いじめ認知、過去最悪61万件…命にかかわる事案や不登校の「重大事態」も最多723件(読売)
全国の小中高校と特別支援学校で2019年度に認知されたいじめが、前年度から7万件近く増えて61万2496件に上り、過去最多だったことが22日、文部科学省の問題行動・不登校調査でわかった。いじめを積極的に把握する意識の高まりを反映しており、命にかかわるいじめや、いじめが原因とみられる不登校を含む「重大事態」も2割増の723件で最多だった。
調査によると、いじめは、小学校48万4545件(前年度比13・8%増)、中学校10万6524件(同9・0%増)、高校1万8352件(同3・6%増)、特別支援学校3075件(同14・9%増)で、小学校はこの5年で4倍に増えた。内容は「からかいや悪口、脅し文句」が最も多く、「遊ぶふりをしてたたく、蹴る」、「仲間外れ、集団による無視」が続いた。
13年にいじめ防止対策推進法
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学術会議問題が出て、初めて学術会議のなかに過激派という魔物がまだ存在していることに気が付いた人が多いのではないか。このように言う私もその一人である。
日本の野党は、共産党も立憲民主党も、日米安保日米同盟を深化しようと米国に出かけているように、反米でなければ反安保でもない。
もういなくなっていたと思っていた反安保の過激派・亡霊が、学問という隠れ蓑の中で、政府とは治外法権があるような感覚で行動をしていることが明らかになった。反政府というより、反日・反米派があぶりだされ、あちこちで騒ぎ始めている。6名の任命拒否は、日本では、官公庁など公的組織・民間企業など民間組織で行われている当たり前のことであり、異常なこととみる国民はいないでしょう。
学術会議の中の穏健派が普通に物言える組織に変えていくべきでしょう。特に推薦というやり方は会員の気持ちと離れたところで行われ、批判しようものなら、一部の人間によって「イジメ」どころかつるし上げられてしまうのでしょう。怖くてもの言えない学者が多いのでしょう。この際、学術会議の在り方を見直す機会を与えてくれた6名に感謝すべきでしょう
>>6
自民党や自民党系や貴殿はテーマが気に食わないと論題をずらし、この板を恣意的に使い、好きなテーマに誘導し、扇動これ努める。貴殿は私にとっては自民党の代表的な傾向を知るうえで貴重な存在ですが。
しかし、そういう性癖は真面目とは言えませんね。
一つだけ、折角だから、質問させて下さいな。
学術会議とは日本学術会議のことですか?
であれば、誰かが言っていたが、菅氏は「日本学術会議」から学術を除き「日本会議」に組み替えたい、のだと。実に痛快のことを言う人だと感動しました。
学術とは「科学」のことですが、「科学」無視の会議になるには、貴殿の知っているダーウインやコペルニクスやガリレオを断罪し迫害した神学会になることを意味します。
以上は貴殿であっても、「俯瞰」すれば分かることでしょうね?
>>7
あなたのコメントほどひどくない。
私は、孫崎さんが、最初に言っていることを取り上げています。
何ら不自然ではありません。
自分のコメントと間違えていませんか。
>>8
私のコメントが孫崎先生が取り上げたテーマに鋭く突き刺さっているのが見えない貴殿はいかなる人でしょうかね。
「暴力教室」とは米国の映画です。私が好きなシドニーポイチャがニューヨークの下町の高校の先生を扮した。もう半世紀前の映画です。
米国の教育現場の崩壊はその時から始まっていて、日本の自民党政権の歴史修正教育は米国の悪い教育航跡をひたすら追っかけているように見えて来ますよ。
>>6
いくら日本共産党志位執行部がヤキが回ったとはいえ、
日米安保日米同盟を「深化」しようと...
まではしていないような。
まあ、しようとするのを反対せず座視するのは同じことと
というのなら反対しませんが。
いつの間にやら反安保は反政府でなく反日・反米派ということに。
右翼が自説に反対するものに対して反日の烙印を押しても驚かないが
反日と反米を一体化させて「反日・反米派」というのは...絶句。
ここまで来たとは。
>>7
貴方のご意見にまったく同感します。
「日本学術会議」を「日本会議」化したがっているのが、菅たちの正体というのは、他でもいろいろ聞く話です。
いじめは常にたいへんな問題である。
基本的には、わたしは、その場が自分にとって、自分がいなくてもいいような場所なら、いじめられたら逃げるべきだとおもっている。学校や教育委員会等がそれでは困るが、個人は、くだらないことに時間を使うことになるだけではなく、からだや心に大きな傷を負うようなことになってはとりかえしがつかない。ならばとにかくそこから去るべきだ。しかし、こどもはなかなかそういうふうに考えられない。
自分がそこにいたい、あるいはいるしかないなら、戦うべきだ。やられたらやり返さなければならない。罵り蔑みつきまとっている側だという自覚がないヒトには、ぜひともその自覚をもってもらうまで戦わなければならない。そうでなければ、そのヒトは、鏡でみた自分の姿を、相手の姿として、恬として恥じないモンスターで居続けるだろう。
タイトルにおいて、孫崎さんは、いじめ問題を学術会議問題に結びつけているようにみえるが、これは無理である。任命されなかった人たちや、共産党、朝日新聞などその応援団たちは、いまの日本社会のなかで、少なくともいじめられっ子ではない。
「異なる考えへの不寛容」というところまで抽象化すれば共通点があるのではないかというかもしれないが、日本中のあらゆる「任命権者」の任命行為をそうやって縛るつもりなのだろうか。「任命権者」が(法的な縛りがある場合はそれに従いつつ)自分の考えによって任命行為をすることこそが「任命権者」に求められることであり、それを邪魔する方が違法である。
そもそも、「異なる考えへの不寛容」という心理的なことをいじめの原因として持ち出すのがおかしいとわたしはおもう。いじめは、外的にあらわれた行為の問題であって、こころのなかでなら、自分とは異なる考えに対していくら不寛容であっても、まったくかまわないのではないか。逆に、「異なる考えへの寛容」など不自然なことをこどもに心理的に強制したりしたら、それこそいじめを誘発しかねないとすらおもう。
自分とは異なる考えの相手は、そういう相手として、外的なあらわれとしてはきれいな接し方をすることこそが、ある程度以上成長したこどもに教育すべきことであり、この場でも求められていることではないだろうか。
それにしても、今回の学術会議問題では、法的な理屈もなにもかなぐり捨てて、学術会議の現状を維持したいヒトビトや、その応援団がいることには、じつはかなり驚いた。またポジショントークをする憲法学者には、あらためて幻滅した。こうしたヒトビトは、普遍的に立派なヒトビトとしての位置から汚れにまみれた自民党政権を批判していたはずなのに、そうではなかったようだ。自民党は支持しないが、こうしたヒトビトが政権をとったら、確実に自民党よりひどい政治をするとおもっている。