A-1[福井・美浜3号機、再稼働 40年超原発で初](毎日、23日)
関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)が23日、再稼働した。東京電力福島第1原発事故後に原発の運転期間が「原則40年、最長で20年延長」に定められて以降、運転開始から40年を超えた原発としては国内初の再稼働となった。後に続く「40年超原発」運転に向けた試金石となる。新規制基準下での再稼働は、40年未満も含めると6原発10基目。
A-2 東京新聞「東京電力福島第一原発事故後、原発の運転期間は原則40年と定められたが、「例外中の例外」とされた延長運転に入った。」
B:再掲
6月11日日刊ゲンダイ掲載、元福井地裁裁判官樋口英明氏インタビュー
「耐震性に着目すれば日本の全ての原発は止められる(抜粋)
コロナ禍のドサクサ紛れに掟破りだ。福島第1原発事故の惨事を機に定めた「運転は40年まで」の原則が骨抜き。運転開始から40年を超える関西電力
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>>1
樋口氏は元裁判官で、法律家の立場から、古い既設の原発の耐震性のリスクについて話しておられます。
貴殿が好む小型原発について何を話さなくてはいけないんですか。
貴殿は何か勘違いしてません。
>>4
あなたの方が大きな間違いをしている。
元首相だからといって現在も首相ではない。
元裁判官だからといって現在も裁判官ではない。
私は裁判官の意見として受け取らない。一般人の一つの意見に過ぎない。原発反対の中で再稼働を反対しているのか、原発賛成で再稼働を反対しているかは私にとって重要な問題です。
>>5
そういことですか。であれば、そういう文章の組み立てをしないと、やはり、「勘違い」と思われますよ。
そう思いませんか?CHANGEさん。
古い原発が危険だというのは、耐震性や計器の信頼性だけではない。
一口でいうと、炉心の圧力容器がパリンと割れる可能性が高まるからである。
燃料棒からの中性子線にさらされる圧力容器は、段々と脆くなる(脆性遷移温度の上昇)。
脆性の度合いをチェックするために、初稼働時から複数のテストピースが圧力容器に入れられている。
それを定期的に一個ずつ取り出して試験している。
しかし当初の耐用年数が40年だったため、テストピースの数は40年プラスα分しか入れられていない。
やがて品切れになると、脆性のチェックができなくなる。
新しくテストピースを入れても、無駄である。
樋口氏は古い原発を家電にたとえている。しかし、今までの原発はどちらかというと、家電ではなく、巨大建築物のイメージだ。建築物なら、50年たっても、修理や補強しつつ使い続けることは別に珍しくはない。
また、なぜ古い原発ばかりになったかというと、反原発運動のせいで、原発が新設できなかった点が大きいことは明記しておかねばならない。
とはいえ、古い原発は、使わずにすめば、もちろんそれにこしたことはない。しかしそれに代わる電力源をどうするかという問題がある。
この点で、わたしは、以前は、「新設原発が無理な以上は、古い原発を厳しく安全審査しつつ、使い続けて時間を稼ぎ、その間に代替エネルギーや蓄電技術の研究をすすめる」というイメージをもっていた。この場にも、何度かそのように書いた。
しかし、事情が変わった。
世界的にCO2削減がトレンドとなり、各国の具体的な義務・政策になってしまったからだ。このトレンドも、なにかの陰謀なのかもしれない。しかしもはやあらがえない。こうなると、古い原発をもう20年くらい使い続けるというだけでは、化石燃料が使えなくなる分、とても安定した電力が足りない。
どうしても新設原発が必要になる。
最近提案されている新しい原発は小型で、(古い原発よりは)同規格大量生産され、どちらかというと、今までの原発よりも、しいて言えばだが、家電に近い(わたしは航空機のイメージで考えているけれども)。古い原発よりも、安全にさらに配慮した設計であり、小型なので事故の影響も比較すれば少ないといわれている。
インタビューから拝察する限りでは、樋口氏にはこの新しい原発のイメージはなさそうに感じる。美浜3号機だけの再稼働問題であれば、新しい原発のイメージなしに判断してもかまわないといえるが、今後の日本の原発政策を論じるのなら、新しい原発についての知識は必須だ。
よくもわるくも、こういう問題にあらかじめ敏感なのは自民党で、すでに、原発の新設を推進する議員連盟を立ち上げている。会長は安倍氏らしい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210413/k10012970831000.html
わたしは自民党については是々非々だが、この動きは支持している。どちらかを選ぶしかないなら、古い原発を使い続けるよりは、新しい原発をつくるほうが安全だからだ。
こういう流れの中、反原発運動は、今までとりそろえていた「批判のセット(たとえば利権批判や事故の重大性など)」をこえて、CO2削減のなかでどのように原発なしに、いま、安定した電力をつくるのかという具体的提言なくしては、相手にされない時代にはいってきたとおもう。
ひとつ注目しているのは、ドイツの反原発運動だ。メルケル引退後、もしも政局が混乱するなら、そのなかでドイツも原発廃止政策を変換していくかもしれないと見ている。
また、日本の反原発運動について以前からわたしが大きな懸念をもっているのは、かれらが中国の原発について何も批判しないことだ。つい最近も台山原発の燃料棒破損事故があった。過去形ではなく、まだ現在形なのかもしれない。中国当局はほとんど情報を出さないが、いままでわかっているだけでも、中国当局がかなり無理な原発運転をしていることは明らかだ。
中国の原発に事故があれば、東にあるわが国に大きな影響がある。なのに、日本の反原発運動はなにもいわない。台山原発事故についてこの場で指摘したのもわたしだけだった。
四川地震でも緊迫した場面があったらしいことは証言で裏付けられている。
https://www.asahi.com/articles/ASK3N5FJ8K3NUHBI009.html
チャイナ肺炎をみても、中国の隠ぺい体質は明らかだ。なのに、中国の原発について日本の反原発運動は何も批判しない。
なぜだろうか。
バッカじゃなかろうか、日本にゴロゴロ原発があるのに、
そして大事故を起こして世界中に迷惑をかけたのに、中国の原発の
批判をしろだと。
そもそも、自分は日本の原発には賛成しておいて、反原発派には
中国の原発の反対をしろだと、
気は確かかね。
ああ、小学生の知恵は知恵は測り知れない。
フクシマの事故ぼ収束作業がまだ済んでいないのに何故、稼働40年を経過した原発を再稼働させるか理解に苦しみます。
フクシマで収束作業にどれだけの下請け作業員が被爆したか分かりません。原発を稼働させるということは被爆を前提とした下請け作業員をどれだけ確保できるかという問題になると思います。戦争に突入した時もこんな理解不明の中で突入したのかもしれません。
日本で原発事故をおこしたから、日本人が中国の原発の批判ができないというのは、意味不明です。批判すべきは、相手が日本の原発であろうと、中国の原発であろうと、当然批判すべきです。
誤解があるような気がするのは、わたしは別に中国の原発の存在そのものに反対ではありません。そのうえで、相手が日本だろうと、中国だろうと、ほかのどの国であろうと、批判すべき点があれば批判すべきだと言っているだけです。
そういう観点からみれば、日本の反原発運動が中国の原発に何も言わないのは、まったく意味が分かりません。
なお、「なし」氏のヘイトスピーチについては、今回も運営に通報しました。今回は、孫崎氏に注意を促すよう、とくに求めています。
労働者の被曝は重大な問題ですが、危険な作業に従事する労働者は原発に限らずいることにも注意しつつ、原発においても、労働安全衛生、報酬、原発の設計、作業のロボット化などの観点から一層向上すべきだとおもいます。このためにも、日本の原発も含め、批判してゆく必要があるとおもいます。
なお、この孫崎ブログの読者には高齢者が多いとおもわれるのですが、ひとりあたりの電気使用量は、高齢になるほど増えます。
https://eneken.ieej.or.jp/data/6406.pdf
これは、家庭における消費量ですが、高齢者は医療にかかる機会も多く、医療は診断にしろ治療にしろ、良質な電気のかたまりです。高齢者が生活の質をあげるにも、寿命をのばすにも、電気が必要ということになります。
わたしは反原発な高齢者は多数みたことがありますが、寿命が縮んでもいいから原発はいらないと言った高齢者は、ただのひとりも見たことがありません。