今、ダン・ブラウンの『インフェルノ』(英文)を読書中。
気になる引用があった。
それはダンテの言葉の紹介である。
“地獄の最も暗黒な場所は道徳的危機の時に中立を保っていた人のために用意されている”(The darkest places in hell are reserved for those who maintain their neutrality in times of moral crisis.)P163
この引用を引いてみると、ケネディ大統領やマーチン・ルーサー・キングも同じような台詞を引用していたようである(The hottest place in Hell is reserved for those who remain neutral in times of great moral conflict.”).
ただし、この引用は間違いであるとの説もある。
ダンテの神曲に出
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
まあ何と勇ましいお言葉であることか。でも、どだい、それは地獄ななんてものの存在を信じていない人間には無意味だが。なぜ、カトリック教会が暴威をふるっていたヨーロッパと言う地域の中世の暗黒時代のおっさんの言葉をそんなにありがたがるのかな。自分の頭で考えてごらん。大国でもない日本にとっては中立でいられればそれに越したことはないでしょう。G2と威張っている中国と米国に喧嘩は任せて、こちらは高みの見物としゃれようではないか。
という事は、我が国は世界の中の立場として、何がしかに従うとか付くべきとも見れるのですけれど。
多分国民に対して、内政的な内容だと思うのですが、国家を市民的に見た場合、中立はだめだと受け止められるのですが。
原理的矛盾を正直感じました。
この言葉が間違いなく真実であることを、私ははっきり認識しています。
ただ一神教の根幹的考え方なので日本人の多くの方々にはおそらく理解不能なのではないでしょうか。
>>4
信仰の有無によって理解たりされなかったりするような言葉は客観性、普遍性が無く、無意味である。ダンテの言葉は「宗教を信じる者は絶対的なリーダーを必要としている」ことを証明しているにすぎない。キリスト教徒は三位一体説を信じ、イエスキリストが神そのものでもあると信じるが、モスレムはイエスはムハンメッドと同じく一人の人間であり、預言者であると信じているという違いはあるが。孫崎氏が信じているのは果たしてどのリーダーなのか、彼は明言していない。
ヒトは、見たり聞いたりしたことに対して即座に、良し悪し・好き嫌いを分別する生き物で、必ず一定の志向があるものです。「中立」を振りかざす人は独自の見解・主張を持たないふりをすることで摩擦を避けようとしているだけで、日本にはこのぼんやりした立場を好んで選択する人が多いようです。思考停止は摩擦がなくて気持ちがいいのです。問題から目をそむける事も楽チンなので大好きのようです。本当の「中立」というのは分別を超えた世界にいるお釈迦様のような人にしか実行できません。実体は「保身と怠慢」なのに「中立」という耳触りのよい言葉に置き換えているだけです。NHKのように。
普通の人が普通で居られなくなってくるのではないかと不安です。
何かのグループに属していないと安心できないなんて窮屈です。
政治的中立はアリだと思いますが、道徳的に中立と言うのは何かおかしい。
普通の人には苦痛でしかないと思います。