せねばなりません。
このような「孤独死」は、他人事ではない、。わが身の問題でもある。ただ、このような捉え方が「孤独死」を考えるうえで正しいかどうかは、疑問を感じる。
何故「孤独死」が起きているかの分析が必要である。
①社会的諸制度が整っていないから、老老介護の結果「孤独死」が起きる場合もある。
②社会的制度が整っているが、本人とか周囲の人々が、制度を利用しないとか無関心ということもある。
③本人が、「孤独死」に真正面に向き合わず、人生の終末期をどのように過ごすか考えず、成り行きに任せている。
④家族・親族と本人の意思で疎遠になる、あるいは家族・親族から見捨てられるなど人間関係の欠落現象
⑤人生に絶望し「孤独死」を選択する。
「孤独死」と言っても、さまざまな理由がある。非常に不幸な例は、本人が「生老病死」の誰でも避けられない「現実」とどのように向き合うかが、突き詰められず、絶望の中で死んでいくことである。
「死」に対して、なんでも社会に責任があるととらえるのでなく、自立した人間を育てない学校教育にも問題があると捉えるべきでしょう。平等が悪平等になる場合があり、その人その人の適性を見て職業を選択するように仕向けないと、若い人の「人生に絶望した孤独死」は、今後のAI・ロボット社会を考えれば、急速に増えていくのでしょう。
若い人の「孤独死」には緊急に対処していかなければならないことであり、「桜」を否定はしないが、社会が必要としている問題は、積極的に対処していいくべでしょう。わけて考えなければいけない。
「冷たい荒野に埋めてくれるな」というカントリーウェスタ―ンがあるが、私の好きな曲だ。しかし、こう叫ぶカーボーイは幸せなのです。同僚がたくさんいるから野ざらしになったり狼の餌になることはない。
孤独死での問題は現実に起こる腐敗です。それはすさまじい。臭いもそうだが、衛生的にも尋常ではない。それを避けるのが、文明社会としてまずやるべきことでは無いでしょうか。
我々世代の記憶では、子供のころ、自立させるために、親は厳しい生活の中でも、教育にお金をかけてくれた。
優秀な子供は大学へ、女の子は自活できる職業を得させるために専門学校に通わせた。
どの親も、親はいつも言っていた。何か親の面倒を看るのが親孝行でなく、学校を出たら親に迷惑を掛けなければ最大の親孝行だという言葉が、現在の社会では全く失われている。物資が豊かで、医療が進歩し不自由がが少なくなり、戦争がなく平和であることが人間の生きる力を削いでいるのではないかと思えてくる。
自分の子供は幸い親に迷惑をかけることなく自活しているが、親の元で50歳を超えても生活している子供が多く、高齢者の家庭に一人はいるようだ。そういう人間に育ててきた我々世代の責任であるが、再び生きるということはどういうことか、一人一人が強く認識できる方法があるのであろうか。「平和であれば、人間が不幸になり、生活が厳しければ社会が豊かになる」。何か考えさせられるところが多い。
>>4
昔は良かった!と回顧して、今を嘆く。幸い自分の家族は問題ない。これは大半の老人のセンチメントでしょうか。でも、東京や大阪に人口の集中傾向の強い日本では今後益々親子の絆どころか男女の結婚が少なくなり孤独の老人が多くなってくるのは必然だと思うんですよ。
地震大国の日本です。専門家によると、強い直下型地震が東京を襲えば、高層ビルの殆どが、崩壊はしなくても、使用不能になるらしい。結果、都会の機能は壊滅するらしい。さるが故に日本はDECENTRALIZATIONを今後の国是にしないと未来は無いと私は悲観してます。そういう物理的対応をなせば、副産物として「親子の絆」も復活すると私は考えています。
ドイツを訪れると東京や大阪みたいな極端な人口集積はありません。親子の絆がドイツでどうなっているか知りませんが、中堅都市がアウトバーンで結ばれていて、日本には無い静謐を私は羨ましく思うのです。
特に東京は巨大化しすぎです。まず、皇居の移転。霞が関の移転を行えば、環境はドイツに近づき、静謐が得られ、親子の絆が復活すると思うのですが。貴殿はその辺どう考えているのでしょうか?