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当然信じ難い。未来学者レイ・カーツワイルは人間が2030年までに不死を達成すると予測。ナノボットが私たちの血流を流れ、修復を行い、私たちの脳をクラウドにつなぐことを予測。.脳とコンピューターの交流は大幅に進歩、麻痺患者は頭を使って文章を綴る。
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当然信じ難い。未来学者レイ・カーツワイルは人間が2030年までに不死を達成すると予測。ナノボットが私たちの血流を流れ、修復を行い、私たちの脳をクラウドにつなぐことを予測。.脳とコンピューターの交流は大幅に進歩、麻痺患者は頭を使って文章を綴る。

2023-03-31 07:07
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真っ先に頭を過ぎったのはグラチ(ミヤマカラス)376歳。それと、元も子もなくなる核戦争だ。

「我々は馬鹿かもしれない。しかし、我々400年生きた中で、人間が40年生きるより、馬鹿をしでかしたのははるかに少ない。私は376年生きたが、グラチが自分たち同士で戦争をし、互いに殺したことは聞いたことがない」(孫崎氏ブログ 2020/9/6)

「人間が不死を達成した」場合、我先に それを叶えられるのはB.ゲイツ等、超億万長者(DS極悪人)達になるのは目に見えている。これら人類の敵どもが、皆、文字通り不死の「死神」になるのである。地球は幾らも持たないだろう。

No.2 20ヶ月前

人間は複雑系現象ですから、一定のアルゴリズムで解答と方法を得ることは不可能ではないでしょうか。同じ複雑系現象である地震、台風は事前に発生時期を特定することすら不可能なのです。しかし、必ず起こるものですからやっかいです。人間の死も必ず起こるものです。

人間が工作して起こすもの、例えば、戦争、政争、卑近な例では、将棋・囲碁・チェスは優れたアルゴリズムを持てば必勝は間違いありません。

予断ですが、米国がこの20年かけて作り上げた資本市場は複雑系の領域に突入していて、どんなに優秀な人工知能を使っても、解がないという状況になってます。

No.3 20ヶ月前

発明・発見は、一般的に否定され、倫理的に問題があると受け入れられることが少ない。発見・発明は自分の信念が強いから世間の風評に耐えられるのでしょう。

このような話は、常識を持った成人でなく、物ごとにいつも「なぜ」という疑問を抱いた少年が成長し、発明・発見を成し遂げていくのでしょう。

レイ カーツワイル氏は、1948年生まれであり、10年後ぐらいまでに「サイボーグ化で強化され、コンピューターにアップロードされた人間」」になることが目標のようだ。

遺伝子学、ナイテクノロジー、ロボット工学を融合させ、この社会や人生観、世界観を根本から変化させるシンギュラリティ=AIが人間より賢い知能を生み出すという発想である。

ロボットは飛躍的に向上し、人間以上の知力を持つことははっきりしており、スマート社会の早い実験が行われることを期待している。

No.4 20ヶ月前

>ナノボットが私たちの血流を流れ、修復を行い、私たちの脳をクラウドにつなぐことを予測。

 こうした話題から、個人的に連想してしまうのは、「ワクチンにはマイクロチップが仕込まれ、5G通信で操作される」(毎日)というネタ。

https://mainichi.jp/articles/20210831/ddm/001/070/142000c

 私は反mRNAワクチンだが、上記を信じていたわけではない。

 ただ、体内にナノチップという話は、ネット上いくらでも検索できるので、少なくとも技術的にはあり得る話だろう。

>未来学者は、人間が2030年までに不死を達成すると予測

 それで、「不死」はどうだろうか?

 健康寿命が延長することは、良いこととは思う。

 しかし、技術的な問題というより、人生観とか哲学的に考えると、不死そのものに、私自身は特別な価値は見いだせない。

 単に「呼吸している」だけで良いのかどうか?所謂、QOLの課題は大きいと考えている。それは、高齢の母を特養ホームにてお世話していただいている状況も含めて、そのように考えている。

 このような思考様式に入り込む危険な思潮も理解している。即ち、優生思想である。

 生きるに値する命と、そうでない命。それを国家が決める思想を優生思想だと理解している。

 私は優生思想には反対である。

 しかし、個人の人生観として言うなら、こういう死に方が理想だ、ということも実はある。そうすると、人それぞれの死を私の価値観で測ってしまう、という思考回路に陥っていることもある。

 私の死生観としては、漠然とだが、出来るだけ「自然な形」で死を迎える方が良いよいのではないか、と考えている。つまり、技術的或いは過剰な医療介入による「不死」とか延命には疑問がある。

 私にとって、戦場での死は不自然の極みだと考えている。また、コロナ禍の老人ホームに見られた「死なないための隔離」も違和感を禁じえない。

 私は常々、イノチとクラシが大事と訴えてはいるが、イノチを考える際にどう生きるか、ということも疎かには出来ないと考えている。

 兼好法師は「生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。(生きている時に、生きる喜びを楽しまないで、いざ死ぬ時になって死を恐れるならば、私の言う理屈とは合わない生き方をしていることになる) 」と言ったそうだが、人間はいずれ死ぬもの、そして、ただ息だけしていれば良い、とはならないのではないか?

 日本人はコロナ禍では、上っ面の弥縫策に終始し、結果的には老人のイノチは「重視」して、若者たちのイノチは軽視する、という態度だったと私は総括している。

 一定の年齢を越えたら、死生観は大事だな、と考えている。

No.5 20ヶ月前

>>4
貴殿の冒頭部分は気になって仕方ないので質問いたします。

社会科学、自然科学を問わず、何かの発見が倫理的に問題があると言うのはどういうことでしょう。

実際に存在するものを隠したりすることを邪悪な支配者が被支配者に知られると困るのでやってしまうことは大いにあるけど、倫理とは関係ありませんよ。そう思いませんか。

No.6 20ヶ月前

>>6
大したことではありませんが、頭に浮かんだのは「クローン技術規制法」のことです。
「クローン人間などの産生に対して罰則を伴う法律により禁止する。固体の産生に至らない胚の研究については厳しい条件下で一部認める」
となっています。

No.7 20ヶ月前

>>7
なるほど。クローンですか。今では、試験管べービーも可能になってますし、自然第一主義の私にはついていけません。

No.8 20ヶ月前
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