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科学の世界であっても、個々の大学にそれぞれ学風があるように私は感じてます。学風とは、将棋の棋士にそれぞれ棋風があるように大学にも学風があるという意味なんですが。
今西錦司氏は京大の学風を代表しているのではないでしょうか。因みに京大に並んでよく出て来るのが東大です。残念ながら、これといった学風が無いように見受けられることがこの大学の学風かもしれません。
今日の日本の最大の問題は中国との共存です。この問題についての京大の学風は今西先生の「棲み分け」とは真っ向から反する体系が構築されているのに私は驚かざるをえません。そお代表的な学者が高坂正タカ氏でしょうか。私みたいな中国との共存を主張する一介の凡人にはこの京大には魅力がありません。東大に至っては「何も無い」。笑い事ではありません。
生物(ヒラタカゲロウ類)の観察と洞察結果、「棲み分け現象」を見出したという事である。
科学的証明①理論的予測生態学の解明、②進化・淘汰の具体的メカニズムの解明には至っていない。
人間の進化・淘汰をどのように考えればよいかという視点を求めているといえる。
狩猟時代は、その日暮らしで、今日食べるものは今日狩猟し、明日食べるものは明日狩猟するという生活であり、狩猟地域などは区分けされ、その地域、地域に「棲み分け」していた。助け合いの平等な生活ができていた。
農耕時代に入ると「備蓄」されるようになり、作物の種類によって収穫高が地域によって違ってくるし、個人でも収穫をあげる知恵を持っている人と、「備蓄」能力の低い人では年数を経ると大きな差が出てくる。生活に格差が出てきたといえる。
「棲み分け」の境界線が、種族の力関係でなくなり併合を繰り返すことになり、競合関係が激しくなり、備蓄と軍事力で強いものが生き残ってきたといえる。
現在の問題点は、個人が「棲み分けされた場所」で平等性がいかに確保されているかが問われているのではないか。
民主主義社会では、格差の問題が大きなテーマになっているし,専制主義社会では支配層と被支配層が区分けされ被支配層の言動が厳しく制限されている。支配層に対し批判できない。
「棲み分け問題」は言動の自由を巡って民主主義社会と専制主義社会のせめぎあいが続いている。
狩猟時代の「あるがまま」の助け合いの平等性と農耕時代から始まった主従の関係と競争の原理の接点をどのように見出すかが問われている。
今西錦司氏については、先駆的登山家/探検家の大御所として語られたのを幾度か読んだことがあるが、調査/研究実績方面は このご投稿で初めて知った。
「棲み分け」理論の本質は、生物の「共存」本能は「競争」本能に勝る━これでないか。本能的に「足るを知る」を弁えているということだ。人類に限っても それが大勢を占めるに違いない。だが、一部にそうでない「人種」がいる。「この世は やるか やられるかだ!」「人生は椅子取りゲームだ!」言わずと知れた人類の敵、DSである。
> 今西に学ぶべき点は...仮説そのものを生み出すまでの観察力や洞察力...自然の中に隠されている美しいパターンを読みとろうとする執念だろう.
この点でも日本人は劣化の一途を辿っていそうだ。
PressTV 25 March 2023
米帝国は人類と戦争している-アナリスト
https://www.presstv.ir/Detail/2023/03/25/700422/US-Empire-is-at-war-with-humanity--Analyst-%C2%A0
「米帝国は人類と戦争している」と米国の作家/政治評論家は語り、「過去500年間、富が自分たちに流れてきた状況をそのまま維持したいのだ」と付け加えた。
ダニエル・パトリック・ウェルチは今週、イランのアラビア語チャンネルAl-Alamとのインタビューで、アフリカとその資源を支配しようとするワシントンと、それに対する中国の挑戦についてコメントする中で、このように発言した。
「事実、中国が一帯一路構想を発表したとき、それには全世界を一周することが含まれていました。なぜなら、中国はここ20年ほどの間に、技術、インフラ、建設など、特にアフリカで必要とされるあらゆる分野で、信じられないような、飛躍的な成果を上げてきたからです。アフリカの そうした分野は植民地時代の支配者の所為で長い間未開発だったのです」と、ウェルチは語った。
「過去200年、300年、400年の間。中国が援助を提供する場所のひとつがアフリカであることは、非常に理にかなっています。完全に論理的です」と彼は付け加えた。
質問: なぜ、中国はアフリカ大陸で米国に先んじ、イニシアチブをとっているのでしょうか?
答:ええ。今週、モスクワで行われた習近平同志とプーチン大統領の会談、最近行われたイランとサウジアラビアの取引など、これらのことがすべて一緒に起きていることが驚きです。イランとサウジアラビアが最近結んだ協定は、まさに米国の代わりを果たしているのです。なぜ中国なのか?なぜ中国以外でないのか?
米国は、自らが約束するような発展をもたらすことができなかっただけでなく、それを自らの利益のために利用してきた。米国の目標には、中国がやりたいと言っていることに近づくものは何もない: 習近平同志は今日、「近代化の究極の目標は、人民の自由で包括的な発展を実現することだ」ときっぱりと言い切った。そうなのです。そして、彼は世界の政党に語りかけたのです。より良い生活を求める人々の願望と文明のさらなる進歩に焦点を当て、物質的な豊かさ、政治の完全性、文化・倫理の豊かさ、社会の安定、快適な生活環境の実現に努めるべきだ」と述べています。そのままでいいんです。これは、中国がなぜそのようなことをしているのかということを、絶対に正面から発表しているのです。そして、中国がその「ライバル」―というより「反対者」―-に直面しているということは、米国とその欧州の属国が、1400年代のポルトガルにまで遡ってアフリカに歯と爪を立ててきたからです。つまり、植民地支配による残虐行為の歴史は枚挙にいとまがないのです。NATOがパトリス・ルムンバの殺害を手伝ったという話にしても、ベルギー領コンゴでレオポルド国王の政府によって殺害された1000万人の話にしても、数え上げればきりがないほどです。
質問: つまり、米国はアフリカ大陸に対して十分なことをしてこなかったと言えるでしょう。あなたはそう思いますか、思いませんか?
答:ええ。私が言ったように、十分なことをしていないだけではありません。アフリカの大衆にとって必要なことの「逆」を、米国は世界中でやっているのと同様に行ってきたのです。米帝国は「人類」と戦争しているのです。彼らは、過去500年間の富が自分たちに流れ込んできた現状を、そのまま維持しようとしている。アフリカの人々も、中国も、ロシアも、アジアも、南米も、誰もが知っていることです。
世界人口の85%は、ワシントンが自分たちのメッセージを伝えるために使っているマスコミが作る幻想の外に住んでいるのです。そして、もう手遅れなのです。自分たちのストーリーを挿入し、真実とは反対の意見を人々に吹き込むには、絶対に手遅れです。相当長い時間が掛かりましたが。
質問: ブラック・アジェンダ・レポートから届いた、米国がアフリカで自らの足を撃っているという報告書に同意しますか?
答:はい。完全に同意します。正にその通りだと思います。そして、米国は続けています。まるでジャックハンマーを持っていて、自分の足の上を叩き続けているようです。私は、彼らが描こうとしているレトリックやストーリーが理解できない。ウガンダに福音派を派遣したり、自分たちの外交政策に人々を引きずり込んだりと、常に宗教的な要素を含んでいるのです。マリやブルキナファソで彼らに対する大規模な抗議活動が行われ、人々がロシアの旗を掲げている-ハイチでも行われたように。彼らは、ロシアを裁判にかけようとするのは、本当に正しい考えだと思うのでしょうか?そして、人々が経済的に彼らに従うとでも?それは愚かなことです。本当に本当に愚かなことです。何の意味もないことなのです。ICCについても同じことが言えます。彼らはICCを操っています。ICCは署名もしていませんし、非難するだけです。
「アフリカの」指導者たち。ああした欧州人たちが決めたアフリカの 指導者たち「だけ」です。これまでのところ、プーチンを追求するときは、まるで台本があるかのようです。アフリカに混乱と死をもたらしたにもかかわらず、同じ台本を何度も何度も読み返している。そして、その結果が違うものになると思っているのです。
質問: 米国はアフリカの人々に政策を押し付ける準備ができているのでしょうか?米国人はその準備が出来ていると思いますか、それとも出来ていないと思いますか?
答:「彼らを真剣に受け止める」という根本的なコンセプトが、500年の歴史の核心を突いているように思います。要は、白人至上主義的な主張が根底にあるのです。アフリカ人を対等に受け入れたことがなく、真剣に向き合ったことがないのです。オハイオ州の村、皮肉にもイーストパレスチナと呼ばれる、ノーフォーク・サザンの鉄道会社から核爆弾、いや化学爆弾が発射されるのを見ることができる人たちが、中国に対抗できると本当に期待しているのでしょうか。中国は40億ドルをかけてケニアのナイロビからモンバサまでの鉄道を建設しましたが、これは1963年の独立以来ケニアにとって最大のインフラでした。エチオピアのアディスアベバからジブチまでの鉄道もそうです。同様に40億ドルをかけました。エチオピアでは、アディスアベバからジブチまでのインフラ整備が行われましたが、その際、借金の問題や工事の進め方について彼らと協力しなければなりませんでした。開発や債務に関係するすべての問題は、米国人が口を挟むことではありません: 「中国の債務の罠だ!ああ、中国の借金の罠だ!問題があるぞ」。雇用に関係する問題、返済に関係する問題、近代化のすべての結果に関係する問題は、どこにでもあるのです。習近平が言ったことは、今日もまた、「人々の懸念によりよく対応し、多様なニーズに応えることができる」ということなのです。
質問: アフリカの人々は、3つの大国のすべてに付き合う必要があるとお考えでしょうか: 米国、ロシア、中国の3大国のすべてに付き合う必要があるのか、それともどれか1つだけを選ぶのか。どうお考えですか?
答: ロシアと中国は気にしていないと思います。そして、米国は気にしている。それが問題なのです。米国は、経済的な投資と地政学的な目標が両立することを望んでいます。先ほど申し上げたように、習近平同志は、近代化は人々の関心事に対応し、多様なニーズに応えるものでなければならないと、はっきりと言っているのです。一方、なぜ米国はこのように「アフリカ人のニーズは理解できない」と言わなければならないのでしょうか。まるでエキゾチックな動物園の動物か何かのように?彼らは人間です。飢えている人たちです(場合によっては)。貧しい人たちです。鉄道がない人たち。現代社会が発展させたこれらすべてのものを持たない人たち。「何故なら」何世紀にもわたってアフリカ人たちは営利のために使われてきたからです。それは、はっきりしている。そして、それがわかる人もいれば、わからない人もいる。そして、それには時間がかかるかもしれません。彼らは欧州人に征服されることに慣れている。彼らは多くの長年の協定を結んでおり、それに従うか、あるいは破棄するか、何であれ しなければならないのです。つまり、「知っている悪魔」対「知らない悪魔」(「知っている困難な状況」対「より悪い可能性のある新しい状況」)があるわけです。東アフリカの家族のつながりで見てきたのですが、「まあ、知ってるよね...私たちは英国人を知っている」というようなことがあるんですね。私の態度はHa!です。英国人を知っていますか?あなたも英国人の下でずいぶん苦しんできたでしょう。でも、時間がそれを変えてくれるでしょう。
>>2
中国との共存共栄は貴殿の日本には不可能なことですか?
>>2
pfさん、中庸左派さんのご投稿を熟読されることを貴殿に希望いたします。
恐縮です。残念ながら、今西氏に学ぶどころか、真逆の生き方に堕ちる日本人は増える一方のようです-
「警察を呼んでくれ」夫は叫び、妻は遺書を書いた 低年齢化するゲーム障害「さらに加速する」と専門家<ネット依存 コロナ禍の子どもたち①>(東京新聞 2023/3/25)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/240019
>種間競争が,群集の構造を決める上で普遍的に重要とはいえないことを示している.今西の直観によるすみわけ理論は,その意味では真実に迫っていたといえるのかもしれない
今西錦司さんのお名前も棲み分け理論も、浅学故に知りませんでした。
しかし、一方のダーウィンの進化論がその後に、社会ダーウィニズムという社会理論の下敷きになったことは、物の本により知っており、ナチズムによる人種主義や優生思想を派生させたと理解していました。
その延長に市場原理主義とか、新自由主義といったアメリカ帝国型の現代資本主義のあり方も位置づけられるのではないか、と考えています。
もっとも、マルクス主義も資本家が労働者搾取により階級闘争を激化させ、資本家自らは墓穴を掘り、やがて労働者階級が階級闘争に勝利し、社会経済の実権を握り、人類の最高の社会形態としての共産主義社会が必然的に成立するという理論でしょうから、「棲み分け」とか、「共存」の理論とは遠いな、と感想します。
学生時代、私はとにかく○○打倒!という言葉をよく使ったものでした。(最も使用頻度が高かったのは「米帝打倒!」かもしれません)
ともかく、今は中庸の精神をモットーに「打倒」とか、「競争」とは比較的縁遠く生活出来ております。その意味で「棲み分け」という理論、或いは概念は、私としてはとてもシックリくるものです。
>今西のすみわけ理論は,競争を完全に否定する〜しかし「すみわけは互いの相補的共存によってなり立っている」として,共存する他種の存在を重視する
私自身は誰もが働き続けることが出来る社会を理想として、組合活動家時代はそれをテーマに取り組んできましたから、競争や独り占めを最も忌み嫌う問題として見てきました。
それは、もう一段大きな次元で言うならば、覇権や支配の否定という考えです。
その観点から国際社会を見るならアメリカ帝国による一極覇権は大変問題があり、私にとっては忌み嫌うべき問題です。
最近、クレイグ・マレーというイギリスの元外交官で学者であった方の中国に関する文章を読みました。題して「なぜ中国が敵になるのか」
https://www.craigmurray.org.uk/archives/2023/03/why-would-china-be-an-enemy/
「現在の中国ほど、経済支配のレベルを達成した国家が、その経済的資源を増やすために軍事的な領土獲得の資金源として経済力を利用しようとしなかった例は、歴史上容易に思いつくことはありません。
その点で、中国はアメリカ、イギリス、フランス、スペインなど、かつての著名な国よりもはるかに平和的である。
この簡単な質問を自分に投げかけてみてください。アメリカは海外にいくつの軍事基地をもっていますか?そして、中国にはいくつの海外軍事基地があるのか?
アメリカには750から1100の海外軍事基地があります。中国は6~9カ所です。
中国による最後の軍事侵略は、1951年と1959年のチベットの占領である。それ以来、私たちはアメリカがベトナム、カンボジア、韓国、イラク、アフガニスタン、リビアを大規模な破壊をもって侵略したのを見てきました。」
「中国には、60年以上にわたり、他国を攻撃したり侵略したりした記録がまったくありません。」
国際社会における「棲み分け」とは、多極社会ではないかな、とイメージしています。勿論、ブロック化した冷戦の再来ではなく、共存の意味において。少なくとも、アメリカ帝国のご都合主義的一極覇権であってはならないと考えます。
さて、社会理論としての「棲み分け」を考えた時に、それは格差固定化であってはならない、とも考えます。例えば、正規非正規の格差は勿論、教育格差は貧困の固定化に繋がります。親ガチャという言葉があるようですが、大学進学率は一定の所得や社会的階層により、固定化される傾向が否めません。貧困の連鎖が「棲み分け」であってはなりません。
人間社会の棲み分けは、共存は勿論、選択の自由を前提とした入れ替え可能性、出入り自由なある種の脱固定化も必要ではないかな、と考えます。そのためには税財源による積極的な社会政策を願って止みません。
その観点からも、転職によるステップアップを鼻にかけてビジネスエリートを気取り一般勤労層を蔑むようなヒトが失業したり、病気になったり、事故にあったり、人生の困難に直面して、無一文になったとき、セーフティネットが彼を暖かくサポートしうる社会、それが私の理想であります。