多くの人は、何故こうした事件が今突然起こったか、不思議に思われるであろう。
しかし、この人質事件は起こるべくして起こったのである。
事件直後、犯人側は次の動きを示した。
(1)「国際テロ組織アルカイダ系イスラム武装組織の指導者モフタール・ベルモフタール司令官が20日、モーリタニアのANI通信を通じ犯行声明を出した。声明は、同司令官が率いる「イスラム聖戦士血盟団」の40人程度のメンバーが同プラントの制圧を企てたが、アルジェリア軍が反撃したため人質多数が死亡したと指摘。隣国マリの内戦に介入している諸国に対してさらなる攻撃を実行すると警告した」(1月21日ウオール・ストリート・ジャーナル)
(2) [犯行声明を出したグループは、モーリタニアの通信社「ヌアクショット通信」に新たな声明を送り、「マリ北部への攻撃をやめなければ、アルジェリアやフランスなどの国々は人質の命に対する責任を取らなければならな
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では、そのような環境にある海外施設においては、どのような防衛策が考えられますか?孫崎さんご自身が日揮の社長であるとすれば、今後どのような策をとられますか?
もう、戦車で通勤しないといけませんね。
アラブ・イスラムの歴史はネグロアフリカより旧く、文化も活発であった。
しかし、欧州キリスト教徒の群雄割拠で永らく抑圧された歴史でもあった。”アラブの春”は不完全な民主化である。イスラム過激派は欧米型の民主主義制度に依拠しない国家造りを目指しており、時に暴力的な支配方法となる。曲がりなりにもイスラム民主主義を達成しているトルコの道はあゆめないのか?トルコにとっての「ソ連・ロシアの脅威」みたいなものがないとダメなのか?今回はじめてアメリカの子分である、日本人狙いのテロが明確化してきた。テロは絶対ゆるされないが、だからと言って軍事的制圧だけで収まるものでないことも確かである。
91年2月のアルジェリア旅行を思い出しました。
よりによって一ヶ月前に湾岸戦争が始まる中、起点のパリで日本大使館に現地の治安状況を尋ねると、「そんなことは知らない、分からない」と木で鼻を括ったような対応。
一方、空港は国へ戻るアルジェリア人でごった返していたのでアルジェに行くと、レストランでいきなり「何故日本政府はあんなマネをするのだ!」と隣席から一方的に捲くし立てられました。しかし、現地の人は概ね親日的、友好的だったと思います。
地方の町でも身の危険を感じることはなかったものの、出会ったバイク旅行者たちは、いつもニュースに注意していました。「ここでは、そうしないとマズい」と。
旅行後しばらく経って、アルジェリアは長らくの内戦状況に陥ってしまいました。その一端を一昨年、フランス映画「神々と男たち」で見て、「こんな酷いことも、もう昔のこと」と思ったものの、今回の事件です。
たしか「日米同盟の正体」でも言及されていた「イラク-狼の谷」は恐ろしい映画でしたが、やはりあれと同じような米軍の蹂躙に対する怒りが背景にあるのだと思います。
私がパリにいた1996年~1998年の1年半の間、フランスのメディアはアルジェリアでの村全体の虐殺など、毎日事件を報道していました。帰国後、日本のメディアはほぼ何も報道していませんでした。